⑤もしかして……現実?!
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもある。
しかも、同じ図書委員という任務?を背負い、週に1~2回、私の隣で図書館のカウンターにいる。
だが、残念なことに、今日は、うちのクラスが当番ではない。
さらには、今日琉生は午前中にお仕事があるらしく、遅刻になるか欠席になるかすらも未定だ。
ここは昼休みの図書館。窓の向こうのグラウンドからは、弾むように元気な声とボールが飛び交う音が聞こえてくるが、ここは図書館らしい落ち着きと静けさが漂う。
当番の図書委員以外、カウンター近くの席に2人常連がいるだけ。
心地よい静けさ。
図書館は、居心地のいい居場所だ。
しゃべってはいけない、ということは、しゃべらなくていい、ということでもある。
人と過ごすことに疲れたときなど、私にとっては、HPを回復できる補給基地のような場所だ。
お弁当を飲み込むようにさっさと食べた私は図書館に来た。
読みたい本がある。
でも、ほんとはそれだけじゃない。誰とも話さずにぼんやり過ごしても、おかしくない場所に行きたかった。
私は、けっして話すのがきらいなわけじゃない。気を許して話せる相手には、ふつうにいくらでも話し続けられる。
ただ、残念なことに、いまだに安心して話が出来る存在が私にはいない。琉生は別だ。
学級委員の佐藤くんは、よく話しかけてくれるので、話しやすいのは話しやすい。でも、まだ彼には気を遣いながら話してしまう自分を感じてもいる。
午前中仕事が入っているという琉生は、まだ登校していない。ひょっとしたら休みかもしれない。
推しのいない教室には心の支えに出来るものが、まるで、ない。
どんなに居心地が悪かろうと、推しさえいれば、そこは最高の場所に変わるのだけれど。
読みかけの本を手に、図書館に来た私は、古い本棚の陰にあるテーブルに着く。古い文学全集などががぎっしりのこの棚には、あまり誰も近づかない。グラウンドが眺められる窓辺の席は、新刊本のコーナーも近く、心地よくて人気だが、少し埃っぽい、一番奥の壁際の席は、あまり人気がない。前に、その辺りにネズミがいたとか、Gがいたとかの噂もある。
でも、カウンターからは死角になっていて、私には、案外居心地がいい。ちょっと埃っぽいことを我慢すれば。
「ほんとはね。この埃だらけの本たち、捨ててスッキリしたいところだけど。今からは手に入らない貴重な本もあるから。つい……」
(残してしまうんだよね)
司書教諭の先生がこの前の当番だった日にそう話していた。
「それにね。この子たち、まだほとんど、誰にも読んでもらえてないんだよ。こんなに立派な装丁で、ここに長いこといてるのに。せっかく本としてこの世に生まれて、この図書館まで来てくれたのに、誰にも読んでもらえないまま、埃をかぶって捨てられる……なんて、たまらんよね」
先生は、本棚を見上げながら、切なそうに話していた。
持ってきた本をテーブルの上に置いて、私はふと棚の本たちを眺める。なんだか、ここで自分の本を読むのが申し訳ないような気がしてくる。読んでもらえる日を待っている子たちの前で、他の本を読む。
それって、なんだか残酷な気がする。
本がさみしそうにこちらを見下ろしている気がする。
そのときだ。
(読んで)
声が聞こえた気がした。
(読んで。……借りなくてもいいから、手に取って)
声が聞こえた気がした。
(読んで。手に取って開いてみて)
声が聞こえた気がした。
私は、誘われるように、古い本棚に近づき、ふと目についた1冊を手にした。太宰治の全集だ。
太宰の作品は、『人間失格』とか『走れメロス』とかを読んだことはあっても、そんなに面白いと思ったことはない。
『走れメロス』はむしろ、ウソくさくて、つまらないと思ったし、『人間失格』は、『今はもう幸福も不幸もありません、ただいっさいが過ぎてゆきます』みたいな一節だけはカッコいいと思ったけど、あとは主人公にうんざりしたし。
