㉜まさか。
藤澤 琉生。
彼は私の推しだ。
そして、私のクラスメートでもある。
……ずいぶん、スッキリと短いフレーズになってしまったな。
放課後の図書館のカウンターで過ごす時間はなくなったけど。
でも。
依然として、私にとって図書館は特別な場所なのだ。
「入部希望者?」
文芸部の部室の前で、ドアをノックする勇気が出ずに、じっと立っていると、後ろから落ち着いた優しい声が聞こえた。
文芸部の部室は、図書館棟の一角にある。部活の紹介文によると、創作に際して、調べ物があるときに、すぐに図書館にアクセスできるようにするためらしい。
始業式後の2週間は、体験入部期間ということで、いろんな部が、新入部員勧誘のためのイベントやチラシをまいたり、どこもすごくにぎやかだ。
部活紹介の冊子の『文芸部』の文字を見つけて、覗いてみようと思ったのだ。
でも、図書館棟の一角にあるせいか、文芸部の部室はすごく静かで人の気配がない。だから、なんとなくドアをノックしづらい。それで、じっとその白いドアを見つめて立っていたのだ。白いドアの真ん中は、縁に模様の入った磨りガラスがはまっていて、ちょっとおしゃれなカフェの入り口みたいで素敵だ。
ぼーっと立っていると、
「入部希望者?」
背後から急に声をかけられた。
「あ。いえ。あ。いえ、じゃなくて、はい」
ちょっとうろたえて、へんな応えになってしまった。
振り向くと、
「どうぞ~どうぞどうぞ」
私の後ろに立っていたのは、1年7組担任の倉内先生だった。つまり、うちの担任だ。
先生は、ニコニコしながらドアを開けて、私を白いドアの向こうに招き入れた。
「織田さんだね。ちょうどよかった。今日はミーティングがあるから、みんな集まってると思うよ」
みんな集まってる。
その言葉にちょっとびびってしまう。たくさん人がいるところって、基本苦手なのだ。
琉生たちは、何千もの人が集まってる会場で歌ったり踊ったり喋ったりしている。彼はコワくないのかな?
私だったら、コワすぎてドキドキしすぎて心臓止まりそうになる。きっと。
「みんな、体験入部の希望者が来てくれたよ。……ほら、入って入って」
先生は、にこやかな笑顔で私を促す。
「わあ~い。入部希望者第1号!」
一番入り口近くにいた女子の先輩が、両手をたたいて笑いながら声を上げた。
「やったね! これで、存続決定だね」
奥のテーブルに座っていた男子の先輩が言う。どことなく、国語便覧の太宰治に似たイケメンだ。
その“太宰さん”が言う。
「うちの部ね、今、3年生が5人、2年生が3人なんだ。このまま3年生が引退したら、部として認めてもらえる部員数4人を下回ってしまうという、めちゃくちゃ危機に瀕してるんだ。でも、君が入ってくれたら、4人を確保できる。いやあ~、助かったよ。これで安泰だ」
「ちょっと、部長。いきなり決めつけたら、プレッシャーになるでしょ。今はまだ体験入部期間なんだから、あまり強引に勧誘したらダメってことになってるでしょう」
部長の横にいた3年生らしき女子生徒が言う。そして私に笑いかけながら続ける。
「……でも。入ってくれたらすごく嬉しい。あのね、活動としては、読書会をやったり、部誌を年2回発行したり、文化祭で、いろんな作家や作品について研究した成果を展示発表したり、演劇部からの依頼を受けて台本を書いたり。けっこういろいろやってるの。もちろん、自分の作品を書いてその作品を交流したりもするし……」
なかなか楽しそう。
「でもね。モットーが一つあってね。みんなで楽しむこと。『のんびりまったり』が合い言葉なの」
横からもう一人の女子の先輩が言う。
いいな。
のんびりまったり。好きかも。
「というわけで、いろんなことやるけど、絶対これをしなくちゃいけない、とかいうのはなくて、『次、こんなことやってみない? 』って、誰かが提案したら、『いいね、やってみようか』って、気軽に始めてみる。そんな感じで活動が成り立ってる」
“太宰”部長がまとめる。
横で、倉内先生が笑顔でうなずいている。他の部員たちもニコニコしている。
「じゃあ。質問タイムです。何か気になることや訊きたいことがあったら、何でも言ってね」
部長が言う。他の先輩たちも、ゆったりうなずく。
ドキドキする胸を押さえて、思い切って私は言った。
訊きたいこと。
「あの。えっと。まず、先輩たちのお名前を教えてください。それで。ぜひ、入部させてくださいっ」
「やった~!!!」「わあ~い!!」「やったやった~!!」「ありがと~!!」「やったね~!!」
先輩たちが大きな拍手をしたりバンザイしたりして満面の笑みで手を取り合って大喜びしている。
その姿を見るだけでも、部員のみんなが仲良しなのがわかった。
「じゃあ。部長の僕から。3年、大田です。国語便覧の写真の太宰に似てるって言われることがあります」
やっぱり。
「私は、副部長の3年、城田です。よろしく!」
ストレートな長い黒髪でクールな雰囲気だけど、声が温かい人だ。
「私は、会計担当の3年、三田です。よろしくね」
ふんわり柔らかい雰囲気で、さっき、のんびりまったり、と言った人だ。
