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あのね。  作者: 原田楓香
42/42

㊷だって


 藤澤 琉生。

 

 彼は、私の推しだ。

 そして、クラスメートでもある。

 さらに、同じ文芸部の部員でもある。


 ただ、彼はアイドルとしての仕事もあるので、ごくたまにしか参加できない、と部員全員が了解している。うちの部は、他の部とのかけ持ちなどで、他にも同じような部員がいるので、そのへんについては寛大なのだ。


 そして、今日は、嬉しいことに琉生が部活に参加する予定なのだ。朝、登校してきた彼は、今日は放課後もいられるからと嬉しそうに話していた。

 夏休み中はほとんど、映画の撮影のためにアメリカにいることになるらしいが、国内で撮る予定の分はほぼ撮り終えたらしい。それでも、時々、ドラマの撮影もあるし、バラエティー番組の撮影があって、早退したり遅れてきたりは、しょっちゅうだ。

 それでも、課題もきちんとこなし、授業態度もいい琉生や想太を、先生たちも温かい目で見ている。彼らが、ただぼんやり座って授業を聞き流しているだけの生徒ではないからだ。よく先生のところに質問にも行くし、アドバイスを求めに行ったりもする。そして、それを先生たちも嬉しそうに受け入れている。


 そんな彼らの姿に、私はちょっと反省している。わからないところがあっても、「まあ、いいか。そのうち聞きに行こう」と流してしまいがちな自分。そして、そのうち、わからないまま放っておいたことさえ忘れてしまったり、どうせ苦手なんだからと、あきらめてしまったりする。だからわからないところは、ずっとわからないままで残り続ける。

 それが続くと、だんだん苦手意識だけが強くなっていくような気がする。


 ほんとに、数学は苦手だ。中学ではそれほどでもなかったのに、高校に入ってから、数学はまるで私の理解の遥か彼方にあるような気がする。いくら問題を眺めていても、どこから取りかかればいいのか、見当もつかないときがある。


「お。僕、2番乗り?」

 部室で、1人で数学の宿題を広げていると、琉生が入ってきた。

 さっきからまるで頭が働かなくて、ぼうっと問題を眺めるばかりになっていた。

「そう。2番乗り。……先生のところへ質問に行ってたん?」

 私が答えると、琉生は私の手元をのぞきこんで、うなずいた。

「うん。数学の先生のところ」

「そっかぁ。こまめに質問にいくの、えらいね。私つい面倒っていうか、勇気がなくて」


 自分が何につまずいているのか、どこがわからなくて困っているのか、それすらもちゃんと説明できない気がするので、質問にいくことすら、私にはハードルが高い。

 そう言うと、琉生はほほ笑んで、

「なるほどな。その気持ちはわかる気がするよ。僕も、数学はそんなに得意な方じゃないから。でもね、好きになるコツを見つけた気がするんだよ。最近」

 そう言って、彼は私のノートを見た。横罫線の入った、ごく普通の大学ノートだ。

「まずね、このノート、真っ白の罫線のないヤツにかえてみるといいよ。でね、1ページまるまる、あるいは見開きまるまる1問のために使う」

 私は、B罫のノートの1ページに、2、3問ずつ式や答えを書いていた。途中の計算とかは、端っこの方にちょこちょこっと書く感じだ。

「もちろん、問題によっては、めっちゃ余白が余るときもある。それでもいい。とにかくたっぷり白いページを用意して。途中の計算や、思いついたことのメモも、しっかりきちんと書いておく。端っこの方にちょこちょこ、ではなしにね。これが意外と大事なんだ。そういう途中経過をちゃんと残しておく。自分がどこで間違えたのか、どこから見直せばいいのか、一目瞭然にしておく。そうすれば、途中で行き詰まったときに、どこまで遡ってやりなおせばいいか、よくわかる」

 琉生は、カバンから自分のノートを取り出した。

 彼の言葉通り、真っ白で罫線のないノートだ。

 きれいな整った文字が、そのページに並ぶ。そして、途中の計算や、公式なども余白にしっかり書き込まれている。


「あ。そうだ。ちょっと待って」

 彼がもう一度カバンに手を入れて、もう1冊のノートを引っ張り出してきた。

「これ。使ってみて。ちょうど1冊、まだ使ってないのがあった」

 そう言うと、彼はその新しいノートを開いて、私の前に置いた。

「はい。じゃ、この問い3の問題文、ここに写して」

 そう言った。

 言われるまま、私は問題を、ノートの左側のページの一番上のところに書き写す。

「よし。じゃ、まず問題文をよく読んで」

「は、はい」

 琉生の横顔がすぐ近くにある気配に、私の心臓が跳ね上がりそうになる。なんだかあたまがぼ~っとしてくる。

 もちろん、彼の方を向くなんてことは到底出来ない。ひたすらうつむいて、ノートと問題集を凝視する。

 すぐ横で、問題文を読む彼の声がする。

「この問題はね……」

 彼が丁寧にゆっくりと考える手順を説明する声が聞こえる。

 確かに聞こえる。

 でも、なんだかクラクラして、近くで聞こえるはずのその声がなんだか遠くで聞こえる気がする。


「織田さん!」

 すぐ耳元で琉生の声がして、次の瞬間、私の額を大きな手の平が覆った。

 すべすべひんやりとした、手。気持ちいい。と思ったとき、

「熱が、あるんじゃない?」琉生が言った。

「え?」

 

