㉓抱きしめたくて。
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもある。
しかも、同じ図書委員という任務?を背負って、時々図書館のカウンターで私の隣りにいる。
やっと長い冬休みが終わって(体感としては、去年の夏休みより長かった)、彼は今、図書館にいる。そして、私も図書館にいる。3学期に入って、なかなか当番の日が巡ってこなかったので、ちょっと久しぶりだ。
今日、私たちは、カウンターから出て館内を歩き回り、本を捜索している。
「行方不明本がいくつかあってね。ここに、リストは用意したから、探してみてくれる?」
司書教諭の先生が私たちに、1枚の紙を差し出した。
「パソコンの画面上では、貸し出されていないことになってるんだけど、あるはずの棚には、何度探しても見当たらなくて。どこか他に紛れてる可能性があるから、館内の棚全部見て回って、探してくれるかな? とんでもなく全然見当違いのところに入ってることもあるから……」
先生の言葉に、琉生がリストを受け取りながら応える。
「わかりました。見つけたら、正しい場所に入れ直して、このリストから消しておけばいいですね」
「そうそう。ペンで横線入れて、消しといて。じゃあ、ごめんね、ちょっと打ち合わせが入ってて、一緒に作業できないんだけど、閉館時間が来たら、戸締まり消灯して、カギは職員室に返しといてもらえる?」
「はい。了解です」
私も笑顔で応える。
館内巡回中、という札を立てて、琉生と私は、カウンターを離れる。
「どこから見る?」
新学期を前にカットしたのか、琉生が少しだけ短くなった前髪をかき上げながら言う。形のきれいな額が、透き通るように白い。お肌はシミもホクロもなく、すべすべだ。至近距離でも毛穴が見えない。
眉がくっきりときれいなカーブを描き、長い睫毛が切れ長の目の上で静かに上下する。完璧なまでに綺麗だ。
(もしかして、メイクしてるん? まさかな……)
一瞬ぼんやり、その顔を見上げてしまう。
ぼんやりしている私に、琉生が言った。
「手分けして探す? 織田さんは、どの棚がいい?」
「う~ん」
せっかくそばにいられる当番の日に、バラバラで棚を巡る、なんて。
そんなん、残念すぎる。
ぜったい、……いやや。
(神様神様。ちょっとだけ、ワガママ言わせてください。彼と一緒におりたいです。だから……)
心の中で願う。
次の瞬間、私は、素早く提案していた。
「一緒に回ろう。2コの目よりも、4コの目で、じっくり見た方が発見しやすいかも。そうやって、一つ一つの棚を確実に、チェックして行く方がいいような気がする」
「なるほど。2人の目で見て、見落としを防ぐ、か。いいね。そうしよう」
琉生があっさり納得して同意してくれたので、私たちは、2人でまず、入り口近くの哲学や心理学関係の棚から始める。この辺に近寄る生徒は、古い全集の棚と同じくらい、ほとんどいない。
館内にいる女の子たちの目が私たち(注目してるのは、当然ながら琉生だけだ)の姿を追っている気配を感じる。
リストは、1枚しかないので、2人でのぞきこむ。お互いの顔が近い。リストを持つ琉生の背が高いので、私は、少しだけ背伸びしてのぞきこむ。
「あ。ごめん、見えにくいよね。織田さんが、リスト持つ?」
琉生が小さな声でささやく。
「いい。だって、私が持つと、琉生くん、腰かがめることになって、そっちの方がしんどいでしょ」
「あ。うん。ありがとう。じゃあ、僕が持つね」
リストのタイトルを頭に入れつつ、棚の本のタイトルも、できるだけ記憶するようにしっかり見る。
2人で、近くに立って、同じ棚をじっと見る。端から端まで。
時々隣で、「あ。こんな本あるんだ」とか、「お。いいな。面白そう」
つぶやくように琉生が言う。
そして、時々、かすかにハミングしている。
なんだか機嫌が良さそうだ。もともと不機嫌にしてるところなど見たことはないけど。
そのハミングをよく聴くと、HSTの曲だった。お正月のライブでも歌っていた曲だ。
ライブのときのことを思い出して、思わず小さな声でささやく。
「その曲、お正月のライブで、HSTが歌ってたね」
