㉖きっと、大丈夫。
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもある。
しかも、同じ図書委員という任務?を背負い、私の隣で図書館のカウンターにいる。
今日は、その最後の日だ。
最後だと思うと、よりいっそう、この場所が愛おしく思えてくる。
私たちは2人で、図書館の素敵さと、利用しやすい建物とは、というテーマでひとしきり話しまくった。そして、ふっと話が途切れた瞬間、「ありがとう」と言って、琉生がカウンターの下でこっそり手渡してくれたのは、小さな紙袋だった。
「え?」
これは夢? 妄想がすぎるぞ、自分。
そう思って、膝小僧の肉をぎゅううっとつまんだけれど、どうやらそれはリアルのようで。
琉生の目が、「開けてみて」と優しく促す。
袋を開けてみる。
小さな銀色の箱のようなものが入っている。手のひらにすっぽり収まるくらいの。
「え? これ? すごい!……ええ~」
思わずため息が洩れる。必死で声を抑える。
「出してみて、いい?」
「うん」 琉生が静かにうなずいた。
そっと、取り出すと、それは、小さな本のマスコットだった。
手のひらに乗るほどの小さな箱には、『はてしない物語』というタイトルの文字。ミヒャエル・エンデの本のミニチュアだ。
琉生がささやくように言う。
「長い長いファンタジー書いてるって、言ってたでしょ。それが無事完成するように、という願いも込めて」
紙箱の中には羊毛フェルトで出来た小さな本のマスコットが入っている。本物のそれと近い赤色だ。
「すごい……。これ、琉生くんが?」
外箱もリアルだ。箱から赤い本のマスコットを入れたり出したり、半分だけ引き出してみたり、する。可愛い。
「すっごい、リアル。……ちょっと待ってて」
私は、立ち上がって、外国文学のエンデの棚から、同じ装丁の実物を持って、カウンターに戻る。
二つを並べてみる。
思わず声が出る。
「うわあ……。すごい。すごく可愛い」
ああ。なんというボキャブラリーのなさ。でも、頭に血が上って、言葉が出てこない。
「ほんとは、箱の絵も手描きでそっくりに仕上げたかったんだけど、いまいち、うまくいかなくて。で、縮小コピーして、厚めの画用紙に貼り付けて作った。その代わり、中の表紙の赤色、がんばって再現率高めだと思う」
琉生がちょっと嬉しそうに笑う。
「うんうん」
私は夢中でうなずく。館内の女子たちの注目を引かないように、精一杯声を抑える。それでもこの感激は抑えきれない。
「これ、本当に……いいの?」(もらっていいの?)と訊いたつもりだ。
「もちろん」
琉生がくちびるの両端を少し上げてうなずき、『はてしない物語』の大きい方を手に取る。
「これ、棚に戻してくるよ。ついでにブックトラックの本たちも」
「あ、ありがとう。……ありがとう」
カウンターを出て、ブックトラックを押して歩く琉生の姿を、女子たちの熱い視線が静かに追う。
図書館で、彼がブックトラックを押す、最後の姿だ。ライブで、アンコールに出てきたアイドルを迎えるように、女子たちの目は、一斉に彼だけに注がれている。ここがライブ会場なら、大歓声が上がっていたところだ。
私も、本当なら、そんな彼の後ろ姿を全集中で見つめたいところだ。
でも、今はそれどころじゃない。焦っている。
(どうしようどうしよう。こんなプレゼントもらうなんて。想像もしてなかった。私は何にも用意してない)
手のひらサイズの小さな箱に目をやる。
可愛い。
しかも。完全に手作り。
推しの、手作り。
いいのか。そんな、そんな奇跡のように有り難いこと。
私は、手のひらの上の、小さな本のマスコットを見つめる。
前に、ブックカバーをもらい、今回は、本のマスコット(しかも手作り!)
