第一話 灰色姫
生きとし生けるものはみな魔力を持つ世界
魔力を源として、火を灯したり風を起こしたり水を呼ぶ方法を魔法と呼ぶ。
魔力量や、魔力を魔法として放出する技量は個によって様々だが、魔法を使えない生物は沢山おれども、魔力を全く持たない生物は世界中を探してもただの一つもいない。
たった一人の例外を除いて
「……それがエリステリア王国の王女であるわたくし、セレスティアですけれども。
魔力測定石の色をピクリとも変えられないような"灰色姫"のわたくしに、大事な和平交渉の使者をお任せくださるのですか、お祖父様?」
カールした金色の美しく長い髪を携え、瞳の色と同じ青いドレスを着た女性…セレスティアは、目の前の玉座に座する国王にそう尋ねた。
セレスティアの発言に、半歩後ろに控えていたそばかす顔の若い侍女、アデラが少し焦ったように小声でセレスを嗜める。
「セレス様、そんなふうに仰らなくても……」
「なぁに、事実でしょうアデラ。」
「しかしですね、国王様はセレス様のお力に期待してくださっているわけですし……」
そこまで言って、アデラはチラリと国王を見た。
国王イルヴァン・アストレア・ルクスウェルは、白くて長い自慢の髭を片手で触りながら、少し思案するような表情でセレスティアを見つめていた。ひとまず気を悪くした様子ではなさそうだったので、アデラは胸をなで下ろす。
国王は少し考えたあと、優しく微笑みセレスティアに話しかけた。
「どうしたセレス、らしくないじゃないか。たとえ魔力がなくても、お前は腐らずに勉学に励み、社交の場にも参加し、剣の稽古まで熱心に続けていただろう。私は、お前ほど和平交渉の適任者はいないと思っているよ。」
らしくない、と言われセレスティアはじわっと冷や汗をかいたが、それに気づく者はいない。何を言われても表情は崩さず笑顔で――社交界で身につけた技である。
心中穏やかではないが、怪しまれないようセレスは答えた。
「いえ……突然の抜擢に少し驚いただけですわ。勿体ないお言葉をありがとうございます、お祖父様。」
驚いたのは本当である。成人になったとはいえ、世界唯一の魔力を持たない"異端"である自分に、他国との和平交渉という大事な役目が回ってくるとは想像もしていなかったのだ。
セレスティアはドレスの裾を摘み、慣れた様子で優雅に一礼し、玉座の国王をまっすぐ見つめて言葉を続けた。
「国王陛下の望む世界平和の為、大事な和平交渉の遣いのお役目、慎んで拝命いたします。」
――――――――――
侍女アデラと共に自室に戻ったセレスティアは、ふう、と息をついてソファへと腰掛けた。
拝命した大仕事がまだ少し信じられず、視線が宙をさまよう。
『いや、信じられないのは"こちらの事"よりも……』
ぼうっとするセレスティアの前に、アデラが香りのいいローズヒップティーを差し出した。
薔薇の華やかな香りが鼻腔をくすぐり、セレスティアは我に返る。
「あっ、ごめんなさいぼうっとして。ありがとうアデラ。いただきますわ。」
「はい、お召し上がりください。しかしセレス様、本当にらしくなかったですね?勉学も社交スキルも、セレス様に勝る者なんてほとんどいませんし、私だってセレス様以上の適任者はいないと思うくらいなのに。ご自分が一番わかっていらっしゃるはずですよね?」
だっていつも自信満々なセレス様のことですもん、とアデラはからかうように笑う。
侍女ではあるが、このアデラ・ロセリンはセレスティアにとって姉のような存在である。
身分を弁えつつも臆さず気さくに、できるだけ対等に接してくれるアデラを、セレスティアは大変好ましく思っていた。
「言ってくれますわねアデラ。わたくしも、同世代の貴族や役人にわたくしほどの適任者がいるとは思いませんけれど。でも交渉に長けたベテラン貴族の方もいらっしゃるでしょう?何故わたくしにこのお役目をくださったのか少し疑問に思いましたの。」
セレスティアはそう言って、アデラの用意したローズヒップティーに口づけた。アデラの淹れるお茶はいつも美味しい。
「可愛い孫娘に初外交で成功を収めさせてあげたい親心……ならぬ祖父心なのかもしれませんねぇ。」
