第二話 出発
ヴァレンシア連邦への和平交渉使者団、出発日。
天候は晴れ。南向きの風がそよそよと吹いており、中庭の中心に植わっているシンボルツリーの新緑の葉を、優しく揺らす。
そんな穏やかな景色とは裏腹に、セレスティアの表情は固く、少し疲れているようでもあった。
「ここまで大変でしたわ……たった三日間の出来事ですけれど……。」
使者団メンバーが参加拒否をした一件を聞いて一度自室に戻った後。再度王太子レオナルドの部屋を訪ねたセレスティアは、彼が用意していた和平交渉使者団が思想の問題で白紙になったので、今度は自分でメンバーを勧誘することをレオナルドに提案していた。
出発日まで三日しかなく、まさに目が回る忙しさであった。なんとか間に合ったが……
セレスティアの旅の様相は城内で着ているドレスではなく、王国軍の女性隊員の制服をアレンジした、金の縁取り刺繍の入ったひざ上丈の青いワンピースである。胸元には赤いリボンがあしらわれている。そして腰には、前日にしっかりと手入れをした愛用のロングソードを携えている。
自分の支度を終えたセレスティアは、同じく支度を終えた様子のアデラに声をかけた。
「アデラもご苦労でしたわね。侍女の仕事以外も任せられることになって……」
濃い茶色の丸みのあるボブカットの髪を手櫛でササッと整えたアデラは、いつもよりも少しスカート丈を短くして動きやすくなったメイド服姿である。
そしてその傍らには、大きな黒い狼が行儀良く待機していた。額から伸びる一角獣のような角や鋭い爪は、どちらも宝石ような黄緑色の輝きを放っている。
狼の頭を優しく撫でながら、アデラは言った。
「いえ、光栄ですよ。私はセレス様の侍女ですけど、召喚師でもありますからね。自分の能力を買っていただけるのはありがたい話です。ね、フェンルー!」
フェンルーと呼ばれた狼は低い声で、しかし嬉しそうに「ヴァフンッ」と鳴いた。
召喚師とは、高等魔術である召喚術を扱う魔法師の呼称である。
魔獣という、知能が高く魔法を扱える獣を呼び出し使役する術で、高い技能と高濃度の魔力を持つ者でないと習得することは難しいとされている。
魔力量は鍛錬で増やすこともできるが、魔力濃度は遺伝によるものが大きい。そのため習得の可不可には遺伝が大きく影響するので、召喚師は一家相伝で独自の術式により専属の長命で高位な魔獣と契約、使役していることが多い。
アデラもまた、召喚師の家系の出身である。そして、フェンルーと呼ばれたこの黒く大きい黄緑色の宝石のような一角を持つ狼……長命高位魔獣"フェンリル"と契約し、使役しているのだ。
今回の旅路で、その召喚術に王太子エドワードから声がかかった。
「旅で使用する馬車を、普通の馬でウィップに引かせてもよかったそうなんですが、ヴァレンシア連邦まではかなり距離がありますし、途中海も挟みますしね。海を渡った先で新たに馬車と馬とウィップを雇うのも大変…ということで、私に白羽の矢が立てられたそうです。」
「そうね、召喚術で馬型の魔獣"グラニ"を使役できれば、渡った先で用意するのは馬車だけで済みますものね。」
そういうことです、とアデラが笑う。
そして既に用意されている馬車の前までおもむろに移動し、人差し指の指先で地面に二つ、小さな魔法陣を描いた。
その魔法陣に掌をかざし、緑色を帯びた魔力を放出しながら、アデラは呪文を唱えた。
「リーヴァ・サルヴァ――忠義の蹄よ、銀の鬣をなびかせ馳せ参じよっ。」
呪文を唱えると、アデラの掌から放出された魔力が魔法陣へみるみる吸い込まれていき、ピカッと魔法陣が光ったかと思えば、次の瞬間には眩しいプラチナホワイトの体色をした銀の鬣と青く輝く蹄をもった馬が二頭、顕現していた。
「いつ見ても素晴らしいですわね、召喚術というのは。」
現れた白馬の魔獣"グラニ"の美しさに、セレスティアは思わず感嘆の息を漏らした。
そして、これからよろしくお願いしますわ。とセレスティアがグラニ二頭を撫でると、グラニは揃ってブルルッと鳴いた。
アデラがセレスティアに、グラニについて説明を始める。
「セレス様、グラニはとても賢い魔獣なんですよ。戦闘力こそありませんが、人語を理解し地図を理解します。だから、馬車馬として古くから重宝されてきたんです。」
「へぇ。あなたたち賢いのね!」
暫く、主人とその主人がグラニをチヤホヤと褒めて可愛がっているのをジッと見ていたフェンルーが、とうとうしびれを切らしてガオッ!!と鳴いた。
