⑰そうだったら。
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもある。
しかも、同じ図書委員という任務?を背負い、週に1~2回、私の隣で図書館のカウンターにいる。
今日、彼は、図書館のカウンターにいる。
来週から冬休みに入るので、当番の年内最後の日だ。
彼をそばで見られる放課後は年内最終ということで、いつも以上に女子たちの姿が多い館内には、静かな熱気が溢れている。
私は、カバンから1冊の本を取り出した。
「あのね」
私は琉生に小さく声をかける。
「ん?」
琉生の切れ長の目が私の方を向く。次の瞬間、目元が優しくゆるみ、ちょっぴりイタズラっぽい笑顔になる。目の輝きで彼がワクワクしているのが伝わってくる。
なんだか嬉しくなる笑顔だ。
「この本ね、昨日読み終わったばかりなんやけど」
私は本を差し出す。
本の表紙には、『ヤングタイマーズのお悩み相談室』石川宏千花(くもん出版)と書かれている。
「ラジオ番組に寄せられた中学生の悩みに対して、パーソナリティーの二人が真摯に言葉を紡いでこたえていく、っていう設定のお話でね」
「うんうん」
「すっごくよかったよ。6つのお話で構成されていて、登場する中学生それぞれが悩んでる内容はみんな違うけど、どれもなんか、わかるわかる……って思えて。でね、その悩みを二人のパーソナリティーの語りが、柔らかく解きほぐしてくれる感じやねん。泣きながら読んだところもあるよ。すごくよかった……」
「読みたい」
琉生が即座に言った。
彼はどんなに忙しくても、本を読む時間はなんとかして捻出すると前に話していた。
そして、私がおすすめする本は、必ず「読みたい!」と言ってくれる。
なんだか嬉しい。離れた場所にいても、同じ本を読んでいる時間は、同じ空間を共有したような気持ちになる。
「織田さんのおすすめにハズレはないからね」
よく彼はそういう。そんなとき私は、
「そう言ってくださるとは、大変光栄です~」
たまにふざけて返すけれど、ほんとは心の中で地面から30センチは浮き上がりそうなくらい、舞い上がっている。(30センチでは、舞い上がってるとは言わへんか?)
お互いの本を貸し借りして読みながら、相手は、どこを読んで響いたのか、どこで泣いたのか。気に入った一文って、どれ? そんなことを想像しながら読む。
そして、次に本を返すときに、その答え合わせをするのが楽しみだ。
同じ本を読んでも、響くところはそれぞれ違うこともあるし、全く重なることもある。
違っても同じでも楽しい。
誰かと同じ本を読む、ということは、その人の思考を探ることにも繋がる。
そう思うと、本の貸出カードに名前が残る、というのは、けっこうキケン? な気もする。
どんな本を読むか、というのは、やはり大切な個人情報なのだ。
それも、その人の心や思考に関わる個人情報なのだ。
手渡した本を熱心に見ている琉生に、私は言った。
「じゃあ、どうぞ。これ、私の本やから、ゆっくり読んで。冬休みの間ずっと持ってていいよ」
彼が嬉しそうだと、私も思わず笑顔になる。
「織田さんのおすすめにハズレはないもんな」
琉生がほほ笑む。
その笑顔にうっかりクラっときてKOされそうだったけど、私の脳内リングサイドで、セコンドがタオルを握って迷っているうちに、幸いカウンターにお客さんたちが立て続けにやってきて、私はなんとか踏みとどまれた。やれやれ……
カウンターから人がいなくなったとき、
「そうだ。忘れないうちに……」
琉生が、カバンの中に手を入れて、小さな袋を取り出した。
そして、
「はい。これ。いつも、面白い本、教えてもらってるお礼」
そう言って、カウンターの下で、その袋を私に差し出した。
(え? え?)
戸惑いながら袋の中を覗くと、ブックカバーが入っている。
そっと取り出して、広げてみる。
(うわあ……!)