「え? あ。聞こえた?」
琉生の白い頬が、一瞬、ピンク色になる。照れくさそうだ。
「うん。お正月のライブ、私も行っててん。めちゃくちゃよかったよね」
「めっちゃよかったよね。……そっかあ。織田さんも来てたんだね。僕も行ってた。想太と一緒に」
(知ってる)
「そうやね。時々大型モニターに映ってたよね。それで圭くんにファンサしてもらったりしてたね?」
「そうそう、すっごい嬉しかった」
ほんとは、モニターに映る前から、望遠鏡や双眼鏡で琉生たちの姿を見てた、ということは言わなかった。
どこを見たらいいか迷って、百目鬼になりたいとさえ思ったことも、もちろん、言わない。
棚を眺めながら、
「ねえ。織田さんは、ライブのときって、一番どこに注目する?」
琉生がまじめな顔で言う。
「ステージセット? 衣装? それとも出演者たち?」
「……そりゃあ、全部。セットも、衣装も出演者も全部。でも……」
「でも?」
「でも、結局のところ、一番必死で見てるのは、出演者。ステージ上を駆け巡ってる出演者ひとりを見てる」
「ひとり? 7人とか8人いても?」
「うん」
「もちろん、全体も見てるけど、でも、一番見たい人だけをどんなに遠くにいてもずっと、見てる。私の従姉妹なんか、妹尾圭くんのファンだから、最初から最後まで、圭くんしか見ない、って言いきってるくらい。ほんの一瞬だって見逃したくないって。それで、会場に1つでも多く、圭くんのメンバーカラーを灯したいからって、一緒に行った私にも、ブルーのライトとうちわを渡してきて」
「そうかぁ。確かに、圭さん、すごく素敵だもんな。実は、僕もステージの勉強だから、ステージ全体やメンバー全員の動きを見ようって思うんだけど、気がついたら、ひとりだけ目で追ってしまってることが多いんだ。特に、圭さんが出てるとどうしても……」
「琉生くんもそうなんやね」
私がうなずくと、琉生は、ふっと目元をなごませてほほ笑むと、
「そっか……。同じ会場で、圭さんの姿追ってたんだね。同じ空間の中で、同じ人を応援しながら見てたって、なんか、いいね……」
私は、無言で、力一杯うなずく。
(そう。同じ空間にいたんだよ。同じ人を見つめて)
少しの沈黙のあと、琉生が低い声で、
「いつか……いつか僕がデビューして、ステージに立ったら…………いや。いい」
話しかけたのを途中で止め、最後のところを慌てたように言って、琉生は黙った。
でも私の耳には、……のところで、琉生が早口で
(見に来てくれる? 僕の色のライトを灯してくれる?)、そう言ったように聞こえた、気がした。
だから、私は、声に出さずに答える。
(行く。絶対行く。ライトも、琉生くんの色を灯す。そして、ずっと最初から最後まで、琉生くんだけを見てる)
そこに何人いようと、本当に、一瞬でも見逃したくない人は――――ひとりだけ。
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもある。
しかも、同じ図書委員という任務?を背負って、時々図書館のカウンターで私の隣りにいる。
今、私たちは、カウンターの外で、本棚に向かって立ち、行方不明の本を探している。
隣で、一番上の段を見つめていた琉生が、ハッとしてかたまった気配がした。ハミングが止まる。
「どうしたん?」小声で訊くと、
「いる」
「え?」
何が? と訊くまでもなかった。
琉生は、私の腕を引っ張って、哲学書の棚を離れ、カウンターに向けて走り出した。カウンター内には、最近、装備された、G対策用のスプレー缶がある。噴射したら凍りつくというヤツだ。
琉生が突然、私の腕をとって走る姿に、館内が大きくざわめく。
(なんで腕組んでるの?)
(何、あの子、あんなにくっついて)
非難の矢?が飛んでくる。
(ちゃうねんちゃうねん。腕組んでるわけちゃうねん。緊急事態やねん)
ざわめきに向かって、誤解だ!と言いたいところだ。
私は、素早く彼から離れて、カウンター内のスプレー缶を手にする。Gよりも、女子たちの視線の方がもっと怖い。
「私が行くから。まかせて」
力強く琉生に言う。
私が、Gから琉生を守る。
あ、ちゃうか。
Gから図書館を守る?