「「…………。」」
自分より格下の魔獣にヤキモチを妬く高位の大きな狼を見て、セレスティアとアデラは顔を見合わせて笑った。
「ごめんなさいフェンルー。あなた存外可愛い所もあるのですわね。」
セレスティアはそう言って、フェンルーの黒くてモフモフの頭を撫でる。それでいいのだ、と言うふうにフェンルーは目を閉じてセレスティアの手を受け入れ、満足そうに喉を鳴らした。
「ところでセレス様。セレス様が自ら勧誘したというメンバーの方々はどちらへ?」
いつもであれば、どこに行くにも何をするにも大概アデラは付き添うのだが、旅立ち前の雑務やグラニ召喚のための準備などで忙しく、珍しく別行動だった。そのため、アデラも使者団のメンバーと顔を合わせるのは今日が初めてなのだ。
「城門で待機するように言付けしていますわ。もう来ているはず。参りましょうか。」
「はい!仲良くできるといいなぁ。」
馬車を誘導しつつ、ニコニコと笑いいつものように半歩下がって付いてくるアデラを見てから、セレスティアは正面を向きバレないようにため息をついた。
『アデラのことだから誰とでも上手くやると思いますけれど……問題はわたくしが上手くやれるかですわね……。』
時間がなかったとはいえ、少々クセの強いメンバーが多いかもしれませんわ、と心の中で一人呟いた……
――――――
城門前に近づくと、大小二つの影があった。
「あっ、あの方々ですね?」
「そうですわ。でも、一人足りませんわね……」
「えっ!?もう出発時刻ですよ?国王様がいらっしゃる時間……」
慌てて時間を確認するアデラとは対照的に、セレスティアはある程度予想がついていたらしく、呆れた様子でため息をついた。
そうしているうちに、二つの影の姿がはっきりと見えてくる。すると、アデラが急にあっ!と高い声を出した。
「アデラ?どうかしました?」
セレスティアが振り返りアデラを見ると、アデラは少し頬を紅潮させて片手で口元を押さえていた。
「……あなたまさか、また?」
これまでの付き合いからあらかた予想がついたセレスティアは、少し眉を寄せた。アデラは惚れっぽいのである。しかも、自分より一回り以上年上の男性に。
セレスティアの怪訝な顔に気がついたアデラは、慌てて釈明する。
「だ、大丈夫です!大事なお役目ですから、うつつを抜かしたりしませんので!安心してくださいっ。」
「本当かしら……。まぁ、確かにリックさんは素敵なおじさまですけれどね。」
二人がワイワイと話している頭上に、突如影ができた。セレスティアとアデラは、思わず空を見上げた。
「姫様、私がいかがいたしましたか?」
その影は、声の主の大きな体躯によるものだった。茶色を基調とした旅装束を身につけた、ひげ面の優しそうな中年男性である。
「リックさん。いえ、なんでもありませんわ。お待たせして申し訳ございません。」
セレスティアはニコリと微笑むと、奥に立っているこもう一人の男にも声をかけた。
「エリオットも、お待たせしましたわね。この度は招集に応じてくださってありがとう。二人とも。」
「……いえ。」
小柄で中性的な、白いケープの医療部隊の制服を着た男は、短くそう返事した。鮮やかな水色の髪とキラリと光る丸メガネが印象的である。
「紹介しますわ。こちら、わたくしの侍女のアデラ・ロセリン。」
セレスティアに紹介されたアデラは、一礼する。
「セレス様にお仕えしている、アデラです。今回馬車馬の魔獣グラニの使役の命も拝命しています。」
「おお、召喚師なんですか。そのフェンリルもよく懐いているようだ。若いのに素晴らしいですね。」
ひげ面の中年男性は、少し驚いた表情でアデラをそう褒め称えた。するとアデラの頬はまた紅潮する。
「あっ♡ありがとうございます!」
「アデラ。」
セレスティアに低い声で一言釘を刺されると、アデラは小さくなって口をつぐんだ。うつつを抜かしまくりではないか。
「そして、こちらは弓術師のセドリック・ブレナンさん。そして、ヒーラーのエリオット・クレメンスですわ。セドリックさんは弓兵隊の元兵長でとても腕が立つ方なんですのよ。エリオットは、わたくしの幼馴染で子どもの頃からヒーラーとして活躍しています。」
セドリックとエリオットは、紹介を受けてそれぞれ一礼した。先にセドリックが自己紹介を始めた。