 そういえば。なんかさっきから、ぞくぞくと寒気がするような気がしていた。

 私は、慌てて言った。

「あかん! 琉生くん、離れて!」

 もしかして、インフルとか、うつる熱だったら大変だ。

 一日だって、休む余裕のない琉生に何かあったら。もちろん、他のみんなにも同じことだ。

「私、帰る」

 机の上のノートや問題集や筆箱をかき集めてカバンに入れて、私は急いで立ち上がろうとした。

 少しふらつく。

 足元の地面がフワフワと柔らかく感じるような。必死で、足に力を入れて床を踏みしめる。


「送っていく」

 琉生が短く言って、自分の分と私の分、2人分の荷物を持って、私の腕を抱えるようにして立った。

「あかん、て」

 私は、急いでその腕を振りほどく。

「なんで?」

 琉生の声が、少し怒ったように尖っている。

「だって。迷惑、」

 かけたくない、と言おうとした、そのとき、部室のドアが開いた。


「あ、藤澤くんも来てましたか? ちょうどよかった」

 倉内先生だった。その隣りに、養護教諭の田中先生もいた。

「藤澤くん、欠席してたときの、身長体重の2測定、まだ受けてなかったでしょう。今から、保健室に来てくれるかな」

「はい。わかりました。でも、その前に、織田さん、具合が悪そうなんで、田中先生、診てもらえますか」

「あら。顔も赤いね。熱が出たのかな? わかりました。一緒に保健室に行きましょう」

 田中先生が、私の腕を支えて、その後ろを荷物を持った琉生がついてくる。


 私が熱を測っている間に、田中先生は、手早く琉生の身長と体重を測定した。

 そして、私を振り向き、

「どう? 何度だった?」

 先生が訊いた。

「37.5度です」

 それほど高くはなかった。よかった。


 ホッとした顔の琉生に、先生は、

「藤澤くんの、抜けていた健診はこれで完了です。あと妹尾くんもまだだから、声かけておいてくれる? 明日にでも学校に来てたらやるからって伝えて」

「わかりました。伝えておきます。じゃあ、僕たちはこれで。……織田さん、行こうか」

 琉生が立ち上がり、私の方を見た。本当に送る気らしい。

 私は、思い切りぶんぶん首を振る。

 2人で帰るとか、そんなわけにはいかない。ぜったいに。


「織田さんは、まだ少しここにいてもらいますよ。今日は、ちょうど校医さんもいらしてるし、診察受けて、インフルの検査キットもあるから検査してみようね。藤澤くんは、心配しないで部活に戻ってなさい」

「でも」

「大丈夫。まかせなさい」

 先生が力強く言って、琉生もそれ以上何も言えなくなったようだ。

「……じゃあ。お願いします。織田さん、お大事に。荷物、ここに置いておくね」

 琉生はなんだかすごく悲しそうな顔をして、そう言った。

「うん。ありがとう。荷物、ここまで持ってきてもらって、ごめんね」

 琉生が静かに首を振って、保健室から出て行った。

 その後ろ姿に、私はもう一度、「ありがとう」と言ったが、琉生は振り返らなかった。

 私は泣きそうな気持ちで、琉生の出て行った扉を見つめた。




 藤澤 琉生。

 

 彼は、私の推しだ。

 そして、クラスメートでもある。

 さらに、同じ文芸部の部員でもある。

 

 彼は、アイドルの卵だ。

 それも、めちゃくちゃ将来を期待されている、アイドルの卵だ。


 彼は優しい。

 困っているひとを放っておけないひとだ。


 彼が、周りの目も気にしないで、私を送っていこうとしてくれた。

 そのことは、すごく嬉しかった。

 でも。

 彼はアイドルだ。

 そして今、私たちがいるのは、ドラマの中の世界じゃない。

 この現実の世界で、彼がそうしてしまったら、どういうことになるか。容易に想像がつく。

 

 それでも、私は振りほどいてしまった彼の腕の温かさを何度も思い出す。

「なんで?」と、少し怒ったように言った彼の声も。


 ほんとはね、嬉しかったんだ。

「送っていく」って言われたとき。

 でも。

 そこで、私は、あのときの会話を頭の中で再生する。


「なんで?」

「だって、迷惑、」


 ちょっと待て。

 私は、とんでもないことに気がついた。


 私、迷惑かけたくないって言おうとしたのに。

 かけたくない、って言う前に、先生たちが来て、

 「だって、迷惑」までしか言えてへん!


 うあああああ。

 私は頭を抱えてうめく。

 ああああああ。

 うめく。

 ああああああああ。


 ……そうか。

 だからか。

 琉生が、あんなに悲しそうな顔をしたのは。

 せっかく心配して声をかけたのに、腕を振りほどいて、

「だって、迷惑」なんて言われたのだ。そりゃあへこむだろう。気ぃ悪いだろう。

 

 でも、ちがう。ちがうねん。

 琉生が迷惑なんじゃなくて。


 うああああああ。

 きっと誤解してる。それで怒ってるかもしれない。怒ってなくても、きっとがっかりしてる。


 ああああああああ。

 なんだかさっきより熱が上がってきた気がする。


 ああああああああああ。

 検査の結果は陰性で、インフルでも何でもなかったはずなんやけど。すぐには、反応しないこともあるから、とは先生は言うてはったけど。


 琉生に、ちがうねん。ごめんって言いたい。

 でも、伝える手段がない。

 テレパシーが使えたらどんなにいいだろう。

 琉生、ごめん。

 迷惑、かけたくなかっただけやねん……


 上がってくる熱にぼうっとしながら、私はごめん、とつぶやき続けた。

 

 



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