なんか一方的にもらってばかりじゃないか。
私は、彼に本はいろいろたくさん貸してあげたけど、何もプレゼントなんてしたことない。
私から何かをあげることが、彼にとって迷惑だったり重くなったりするんじゃないかとか。いろいろ考えて、チョコレートすら、結局あげられなかったのだ。
実は、3学期のはじめ、女子たちがバレンタインに向けての相談をしているのを小耳に挟みつつ、自分も彼に渡すべきかどうか、ちょっと悩んだのだ。
「琉生くんにあげる?」
クラスの女子たちの会話には、当然琉生の名前も挙がっていた。
「そりゃあげるでしょう。将来、彼がスターになったとき、私中学の時、あの人にチョコあげた~直接手渡した~とか言えるもん」ひとりが笑いながら言った。
「なにそれ? 本命チョコじゃないの? けっこう本気で好きって言ってなかった?」
「いや、けっこう本気で好きだけど。でも、彼は、デビュー前でもあれほどの売れっ子で、お仕事行くと、周りでめっちゃ可愛いモデルさんとか女優さんとか、いっぱい見慣れてるわけでしょ。そこに私が割り込んでいけるとは到底思えないもん……」
本音らしく、ため息が洩れている。
「だよね……」
相づちを打つ方もため息交じりだ。
「……本気も何も、そもそも同じクラスって以上の接点、何もないし」
「あははは。たしかに」
ほろ苦く笑う女子たちの会話が私の胸にもずずんと刺さる。
(そうやな。私がチョコあげても、一応受け取ってはくれるかもしれへんけど、こっちがあまり本気出してたら、きっと困らせるだけやろうな……)
女子たちの会話の続きが聞こえてくる。
「でもさ、好きって気持ちだけは伝えたいよね。本気で受け取ってもらえなくても。好きだよって、伝えるだけでもできたらいいな」
「うん。そうだよね。やっぱり伝えることは大事だよ」
“気持ちだけは伝えたい”
その言葉に激しく同意しながら。
でも――――と考える。
もしも、好きって伝えたとして、彼の返事は容易に想像がつく。
彼に、ごめん、って言わせたくない。
でも、間違いなく、彼は“ごめん”と言うだろう。
そしたら、放課後の図書館で、同じ図書委員として気軽に話せる時間を失ってしまうことは確実だ。
言われへん。
言うたらあかん。
めっちゃ推してるけど。
めちゃくちゃ、大好き。やけど。
でも、それを言っちゃダメだ。
それでも、バレンタインの日。
私は、秘かに小さな一口サイズのチョコをポケットに忍ばせた。
本気を伝えるのは無理でも、ささやかな感謝ぐらいは伝えようと思って。
でも、その日、彼は一日中、女子たちの熱い視線にさらされていて、私は彼に近づくスキすらなかったのだ。
ほんとは、「いつもありがとう。これおやつ」なんて言って、気軽に渡したかったのに。
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもある。
しかも、同じ図書委員という任務?を背負い、私の隣で図書館のカウンターにいる。
今日は、その最後の日だ。
図書館に集まる女子たちが熱い視線で見つめる視線の先には、アイドルの卵である、彼がいる。
当番最後ということもあってか、いつもより愛想よく女子たちに笑顔を返しながら、彼は本を丁寧に棚に返していく。
そのスラリとした姿を横目で追いながら、私は彼の言葉を反芻する。
(長い長いファンタジー書いてるって、言ってたでしょ。それが無事完成するように、という願いも込めて)
彼はそう言った。
私の作品の完成を願っている、と。
嬉しい。
嬉しくて、何度も彼の言葉を反芻する。
何度も何度も、彼のささやく声を脳内でリピートする。
(……無事完成するように、という願いも込めて)
“願いも込めて”
ん?
ちょっと待て。
願いもこめて?
願いも?
“も”って何?
“も”ってことは、完成を願う以外にも何かあるってこと?
頭の中で秘かに“も”を分析しているうちに、琉生がカウンターに戻ってきた。
あわてて、彼をねぎらう言葉を思い浮かべる。
「さ、最後のおつとめ、ご苦労様ですっ」
まるで親分の出所を出迎えるみたいになってしまった。
ぶふっ。
彼が吹きだした。
「織田さんって、面白いね」
彼が隣で笑っている。
隣で。笑っている。彼が。
もう最後なんだ。
私は、目に涙がにじみそうになるのを必死でこらえながら、一緒に笑う。
そうだ。
私にはこれがある。
手のひらで、そっと銀色の箱を包み込む。
彼がくれた、このマスコットは私の一生のお守りだ。
これがあれば。
私は、大丈夫。
きっと、大丈夫。




