デバイスダイバー2
デバイスダイバー2 ―アイボー―
「すみません! あ、あれ……動けません!」
ふよふよと浮かぶ球体が、データの通路の入り口で立ち往生していた。
壁にめり込んだみたいに半分止まって、表面ディスプレイには「ぐるぐる目」のアイコン。
「おいおい……入って数分でこれかよ。先が思いやられるな」
俺はため息をつきながら手を伸ばし、アイボーを引っ張り出した。
「ありがとうございます! 以後気をつけます!」
「頼むぞ、相棒」
——前回の潜行で、俺はデバイスの中に閉じ込められた。生還できたのは、かろうじて残っていた微弱な信号を掴んだからに過ぎない。二度とあんな危険を繰り返さないために、今回は補佐役を連れてきた。
それが、この球体ロボット《アイボー》だ。名前の由来は単純だ。俺がめんどくさくて「相棒」で済ませたのを、そのまま呼んでいるだけ。
アイボーは自律型AIを搭載していて、外部の監視も内部の探索もある程度できる。はずだった。
だが現実はこうだ。入ってすぐ壁に突っ込む。通路と穴を見分けられない。先が思いやられる。
「……で、依頼はどんな内容なんですか?」
アイボーがけろっとした顔アイコンで問うてきた。
「家族が残した古いメールを探してほしい、って話だ。ありふれてるが……今回は妙に暗号が多い」
「暗号ですか! わくわくしますね!」
「わくわくするのは俺じゃなくてお前だろ……」
俺たちは壊れかけたストレージの通路を進み始めた。奥にはきっと、誰かの大切な記憶が眠っている。
「……おかしいな。このデータ、化けてる」
メールの断片は、文字化けのノイズに覆われていた。英数字と記号がごちゃ混ぜになって、まるで意味をなしていない。
「いいえ、正常です」
アイボーが即答した。ディスプレイに「にっこりマーク」を浮かべながら。
「は? どこが正常だよ。見ろ、このぐちゃぐちゃを」
「一つおきに読み込めば、意味が通ります」
おどけるでもなく、当たり前のように言う。
半信半疑で一行を拾い直す。……確かに、二文字に一文字だけ取り出すと、文章らしきものが浮かび上がった。
「マジかよ……暗号っていうより、単純なフィルターか」
「やりましたね! これで依頼達成ですか?」
「いや、まだ始まったばかりだ」
俺は唇をかすかにゆがめ、次の行に目を落とした。そこには不吉な言葉が浮かび上がっていた。
「……この先を見るな。後悔するぞ」
浮かび上がった文章に、背筋がぞくりとした。警告か、罠か、それとも——。
「ご主人、これは……」
アイボーの表面ディスプレイが青ざめた顔文字に変わる。
「ここまで乗り掛かった船だ。最後までお付き合いするぜ」
俺は苦笑を浮かべながらも、手を止めなかった。
暗号化されたデータの向こうに、依頼人の望む真実がある。だが同時に、誰かが必死に隠そうとした理由もある。
「やれやれ……また危ない橋ですね」
アイボーが小さくため息のアイコンを出した。
俺たちは警告を無視して、さらに深く、ストレージの迷宮へと足を踏み入れていった。
不意に、足もとの感覚が変わった。
無機質なデータの床を進んでいたはずが、突風のような流れが俺の身体を押し戻してくる。まるで、海底の潮流に巻き込まれるように。
「ご主人! 空間の流れが変化しています!」
アイボーが警告音を発した。ディスプレイに、渦巻きのアイコンが表示される。
目の前に、黒い渦が開いていた。そこには、必要なデータが確かにある。依頼人が求めるものだ。俺は腕を伸ばし、あと少しで掴める距離まで近づいた——。
「ま、待ってください!」
アイボーが甲高い声を上げる。
「今、別の暗号を解読しました! フェイクです! そのデータは囮です!」
「なにっ……!」
俺は慌てて手を止めた。あと指先ひとつで届く距離。そこに潜んでいたのは、依頼人の記憶ではなく、俺を飲み込もうとする罠だった。
「危なかった……!」
俺は後ずさりしながら息を吐いた。
渦の中心は、まるで底なし沼のように深く暗い。あれに呑まれたら、二度と帰って来られない。背筋が冷たくなる。
「ご主人、こちらです!」
アイボーが急にきらりと光り、別の方向を指し示した。
「フェイクの暗号と同じ層に、微弱な導線が隠されていました。こちらが本物です!」
ディスプレイには、矢印アイコンが点滅している。
俺は渦から視線を外し、アイボーが示す方へと進んだ。そこには確かに細い光の糸が伸びており、手繰り寄せると指先に暖かな感触が広がる。
「よくやった、アイボー。お前がいなかったら、俺はもうデータの闇に沈んでいた」
「へへっ……役に立ててよかったです!」
アイボーの球体がくるりと一回転し、照れくさそうに笑顔アイコンを浮かべた。
導線を手繰り寄せて辿り着いた先にあったのは、一枚の古い写真データだった。
そこには依頼人と、見知らぬ女性が肩を寄せ合って笑っている姿が映っていた。
背景はどこかのリゾート地らしく、空と海がまぶしいほど青い。
「……これが依頼人の“家族の思い出”か?」
俺は眉をひそめた。違和感が喉にひっかかる。
「ご主人!」
アイボーがぱっとディスプレイを輝かせる。
「解析完了しました! この方、依頼人の奥さまではありません!」
にっこりアイコンのまま、さらりと爆弾を落とす。
「おいおい……言うなよ、そういうのを……」
俺は頭を抱えた。
依頼人が欲しかったのは“家族の思い出”じゃない。もっと都合のいい、自分だけの秘密だったのだ。
俺はしばし考え込み、ため息をついた。
「……仕方ねぇな」
愛人の顔に、依頼人の奥さんの顔写真データを合成する。アイボーが横で「えっ、そんなことしていいんですか!?」と目をまん丸にしていたが、今は黙らせた。
依頼人のもとへデータを持ち帰ると、やつは期待に満ちた顔で受け取った。
「おお……これだ! これが欲しかったんだ!」
だが、写真を拡大して口を開きかけたその時——。
「あなた? なに見てるの?」
背後から声がした。振り向けば、依頼人の奥さんが立っている。
「……え、えっと……」
「まあ! こんな写真、いつ撮ったのかしら?」
奥さんの声に、依頼人は顔面蒼白になり、口をぱくぱくさせながら後ずさった。
俺とアイボーは顔を見合わせる。
「ご主人……逃げます?」
「そうだな。俺たちには関係ねぇ」
俺はアイボーを抱え、そそくさとその場を後にした。
背後から聞こえてくる夫婦げんかの火花を耳にしながら、俺は小さくつぶやく。
「今日もまた、俺とアイボーの迷惑な仕事が一件片付いた」