⑪放課後の図書館で
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもある。
しかも、同じ図書委員という任務?を背負い、週に1~2回、私の隣で図書館のカウンターにいる。
でも、今日は図書館の中にはいるが、カウンターにはいない。
しんと静かな放課後の図書館には、私たち以外誰もいない。
少し空気がひんやりしているように感じる。
「なんか……空気がひんやりしてるね」
琉生が呟くように言う。同じことを思っていたらしい。
「うん」
もしかしたら、人はそこにいるだけで、その場所の空気をあたためているのかもしれない、なんて思う。
「いいね。こんな静けさも」
琉生は人のいない図書館を見渡して言う。
気を遣わないでいられるから、彼にとっては、ホッとするのかもしれない。
「あのね。先生が、『今日はパソコンは立ち上げずに、本のバーコードの数字だけメモしておいて引き出しに入れといて』って」
琉生が言った。
通常、本の貸出返却は、図書館用パソコンに装備されている図書システムを使って、本についている資料バーコードの数字を読み取って行う。
でも、今日は、パソコンを使わずに、数字だけメモしておいて、あとで貸出入力をするということだ。
ずっと以前は、それぞれの本の裏表紙の内側に貸出カードの入った紙のポケットがついていて、そこからカードを抜き取り、その本を借りる人が名前を書き込み、そのカードはカウンターで保管していたらしい。
前に見たジブリの映画の中で、主人公たちが本を借りるとき、そんなシステムになっていた。借りるたびに名前を書くのでカードを見れば、その本を借りた人の名前がカードに残っている。
映画の中では、そのことをすごくロマンチックに描いていたけれど、個人情報の保護においては確かに問題だとは思う。
でも、正直言うと、映画で見たとき、ちょっとときめいた。なんかいいなあって。
例えば、琉生が借りたあとに自分がその本を借りたとしたら、貸出カードに彼の名前と自分の名前が並ぶのだ。
それって、少し、いや、けっこう嬉しいかもしれない、なんて。
実際に、彼のあとをついて歩くことはできなくても、読書の足跡ならそっと辿れるから。
新刊コーナーに立っている琉生に訊いた。
「何借りるの?」
「ん? えっとね。『英国公文書の世界史』っていう本」
(*『英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱』小林恭子著、中公新書ラクレ)
琉生が嬉しそうに顔をほころばせる。
「先生に入れてくださいってお願いしてたら、届いたよって、今朝言われたんだ」
「どんな本?」
嬉しそうな琉生を見て、私も興味が湧いてくる。
「英国国立公文書館ってね、中世から現代に至るまでの、千年にわたる歴史資料を保管してるんだって。シェイクスピアの遺言書とか、夏目漱石の名前が載ってる下宿屋の記録とか、シャーロック・ホームズに宛ての手紙とか。タイタニック号の最後のメッセージ、原爆開発についての覚え書き、とか。他にもいろいろ」
「うわ。めっちゃ気になる。」
「だろ? 新書で読みやすいし、長い小説じゃないから、すき間時間でも読めるかな、と思って」
「私、次借りるから、読み終わったら教えて。あ、でも、焦らず、ゆっくりでいいからね」
琉生が関心を持つ本のジャンルは幅広い。
「とにかく気になったら、読む」という。その際、ジャンルは気にしないんだそうだ。
私も同じだ。何がどんなふうに役に立つかわからないし、自分が好きになれるものに思いがけず出会えるかもしれないから。
「織田さんは? 何借りるの?」
「えっとね。まだ決めてなかってんけど、新しく入った本のコーナーから借りようと思って」
琉生の隣りに並んで棚を見る。でも、あまり迷っている時間はない。
見ていると、今回、建物と英国をテーマにした本が多い。その中で気になったタイトルのものを手に取る。
『児童文学の中の家』(*『児童文学の中の家』深井せつ子著、エクスナレッジ)
27の名作に出てくる家や住まいを紹介している。可愛いほのぼのとした雰囲気のイラストも素敵だ。
「これにする」
横からその本のページをのぞいて、琉生も、
「お。それも面白そう。じゃあ、僕、次借りるから、読み終わったら教えて。あ、でも、焦らないでゆっくりでいいからね」
さっきの私の言葉を真似た琉生が、ふふと笑う。私も、笑って隣の琉生を見上げる。
次の瞬間、目と目が合った。トクン、と私の胸が鳴る。
思わずため息が洩れそうになる。
(ああ。なんでこの人は、こんなにきれいに笑うんだろう……)
時々、私は、彼が同い年の中学生だということを忘れそうになる。はるかずっと年上の(いや決して彼が老けているという意味ではない)、落ち着いた大人の男性のような気がしてしまうときがある。