とにかく、私は、缶をいつでも噴射できるように構えつつ、棚に戻る。テキがさっきと同じ場所にいるとは限らない。警戒を怠ってはならぬ。視線を左右に走らせる。
さっきの棚まで戻ると、まだ、テキはのんびり、一番上の棚にいた。
でも、私の殺気を感じたのか、ささっと棚の向こう側に移動した。そして、入り口そばの低い本棚の上に飛び移った。
「うぎゃ!」琉生が、うめく。
よりによって、琉生がその棚の近くにいたのだ。
たぶん、自分だけ安全圏にいるなんて、私に申し訳ないと思って、近くまで戻ってきたのだろう。
Gが狙いやすい位置で動きを止めた。琉生のすぐ近くだ。
「離れて!」
私は琉生に叫び、Gに向かって凍らせるスプレーを噴射する。
慌てて飛び退いた琉生のすぐ近くで、Gは凍りつき動きを止めた。
凍ったGを素早くティッシュで捕獲して、「ごめんな。でも、今度はここへ来んといてな」と謝りつつ、古い新聞紙でくるみビニール袋に入れた。
一段落ついて、
「ふう。これ、ちょっと片付けに行ってくるから。カウンターよろしく」
私は、琉生に言う。
「え、でも」
「お客さんいてるから」
カウンター前に、何人か本を持って立っている子たちがいる。常連さんたちだ。
「じゃ、よろしく」
琉生にそう言って、私は、ついでに館内のすべてのゴミも袋にひとまとめにして、歩き出す。
入り口まで来ると、横から、にこやかな声がした。
「勇敢だったね。おつかれさま」
学級委員の佐藤くんだった。
「あ。来てたん?」
「うん。手伝おうかと思って、そばまで来たけど、あっという間の活躍で。カッコよかったよ。お見事!」
「ええ~そんな、恥ずかしい~。必死やっただけ」
「いや、それにしても、琉生があんなにかたまっておびえてるの珍しいな。初めて見た」
佐藤くんが、ふふと笑う。
「私は2回目。前は肩に乗られて、めっちゃ焦ってた」
「いつも冷静な顔してるのに、あんな琉生みたら……ちょっと可愛いな」
「たしかに」
2人で図書館を出て、少し歩き出すと、すぐに後ろから足音が追いかけてきた。琉生だった。
「織田さん、ごめん。織田さんでないと、わからない問い合わせがあって。僕が、それ捨ててくるから、対応お願い」
私の手から、さっとゴミ袋を奪って、琉生が佐藤くんと並ぶ。
「え? あ。うん。ありがとう。……じゃあ。」
私は、琉生にお礼を言って、佐藤くんにも手を振った。
2人は歩き出し、佐藤くんが、琉生に話しかけている。
「今日はめっちゃ貴重なシーン見たなぁ~」
「うるせ~。ほんとに、Gだけは無理なんだよっ」
琉生が少し乱暴な言葉遣いで、佐藤くんに言い返している。
「ふ~ん。そう? オレが言ってるのは、Gのことだけじゃないんだけどね~」
佐藤くんが笑っている。
「他に何があるんだよ」
琉生のちょっとムキになっている声。
「いやあ~ないない~あるけど、ない~」
佐藤くんの歌うように笑う声。
よくわからない2人の会話を背後に聞きながら、私は、急いで図書館に戻る。
ところが、カウンターには、誰の姿もなくて、私は首をひねった。
周りを見回す。でも、誰もいない。
もしかしたら、当番が誰もいなくなって、あきらめて行ってしまったのかも。
だとしたら、ごめんなさい、だな。
カウンター内で座っていると、しばらくして、琉生が戻ってきた。
「ほんとにごめんね。ありがとう。毎度、情けないところをお見せして」
琉生がぺこりと頭を下げる。
「だいじょうぶ。誰でも苦手なものはあるんやし」
「ありがとう」
「私も、青虫とか芋虫とかムカデとかは全く無理やから、そういうのが出たときには、頼むね」
「うん」
琉生が神妙な顔でうなずく。
うん、とは言ったものの、まかせとけ、って顔じゃない。
もしかして、虫全般無理な人なのかも?
「もしかして、琉生くん、虫全般、苦手?」
「……う。いや、大丈夫なのも、ある。カエルとか」
私は思わず吹きだしてしまった。
「それって」
「あ。カエル、虫じゃなかった」
可愛い。
やっぱり、私は、この人が、大好きだ。
――――アイドルでもそうじゃなくても。
虫ぐらい、私がなんとかするよ。
――――困った顔で目の前にいるその人を、抱きしめたくて。