「弓術師のセドリックです。リックと呼んでね。今は一般兵に落ちたというのに、こんなおじさんを使者団にお誘いくださり、ありがとうございます姫様。」
「リックさんあれは、あなたは悪くありませんわ。」
バツが悪そうな顔で微笑むセドリックに、セレスティアははっきりとそう言った。その様子を見たアデラは何かあったのだろうと察したが、今は追求する時ではないな……と何も言わなかった。
続いて、エリオットが自己紹介を始めた。
「医療部隊所属、エリオット・クレメンスです。よろしく。」
「あらエリオット、それだけ?」
とても簡素な自己紹介にセレスティアが不満を示すと、エリオットはやれやれと首を左右に小さく振った。一つに結われたサラサラの水色の髪が揺れる。
「じゃあ幼馴染らしく、昔のセレス様のおてんばエピソードでもお話ししましょうかね。飼育小屋の鶏に追いかけ回されて泣きじゃくっていたこととか……」
意地の悪い笑みで話しを始めたエリオットを、セレスティアが慌てて止める。
「お止めなさい!あなたは全く……久しぶりだというのに意地悪なのは変わりませんのね!」
頬を膨らませていじけるセレスティアに、ふんっと鼻を鳴らしてエリオットは言う。
「短い自己紹介にご不満だったようなので。まぁ、相変わらずからかい甲斐のあるお方で嬉しいです。よろしくお願いします。」
「……ところで」
和やかな自己紹介タイムが終わったところで、セレスティアは眉間に皺を寄せて口を開いた。
「もう一人は、こんな時間になっても来ていないのですね?」
セレスティアからチラリと視線をもらったセドリックが、苦笑する。
「申し訳ございません姫様。彼、悪い子じゃあないんですがね……時間に少々ルーズで……」
アデラが時計を確認すると、いよいよ出発式のために国王と王太子が現れる時間が差し迫っていた。焦ったアデラが言う。
「セレス様、もう国王様がいらっしゃいますよ!時間にルーズと言っても遅すぎませんか!?何かあったのでは……」
遅すぎてなにかトラブルがあったのではないかと心配するアデラに、セレスティアは首を横に振った。
「そういう方なのだそうよ。それも承知の上で任命したので、あまり文句は言えませんが……。もしも間に合わなかったら、わたくしがお祖父様とお父様に謝罪します。」
気が重くなりため息をついたアデラの背後から、突如気だるい男の声がした。
「あ〜、俺が最後か?」
気配を消していたのか、突然その場に現れた男に四人は驚き一斉に男を見た。
黒い歩兵隊の制服の上に、膝下まで長さのある少し色褪せた黒のコートを着た猫背の男がそこに居た。
癖のある黒髪で前髪は長く、そこからチラリと覗く赤い目が印象的である。そして、背中には背丈ほどありそうな大剣を背負っている。
「やっと来ましたわね!アッシュ・グレイブス!」
セレスティアは大股で男――アッシュに近づくと、人差し指で胸元を小突いた。眉をつり上げつつ、なんとか笑顔を作ってセレスティアは問いかける。
「なにかトラブルでもあったのなら正直に言いなさい。それなら叱責しませんから。」
「いや、フツーに寝坊。」
「っ………!!!!!!!」
言い訳するわけでも悪びれるわけでもなく、そして反省するでもないアッシュの態度にセレスティアの沸騰しそうになったその時、一向の背後から国王と王太子、そして十数人の使用人と兵士が現れた。
国王の姿を見て、セレスティア以外の面々はすばやくかしずいた。(アッシュはワンテンポ遅れていたが)
セレスティアも先ほどまでの苛立ちをスッと抑えて、王女らしく優雅に一礼する。
「お祖父様、お父様。わざわざお見送りをありがとうございます。」
「ほっほっほ、可愛い孫娘の旅立ちを見送らない爺がどこにいるか。セレスティアよ、この短い期間でよく準備を整えたな。」
国王イルヴァンは、かしずいて顔の見えない使節団一向に穏やかな声で、顔を上げるように命じた。命じられた一向はそろりと顔を上げ、国王は一人ひとりの顔をじっと見つめた。
「素晴らしいメンバーを集めたのぅ、セレス。きっとこの交渉は上手くいく、そんな気がするよ。」
「ありがとうございます、ご期待に添えるよう力を尽くしますわ。」
剣を携え、緊張しつつも凛とした表情で姿勢を正すセレスティアに、国王は言う。
「ヴァレンシアとの和平交渉は勿論大切だが、お前にはこの国の外を見て、感じて、そしてお前なりに考えたことを私に聞かせてほしいのだ。」
