一、飲むな
一、飲むな
美根我富士夫は、富士枝と富歌梨の遺骸を見付けた後、靄島市街の惨状について、小学校の校長室で、文書を作成して居た。そして、喉が渇いたので、席を立ち、廊下に在る手洗い場へ、歩を進めた。その途中で、江来と擦れ違った。
「美根我さん、何処へ?」と、江来が、呼び止めた。
「ちょっと、喉を潤しに…」と、美根我は、即答した。
その瞬間、「美根我さん! 死にたいんですか!」と、江来が、真顔で、怒鳴った。
「ど、どうしたんですか?」と、美根我は、面食らった。まるで、危ない事を咎められているような気分だからだ。そして、「何か、不味い事でも?」と、問うた。理由くらいは、話して貰いたいからだ。
「わしにも、判らんのじゃが、空襲の有った日から、水を飲んだ者が、次々に、亡くなって居るんじゃよ」と、江来が、冴えない表情で、語った。
「ええ!? 日ノ本一の名水だと言われていた水が…」と、美根我は、愕然となった。清流の在る街で、褒め称えられていたからだ。
「わしの想像じゃが、今回の空襲で、水源が汚染されたのかも知れんのう」と、江来が、推理を述べた。
「なるほど。それを聞きますと、飲む気が失せましたねぇ」と、美根我は、苦笑した。渇きを我慢するしかなさそうだからだ。
「一応、沸かした物なら、軽症の者が口にしても、大丈夫ですよ」と、江来が、やんわりと告げた。そして、この蒸し暑い中、お湯しか飲めないのは、辛いですね」と、ぼやいた。
「そうですね」と、美根我も、相槌を打った。
「後ほど、お持ちしますね」と、江来が、踵を返した。
少し後れて、美根我も、引き返すのだった。