「確かに、今回の和平交渉の相手はヴァレンシア連邦ですものね。リュウファに比べれば格段にやりやすいお相手であることは間違いありませんわね。」
世界には、大小二十三の国が存在している。
その中で、三大国家と位置づけられている先進国がある。そのうちの一つが、イルヴァン国王が治めるここ"エリステリア王国"である。
西側一の先進国がエリステリア、東側がリュウファ帝国。そして南側がヴァレンシア連邦で、その他の二十の小国がそれぞれの大国に付随する形で成り立っているのが、エルディア暦八二三年現在の世界の図式だ。
セレスティアはローズヒップティーを半分ほど飲んだところで、ティーカップをソーサーの上にカチャリと戻した。そして、話を続ける。
「独自性が強く広大な国土と圧倒的な人口を持っているが故に、三大国家内で一番扱いづらいのがリュウファ帝国ですもの。その点、ヴァレンシア連邦は多民族国家ならではの柔軟さがあるから、リュウファと比べればお話を聞いてくださる可能性は高いですわね。」
少し表情の明るくなったセレスティアを見て、アデラはにっこりと笑った。いつの間にかセレスティアの為のお茶うけのスコーンを用意している。
「ええ、ヴァレンシアとは貿易も盛んに行っていますし。使者団メンバーに、ヴァレンシアの上役の方と親交のある貴族の方がいらっしゃるとも聞きました。気楽にとは言いませんが、セレス様ならきっと問題ありませんよ!」
アデラに明るくそう言われると、セレスティアも少し気が楽になってくる。気が楽になると食欲も出てきたので、用意されたスコーンに手を伸ばした。今日のスコーンも素晴らしい出来である。
スコーンをゆっくりと咀嚼して飲み込んだあと、セレスティアはソファに背中をずっしりと預けて、うんと背伸びした。
"こちらの事"は、なんとかなりそうだ。
「うまくいくといいですわね。他にはどんな方が何名くらい同行してくださるのかしら?明日また伺いましょうか。」
――――――
翌朝
身支度を整えたセレスティアは、アデラと共に王太子である父、レオナルド・アストレア・ルクスウェルを訪ねていた。
「おはようございますお父様。お呼びでしょうか?」
セレスティアが挨拶するのに合わせて、半歩後ろでアデラもお辞儀をした。
呼び出しに応じてやってきた娘と侍女を、レオナルドは少し困ったような笑顔を浮かべて歓迎する。
「よく来たねセレス。まぁ、まずはそこに座りなさい。」
父の表情に疑問を抱きながらも、セレスティアは促されたとおりにソファへ腰掛けた。
紅茶を出してくれたレオナルド付きの使用人に会釈し、一口だけ飲んでから、セレスティアはレオナルドへ言った。
「それでお父様。ご要件はなんでしょう?和平交渉のメンバーについてかと思っていたのですが、そのご様子ですと何かトラブルがありましたか?」
ほとんど確信を持った言い方の娘に、レオナルドは目を丸くして驚いたあと、ため息を一つこぼして数秒、頭を垂れた。そしてゆっくりと顔を上げた。セレスティアとよく似たその顔は、申し訳なさそうに眉をよせている。
「お前は本当に聡い子だ……。気を悪くしないで聞いてほしいんだが、いいかい?」
「わかりましたわ。」
セレスティアは固い表情でしっかりと頷いた。
*
「セレス様……!!セレス様お待ち下さいっ。」
レオナルドから話を聞き部屋を出たセレスティアは、アデラを振り切るように早足で自室へと戻っていた。歩き慣れたハイヒールなのに、足を挫いてしまいそうなほどにふらつく。
大体予想はついていたのに。
そんな風に嫌がられるのは初めてじゃないのに。
「セレス様ぁ……」
自室へたどり着いた頃、ようやくアデラの声に足を止めたセレスティアは、精一杯の強がりでニコッと笑った。
「心配させてごめんなさいアデラ。少し、一人にさせてください。」
アデラは今まで見たことのないセレスティアのその表情に驚き放っておけないと思ったが、主人の命令である。応えない道理はない。無言で一礼して、潔くその場を去ることにした。