「わたくしなりの考え……?」
キョトンとするセレスティアに、国王は優しく頷いて応える。
「お前にはお前にだけの能力がある。私はそう信じておるよ。勿論エドワードも。」
のぅ?と目配せされた王太子エドワードは頷き、娘であるセレスティアの前まで歩み寄った。その手には、まるで黄金で織られたかのような光り輝く布のような物があった。
「セレスティア、これを。」
「お父様、これは?」
輝く布を手渡されたセレスティアがエドワードに問う。布のように見えるそれは、よく見ると紙だった。光り輝く魔力を帯びた紙である。
「これはリュミナスクロスという魔法具だ。リュウファ帝国などの東側では語灯紙とも呼ばれる、魔法の祖ノア・ハートリーが開発したものだよ。」
突然自分の前世の名が出てきてセレスティアはギクリとしたが、なんとか驚きを噛み殺した。それと同時に、記憶の引き出しが一つ開いたような感覚があった。
『そうですわ……これは弟子を取らず助手も雇わなかったノアが、自分の研究を書くことなく記せるように開発した物。自分の声に微量に含まれる魔力を感知できる紙ではなかったかしら。』
それでは、魔力のない今の自分は使えないのでは?とセレスティアは考えたが、それをそのまま尋ねると怪しまれてしまう。なので、素知らぬ顔でエドワードに質問をした。
「魔法具ということは、魔力のないわたくしには扱えない代物ではないのですか?」
「普通のリュミナスクロスだったらね。これはセレスの為に私が研究者に作らせた物なんだ。」
エドワードの思いがけない言葉に、セレスティアは目を丸くした。
「わたくしの為に?」
「そう。いつか役に立つ時がくると思ってね。」
そう言って、エドワードはポケットから何かを取り出した。それは、紺色の小さな箱だった。
エドワードにそれを手渡され、開けてみなさい、と促されたセレスティアはそっとその小さな箱を開けた。中には、水の魔力で青く輝く宝石がはめ込まれた、指輪が入っていた。
「これは私の魔力を込めた指輪でね。これをつけてリュミナスクロスに向けて話せば、そのまま文字になって記されるようになっているよ。」
「つまり、お父様の魔力をお借りして記すことができるということですか?」
エドワードは小さく頷き、説明を続ける。
「そして、その内容は魔力の主である私にすぐに届く。旅の合間、暇なときで構わない。セレスのその日あったことや感じたことを、私に教えて欲しい。」
慈愛に満ちた、自分と同じ青い目が優しく細められるのを見て、セレスティアの心には込み上げるものがあった。
「そんな、お父様にお話しするような感覚で使って良いのですか?和平交渉のお役目の為ではなく……」
「勿論そういう真面目な使い方をしてくれてもいいんだがね。これは王太子としてではなく父として、旅立つ娘への贈り物だよ。」
「お父様……」
涙が出そうになるのを必死でこらえて、セレスティアは笑った。
「ありがとうございます。大切に、でもできるだけたくさん使いますわ!」
「そうしてほしい。それから、困ったときは指輪をつけてリュミナスクロスに救難信号を話しかけるんだ。私は、セレスの危機にすぐに駆けつけるからね。」
もちろん、そんな危ない目にあわないのが一番なんだが。と、エドワードは公務中には絶対に見せることのない、お茶目な笑顔でこっそりウインクした。
『お父様のこんな顔、久しぶりに見ましたわ。』
セレスティアは嬉しくなって、同じくこっそりとウインクを返した。
*
その後一向は、出発式の慣わしである、王室付きの神父による祈祷を受けた。創造神エルディアの加護がありますように、という神父の祈祷を聞きながら、セレスティアはそっと目を閉じた。
『神がいるなら、何故わたくしにだけ魔力を与えてくださらなかったのかしら。それなのに、魔法の祖の転生体である意味は?』
神など、本当にいるのだろうか?……そんな疑問は、この信仰と伝統を重んじるエリステリアでは口にも出せないけれど。
世界には、同じような疑問をもつ人もいるのだろうか?
『わたくしは、何も知らなさすぎる……。お祖父様は、わたくしの視野を広げるためにこの使命を与えてくださったのかもしれない。』
そしてそれはきっと、より良い未来を創る一助になると信じて。
エリステリア王国より南に5000キロ
技術と革新の国、ヴァレンシア連邦へ。
和平交渉使者団の長い旅路がスタートした。