それなのに、なんで今、太宰を選んだ? と自分でも不思議に思いながら、その本を開いてみた。
一つの短編が目についた。
『畜犬談』
(なんかあんまり楽しそうなタイトルじゃないけど。短編だし……これ、読んでみようか)
さほどの関心も期待もなく、読み始めて、私は驚いた。
めちゃくちゃざっくり言うと、犬が大嫌いな主人公が、やむを得ず犬を飼う羽目になる、という話なのだが、これがすごく面白い。すっごく笑える。主人公の心の動きをくどいくらいに丁寧に描写しているのだが、そのくどさが大げさでユーモアたっぷりで、笑えるのだ。
なんだ、太宰治、コメディ書けるんや。
『走れメロス』なんか教科書に載せてる場合じゃない。こっちの方が楽しい。ただ、もしかすると、動物愛護の観点から、教科書には載せにくかったのかもしれない。
(ごめんよ。太宰さん。つまらない、なんて思って。こんなに笑える作品も書いててんなぁ)
心の中で太宰に詫びつつ、
(そうかぁ……決めつけたらあかんよなあ。この人の書くものは、暗くてつまらない、とかって思うのは、よく知りもしないで、誰かを悪く思うのと、一緒やよなぁ。決めつけたらあかんな、決めつけたら……)
そんなことをぼんやり思っているうちに、私はいつのまにかうたた寝してしまっていたらしい。
ふと、自分の隣りに人の気配を感じて、うっすら目を開けると、隣りに琉生がいた。
座って、本を読んでいる。どうやら、さっき私が読んでいた本だ。
「え……え? 琉生くん?」
ぼ~っとしたまま、隣を見る。
「おはよ」
彼は短く言って、私にほほ笑むと、
「これ面白いね。畜犬談。もう少しで最後まで読めそう……織田さん、まだ寝てなよ。おやすみ~」
優しい声でささやくように言った。
(推しが耳元で、おやすみ~っていうなんて……これは夢や。間違いなく、夢や……)
幸せすぎる。
私は、うんうんうなずきながら、そのまま机に伏せたまま、目を閉じる。
(なんか気持ちのいい夢……今日は会えないと思ってたから。夢でも嬉しい……)
私は、嬉しくて頬が緩む。
隣で、琉生がフフフ、と笑っている。
(楽しそう……)
幸せすぎる午後。夢でも最高……。
「サイコー……」
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもある。
しかも、同じ図書委員という任務?を背負い、週に1~2回、私の隣で図書館のカウンターにいる。
ごくたまに、当番の日じゃなくても、図書館に出没することがあるようだ。(まて。彼はクマか)
夢の中で、王子の琉生が森を馬で駆け抜けていた。風になびく髪がさらさらと美しい。彼はどこへ向かおうとしているのか。私は、その背中を必死で見つめている。ところが、誰かが何度も呼びかけてくる。
ちょっと待って。じゃませんといて……
それでも声は続く。
「織田さん、織田さん」
ん?
この声は?
「織田さん。織田さん。チャイム鳴ったよ、織田さん」
笑いを含んだ声に、私はやっと目を開いて、顔を上げた。
目の前に琉生が、いた。
彼は穏やかに笑いながら、寝ぼけマナコの私にほほ笑みかけてくる。
「予鈴が鳴ったよ。先に戻ってて。僕は、この本戻してから行く」
彼が手にしていたのは、間違いなく私が棚から取り出した本。では、さっきまで夢だと思い込んでいたシーンは、もしかして……現実?!
「え? うわ。現実?!」
思わず、焦った声が出た。
「起こしてごめんね。でも昼休み終わっちゃったから」
ちょっとイタズラっぽく笑いながら琉生が言う。
「すごくいい夢見てたんだね。織田さん、すっごく嬉しそうに笑って『サイコー』って寝言言ってて。何がサイコーだったのか、ちょっと気になったな」
私は、ぶんぶん首を振る。
……言えるわけないでしょう。
君がそばにいることが最高!――――だなんて。