アデラが去り、セレスティアは一人自室へと入った。少し虚ろになりつつ、チェストの引き出しを開け、奥にしまい込んでいた灰色の判定石を取り出し、両手で握る。
色は全く変わらない、灰色のまま。
赤でも青でも紫でもいい。少しだけでもいい。色づいて欲しかった。しかし、石は鈍い灰色のままのただの石である。
10年前の教会での判定式から、何も変わらない。
セレスティアには生まれつき魔力が無い。
魔力は、人間に関わらず生物であれば森羅万象全てに備わっているものだと言われているが、何故かセレスティアには一欠片も無い。様々な検査をしたが、原因は不明である。
"異端"の彼女を気にかけて憐れむ者や気にしないと言う者もいるが、良く思わない者がいるのも事実だ。
和平交渉の使者団のメンバーになる予定であった、ヴァレンシア連邦と繋がりがある貴族の男は、その良く思わない者だったらしい。
使者団のリーダーがセレスティアだと告げると、同行を拒否したのだという。また、男は貴族の中でも力のある家柄の者だったので、予定していた他のメンバーも芋づる式に同行を拒否したというのだ。
『お父様は名言されなかったけれど、おそらく魔力至上主義の者なのでしょうね……』
セレスティアは判定石をチェストの奥には戻さず、そっとベッドの枕元に忍ばせた。そして、部屋着に着替えることもせずにベッドへ転がる。皺になるだろうが、あとでアデラに怒られたら素直に謝ろう。
魔力至上主義
魔力は生物に与えられた創世神エルディアからのギフトであり、生物である証明だと考える思想の元集う、宗教団体である。
伝統を重んじるここエリステリアには、その信者も多く在住しており、珍しいものではない。
しかし、彼らにとってセレスティアの存在は異端も異端。神に愛されなかった忌み子とまで言われる始末なのだ。
初めにセレスティアを色の変わらない判定石と掛けて"灰色姫"と揶揄したのも、魔力至上主義の者である。
セレスティアは、十歳に聴衆の前で無魔力であることを告白してから、幾度となく彼らに非難の目を向けられてきた。心無い言葉を直接かけられたこともある。
だから全く傷つかないとは言わないが、慣れていたのだ。いつものことだと、笑顔で飲み込むことなど容易かったのだ。
それなのに、今回は全く飲み込めなかった。
自分の正体に気がついてしまったからである。
和平交渉の使者を拝命する少し前、突然脳を痺れるような痛みが襲った。
それと同時に脳裏を駆け巡ったのは、歴史書で読んで知った名前で呼ばれる自分と、そんな自分の年季の入った手。そしてその手に持った杖で自在に魔法を操る感触……
一瞬で駆け巡ったその光景や感触に頭は追いつかなかったが、セレスティアは本能で理解してしまった。
自分は、"魔法の祖"ノア・ハートリーの転生体なのだと。
『なら、尚更どうしてわたくしは魔力を持たないのかしら!前世が魔法を確立した偉人だというのに、宝の持ち腐れもいいところですわ!!』
はぁぁぁ……と深いため息が出る。
長年かけて慣れて飲み込んできた自身が無魔力であるという現実が、自分の正体を自覚した途端に飲み込めなくなってしまった。
もっと素直に言葉にするならば、納得がいかない、悔しいというのが当てはまる。
そして、前世の記憶が蘇った!しかも前世はノア・ハートリーだ!と言っても誰にも信じられないだろう。アデラでも冗談でしょうと笑いそうだ。
『つまり、これはわたくしだけの秘密。前世がノア・ハートリーだといっても、わたくしはわたくし。セレスティア・マリアン・ルクスウェルですわ。気を確かにしなければ飲まれてしまいそう……。』
自分は魔法が使えなくとも、前世の記憶にある知識を使えば、これからの旅路もより良くなるかもしれない。
セレスティアは自分をそっと鼓舞し、ベッドから身体を起こした。まずは皺になったドレスをアデラに見せて、小言を頂戴しに行こう。そして、先ほどの不甲斐ない姿を謝罪しよう。
『使者団の再編成は不安もあるけれど、わたくしになら出来るとお祖父様が期待してくださったんですもの。ご期待に応えられるよう、しっかり準備しなくては!』
パチンと両手で頬を軽く叩き、セレスティアは足取り軽く自室をあとにした。