彼の笑顔と声は人をドキドキさせるのと同時に、一緒にいればなんでも乗り越えられそうな、心強さ、頼もしさを感じさせる。
(この人といれば)
そんな安心感と温かさ。
見た目のクールな雰囲気とは違って、彼の声も笑顔も、すごく優しい。派手な感じやチャラい感じは全くない。
もちろん、ステージ上ではものすごく華やかだけど、中身は、ごく普通の、いい人なのだ。
よく、マンガやアニメやドラマなんかで、ツンデレなキャラがいるけど、実際の生活ではいかがなものか。仲のいい人にだけ優しくても、それ以外の人には冷淡すぎたりイジワルな人はいやだなと思う。八方美人がいいとは思わないけど、普通に親切な、誰に対しても思いやりのある人がいい。
自分にだけ親切とか、優しいとか、そんな特別感がヒロインの心をくすぐるのかもしれないけど。
でも、もし、好きじゃなくなったら、自分に対しても冷たくきつくなってしまうのかも、と思うと、私だったら不安でしかない。
琉生を見ていて、そう思うようになった。
(やっぱり、ツンデレ、要らんなぁ)
「その本、貸して。僕のと一緒に、バーコードナンバー、メモするから」
琉生は私から本を受け取ると、カウンターに向かって、長い足でゆったり進んでいく。
彼の後を追うように、私は小走りについて行く。
カウンターで、メモ用紙とペンを手にした琉生が、本を見ながらタイトルと資料バーコードの数字を書き、その横に自分と私の名前を書く。ほとんどクセのない、きれいな字。一つひとつの文字の大きさが揃っていて見やすい。
彼が私の名前を書く。2人の名前が並ぶ。そのことにそっと胸がときめいた。
書き終えたメモを、彼は書庫にある先生の机の引き出しに入れた。
「一応、個人情報だから、その辺に置いとくのは、ね」
「じゃあ、行こうか」
彼がカウンターからカギを取り上げた。
「あ! ちょっとだけ待って!」
私は、大急ぎで、奥の全集の棚に走って行く。
(ありがとうございます。今日は帰りますが、また今度読みに来ます。今日もいいことありました)
柏手こそ打たなかったけど、私は全集の棚に手をそっと合わせる。
「織田さん?」
あとをついてきた琉生が、全集の棚の陰からひょっこり顔を出した。
その次の瞬間、彼の肩に、棚からサササと走り出てきた小さな黒い何かが飛び乗った。Gだ。
「え? うわっ?!」と自分の肩に飛び乗ったそれを見て、彼はカギを取り落として叫び、私は果敢に彼の肩から、Gを払いのけた。
Gはどこかに姿を消した。が、
「……むり。めっちゃ、むり。めちゃくちゃむり」
むりの原級、比較級、最上級? を琉生が呟き、小さく首を振りながら恐ろしそうに自分の制服の肩を見ている。
私も、別にGは好きじゃないけど、そこまでむり、ではない。だから、ハンカチで彼の肩を軽く払うように拭いて言った。
「大丈夫。もうどっか行ったよ」
「でも、1匹見たら100匹いると思えって……」
「そだね。たぶんどっかにはいてるね」
「うう……」
ちょっぴり涙目にも見える。
よほど苦手らしい。
それでも彼は、私をほったらかしてその場から逃げたりしなかった。
ただ固まってただけ? かもしれないけど。
でもたぶん、彼は、怖くても、怖いと言いつつも逃げずに一緒にいてくれる人のような気がして、私は嬉しかった。
(やっぱり、いい人や)
「じゃあ、行こうか」
今度は私が言った。
彼の落としたカギも拾って、私が持っている。
「うん」
彼がうなずく。
カギを閉めて廊下を歩き出すと、
「織田さん、ありがとう。助けてくれて」
琉生が、恥ずかしそうに笑った。
「先生に、絶対G対策相談するからね」
「うん」
なんだか、神妙な彼が可愛い。
ちょっぴり笑いがこみ上げてくる。
「せやから。Gおるから当番行けへんとか言わ……」
私が笑いをこらえつつ言いかけると、
「……言わへん。怖いけど。……言わへん。ゼッタイ」
琉生が関西弁で言った。
藤澤 琉生。
彼は、私の推しだ。
そして、クラスメートでもある。
しかも、同じ図書委員という任務?を背負い、週に1~2回、私の隣で図書館のカウンターにいる。
そんな彼は、アイドルの卵だ。
デビューの日を夢見て、日々努力を重ねている。
そんな彼には、苦手なものがある。
Gだ。
翌日、私は、司書教諭の先生に、さっそくお願いしに行った。
「Gがいます」
「ウエ……」
先生も苦手らしい。困った顔で舌を出した。
「対策が必要です。でないと、図書当番も来館者もみんなが来なくなります。まちがいなく、藤澤くんはこないです」
一応、本人は、『行けへんとは言わへん』と言ったけど。――――行くとは言うてへんな。そう言えば。
「う~ん……それは困るね」
先生は苦笑して、
「よし。近日中に、なんとかする。知らせてくれてありがとう」