思わずため息と共に声が出そうになるのを必死でこらえる。
注目を浴びるわけにはいかない。
それは、きれいな空色の布地でできていて、広げるとカバー全体が青空みたいだ。
上の方に、ふわりとした小さな白い雲が浮かんでいる。
右下にいる小さな黒猫がまん丸な目で、その雲を見上げている。
可愛くて、賢くて、ちょっとイタズラ好きな顔をした、ちび猫。
まるで、今からあの雲に乗って冒険に出かけるぞ、って表情だ。
「冒険、ねこ?」
不意に浮かんだ言葉を思わず口にすると、琉生がびっくりしている。
「え? 知ってるの? そのキャラクタ-」と言った。
「え? ううん。……ほんとにそんな名前なん?」
私も驚いた。
「うん。主に布製の雑貨を中心にデザインしてる作家さんが作ったやつで、この間、想太と取材で町巡りしたときに見かけてさ。その横に『冒険ねこ』って書いたPOPがあった」
「そうなんやぁ。知らんかったけど、このコ見てたら、なんかそんな言葉が浮かんできて……すごく可愛いね」
「うん。いろんなバージョンがあってね。気球に乗ってるやつとか、虹によじ登ってるやつとか、砂漠をラクダと並んで歩いてるのとか、浮き輪をして海に浮かんでるのとか、いろいろ……」
「すごい……。ほんとに冒険してるコなんやね」
頭の中で、冒険ねこがいろんな場所を走り回っている姿が浮かんでくる。
「お土産にいくつか買ったから、そのうちの一つ。おすそわけ」
琉生が軽やかに言う。私に負担を感じさせない気遣いなのだろう。
それにしても。
“天にも昇るほど”という表現があるけど、まさに、今の私の気持ちがそれだ。
でも、ここは図書館のカウンター。しかも、いつもより多い女子たちのひしめく図書館だ。
飛び上がりそうな気持ちをぐっと抑える。
ほんの少し、琉生が心配そうな顔をしてるような気がする。
私が気に入らないとでも思ったのだろうか?
こんなにこんなに喜んでいるのだけど。
……私のリアクションは薄すぎやしないか。ちょっぴり不安になる。
私は昔から、喜びや感激を表現するのが苦手で、ヘタクソだ。
すごく嬉しいのに、なんかありきたりのことしか言えないことも多くて、ちゃんと気持ちが伝わっているかどうかあやしいのだ。
でも、今、私はめちゃくちゃ嬉しい。だから、苦手とかいってる場合じゃない。
もちろん、大きな声を出すわけにはいかないけど、なんとかこの喜びを伝えたい。
――――でも。
ふと思ってしまう。
私は、彼に何かをプレゼントしたことなんてないし、何かをしてあげたことも、ない。
そんな私が、もらってもいいの?
逆に、ちょっと申し訳ない気持ちになる。
「すっごく嬉しい。でも、いいのかな。こんないいものもらって……」
私の言葉に琉生がゆるやかに首を振って、
「いつも面白い本貸してもらってる、お礼だから」
「……ありがとう」
館内にいる女子たちの目を引きつけないように、精一杯心を込めて、でも控えめな笑顔と声でお礼を言う。そして、カバンから文庫本を取り出し、さっそく書店名の入った紙カバーから、冒険ねこのブックカバーに付け替える。
めちゃくちゃ素敵だ。
「うわあ……やったぁ……」
素敵すぎて見とれてしまう。
本は“冒険の世界への扉”だと思っているけど、まさに、その扉をくぐり抜けようとしている小さな猫がそこにいる。ほんとに本にぴったりのデザインだ。
私は、カバーの空色と小さな子猫を見つめながら、一生懸命言う。
「私ね、ブックカバー好きなんやけど、カバーにお金かけてしまうと、本を買うお金が減ってしまうやん? せやから、本屋さんの紙カバーですませててん。……こんな素敵なの、すっごいすっごい嬉しい」
ああ。なんて貧弱なボキャブラリー。
でも嬉しすぎて、さっきから、顔がずっと笑ってしまっている気がする。
ブックカバーから、目が離せない。
目を離したすきに、ちび猫が、私より先に、本の世界に飛び込んでいってしまいそうで。
どうしよう……今夜はきっと、眠れない。
嬉しすぎて。幸せすぎて。
全集の棚の本、最近いくつか読んだけど、何もないなあ、と思っていたら。
ここへきて、冬休み前の大盤振る舞いなん? ……まさかね。
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもある。
しかも、同じ図書委員という任務?を背負い、週に1~2回、私の隣で図書館のカウンターにいる。
そんな彼は、アイドルの卵だ。
「さあ。ちょっとお仕事してくるね」
立ち上がった彼は、ブックトラックに、棚に戻さないといけない沢山の本を載せて、フロアへ出て行く。
「ありがとう。いってらっしゃい」
彼を見送った私は、ちび猫の見張りだ。
今日は、年内最後の当番の日。
アイドルの卵は、フロアのあちこちに佇む女子たちの視線に穏やかなほほ笑みを返しつつ棚に本を戻し、ゆったり歩いて行く。
その後ろ姿と、ブックカバーのきれいな“空”を見つめながら、ふと私は思う。
(もしかしてもしかしたら、このカバーを見たとき、私の名前、思い出してくれたのかな?)
そうだったら、嬉しいな。