「2年の満田です。満天の満って書いて、みつと読みます。よろしく。入ってくれてすごく嬉しい」
ショートヘアで眼鏡をかけていて、さっき、入り口で、『入部希望者第1号!』と笑顔で拍手をしてくれた人だ。
「同じく2年、平澤です。よろしく。2年は僕らの他にもう1人いるんだけど、彼はごくたまにしか来ないから。でも、そのうち会えると思うよ。いい奴だし、心配しなくていいよ」
優しい話し方をする人だ。穏やかで、でも頼もしい感じもする。
「3年も今日来てないのが2人いるんだけど、彼らもごくたまにしか来れないんだ。他の部とのかけ持ちだから、しかたないんだけどね。でも、読書会とかは喜んでくるから、そのうち紹介するね」
大田部長が言う。
「で、我が部の顧問の倉内先生。はい、先生からも挨拶を」
副部長の城田が、先生を振り返る。
「顧問の倉内です。詳しい自己紹介は、クラスでやってるから、もういいよね? とにかくよろしく。ようこそ文芸部へ」
先生がほほ笑みながら言うのを見届けると、城田さんが言った。
「先生のクラスなの? いいね~。じゃあ、どうぞ、自己紹介、お願いします」
今度は、私の番だ。
「はい。えっと。織田 空といいます。漢字は織田信長と同じです。でも読み方は、おりた、です。そらはふつうに空という字です。本を読むのが好きです。自分で少し書いたりもしますが、へたくそでまだまだ人に見せられるものではありません。でも、書くのが好きです」
みんなうなずきながら笑顔で聞いてくれる。
書くのが好き。
そうはっきり人前で言ったのは初めてかもしれない。
でも、なんだか、そうはっきり言ってみたい気がしたのだ。
それは、この場所の空気のせいかもしれないし、新しいスタートで、テンションが上がってるせいかもしれない。そして、琉生に刺激を受けたせいかもしれない。
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもある。
彼は、今また新しい仕事のまっただ中にいるらしい。映画のお仕事の方も進行中だというから、めちゃくちゃ忙しいに違いない。
この間、テレビで、彼が出演するドラマの制作発表の映像を見た。彼は濃紺のスーツ姿で、出演者たちの中央寄り、主演の人の隣りに立っていた。そのキリッとした立ち姿は高校生とは思えないくらい大人びて見えた。
主演の人は同じ事務所の先輩で、日頃仲良しなのだと話していた。
彼の役どころは主役の弟役で、見た目は完璧、でも性格はおっとりさんで、ちょっとポンコツという役柄らしい。面白そうだ。
兄はいつも鮮やかに事件の謎を解く天才大学生探偵。弟は、ついつい巻き込まれて、兄の助手をするハメになる、お人好し。でも、そんな彼が時々口にするひと言が事件解決のきっかけになる、こともあるらしい。(まるっきりの大ボケ発言のことも多いとか)
コメディタッチで、これまた、琉生の新しい魅力がいっぱい引き出されそうだ。
前に見たドラマのように、凄絶なまでの美しい悲劇の人物もカッコいいけど、ちょっとポンコツの琉生、なんて可愛いじゃないか。
……いいなあ。
琉生を主役にして、物語を書いている私には、彼に実写版で演じてもらえる、作家さんたちが羨ましくてならない。
ため息が洩れる。
いつか、私に、そんな日が来るんだろうか。
……永久に来ないのかもしれない。
自分は、いつまでも同じところで、うろうろしているのに、彼は、どんどん夢に向かって進んでいく。
どんどんその差が開いていく。
日々まともに話す機会すらないままに、どんどん距離が開いていく。
進んでいくねんなあ……。
そう思うと、自分も何か一歩でも進みたい、と思った。
殻を破る、ってほどじゃなくても。
でも――――何ができる?
まだ、語れるものは何も持っていない。
いや。一つだけある。
ヘタでもなんでも。
書くことが好き。
そのことだけは。
書くことが好き。
私は、それを、ちゃんと口に出してみることにした。
もちろん。それで、何がどう変わるってわけじゃないけど。
入部希望を表明した翌日の昼休み。
私は図書館に行った。少しでも時間があると、図書館の棚をいろいろ眺めて回る。
この図書館にも、中学の時と同じような雰囲気の文学全集の棚がある。
ここの棚の本も読んだら、願いが叶ったりするのかな。
そんなことをちらっと思いながら、本を手に取り軽く流し読みして、棚に戻す。
そして、軽く手を合わせてみる。
どうかどうか。
琉生と話ができますように。
どうかどうか。
そのとき、少し離れたところから、わずかに気配を感じた。
っしゃ! って声が聞こえた気がした。気のせいかもしれないけど。
誰かが近づいてくる。
まさかね。まさかね。まさかまさか……
だんだんドキドキが大きくなる。
まさか。
すぐそばで声がした。
「もしかして、ここの棚も、読むといいことがあるの?」
琉生の声だ。
(やった! 叶った!)
顔を上げると、琉生が穏やかに笑っていた!
嬉しすぎて、一瞬声が出なくて、私はこくこく首を縦に振った。




