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泉の聖女と王子様

作者: チホ

セトルという王国に未来を視る力を持った国王がいた。

その力を用いて国を豊かにした王は国民からの信頼も厚かった。


しかしその王には世継ぎがいなかった。

一人目の王妃は若くして亡くなり、二人目の王妃も子を身篭れず、王の血を継いだのは身分の低い側室との間に生まれた姫だけだった。

その姫が生まれてすぐに側室も、さらには二人目の王妃も相次いで亡くなった。


国王はぼんやりと視えた未来で「王子なら立派な世継ぎに、姫なら将来重要な役割を成す賢女になる」ことを知っていた。

リリーと名付けられた姫を、国王は物心付くまで一目に出さなかった。

周囲はそれを「妾の子どもを恥だと思っているに違いない」と噂した。

人知られずリリーは育ち、幼いながらも物分かりが良く賢い子どもだと国王は思った。

ゆえに国王はリリーに二つの命令を与えた。


「人前で喋ってはならない」

「人前で笑ってはいけない」


例外として王女付きの侍女と執事長の二人は許されたが、リリーは外での交流を一切禁じられた。

さらに王は侍女と執事長に率先して姫の悪態を広めるように命令した。


なぜと問う娘に父は言った。


「本当のお前をずっと心にしまいなさい。本当のお前の役割はお前だけの力で果たさなければいけないものだ。

だから人に頼ることをしてはいけない。お前は強くありなさい。

賢いお前ならきっとなぜ強くならなければいけないかきっといつか理解ができる」


優しくそう言って父は娘の頭を撫でた。


それからセトルの姫は社交場に姿を現すようになったが、彼女は誰とも言葉を交わさず誰にも笑むことはなかった。

従者に指示を出す時は紙に文字を書いて行わせた。


『喋ることもできず、愛想もなく、見目ばかりのお飾りの姫』


そんな噂は国を超えて広まり、目通りした者は誰もがその噂通りだと頷く。

十歳になり、誰もが見惚れるほど美しく育ちったが、噂のせいで求婚者は誰もいなかった。



ある日隣国ビウの王族がセトルに訪問した。

ビウには三人の王子がおり、末の王子エトワールは十一歳になったばかりだった。

国王同士が歓談をしている間、王子たちはそれぞれ従者をつけて王城や庭を見てまわっていた。

しかし、エトワールは庭の散策中に従者とはぐれてしまい、迷路のような生垣を歩き回っていた。

歩き疲れた頃、エトワールは城壁の近くに生える木を見つけ、この上からなら探しやすいかもしれないと木に登る。

しかし疲れのせいか彼は途中で足を滑らせ、真下の低木に落ちてしまう。

痛みに顔をしかめたエトワールはそこでちょうど目の前の窓が開いており、大きな瞳がこちらを見ていることに気がついた。


エトワールを見ていたのはリリーだった。


しばし二人は見つめ合い、やがて堪えられなくなったリリーが口元を押さえるようにクスクスと笑い始める。

そこでようやくエトワールは自分が間抜けな格好をしていることに気づき、慌てて低木から降りた。

なんとか体勢を整えたエトワールが再びリリーを見ると、リリーの顔がみるみる青くなっていくのに気づく。

心配になったエトワールが声をかけると、リリーは少し迷ってから小さな紙に何かを書き込みエトワールに渡した。


『わたし、人の前で笑ってはいけないの』


なぜ?と尋ねるエトワールにリリーはそう命じられていることを明かす。

そんな事はおかしいと怒り出すエトワールにリリーは困ってしまった。

エトワールが初対面で笑うなんて失礼なことをしたにも関わらず、心配して怒ってくれたから。

だからリリーは自分の口でエトワールに言った。


「ではこうしましょう。さっきの貴方の醜体をわたしは秘密にするから、あなたもわたしが笑ったり喋ったりできる事は秘密にしてちょうだい」


交換条件だと彼女が小指を伸ばしてくるのをしばらく見つめてから、しぶしぶ彼も小指を出す。

ほんの少し、絡まった小指をリリーはとても温かいと思った。

それからリリーは執事長を呼ぶとエトワールを見送った。


後日、多くの国の人間が集う晩餐会にエトワールは参加していた。

彼はセトルの国王の傍で彫刻のように表情を動かさないリリーを見つける。

周囲のヒソヒソと囁くリリーの悪口が彼の耳に入り、その全てに違うと言いたい気持ちをエトワールは押し込めた。

自分の醜体をバラされたくないからではなく、父王の言いつけを守るリリーの努力を無駄にしたくなかったから。


国に帰ってからもエトワールの脳裏には笑って話すリリーの姿が焼きついて離れなかった。

それが恋だと、彼が気づくにはまだ少し時間を要する必要がある。




3年後、リリーは国王に呼び出された。


「私はこれから愚かな行いをする。民の心は私から離れ、セトルという国もなくなるであろう」


国王は言葉を切り、目を閉じる。

そして再び真っ直ぐにリリーを見て言った。


「それでも私はやらなければならない。やり遂げる。それが国王である私の責務だからだ」

「そして、お前にもやらなければならない事がある」


それから国王はリリーに強い力を宿すための修行を、この国の外れにいる聖女を師事して行えと命じた。

リリーは異を唱えることなく国王の言葉に頷く。

退室の間際、父王は優しく娘の頭を撫でた。

とても優しい眼差しで。


翌日、侍女と共に城を出たリリーは数日かけて国境付近の森の深くにいる聖女に出会う。

聖女はリリーが言葉を発しようとするのを止め、静かに森の最奥にある泉へ彼女を連れて行く。


「この泉の中で祈り続けなさい。それが貴女の試練」


リリーがそっと泉の水に触れればスッと指先から身体に伝わる温度に飛び退く。

泉は氷よりもさらに冷たく、そして深かった。

リリーは泉に入れば自力では出てこられないことを悟る。

しばらく考えてリリーはここまで着いてきてくれた侍女に願いを告げる。


「この手紙をある方に渡して欲しい。これはとても難しいこと、だけどどうか、やり遂げて欲しい。

最後までわたくしを見守ってくれた貴女だから頼むの。どうか……お願いね」


そう言ってセトルの王家の印で封がされた手紙を託し、リリーはその見を泉に投じる。

身体から体温が奪われ、全身を冷気が痛みになって苛む。

暗くて、苦しくて、いっそ死んだ方がマシだと思う気持ちに必死で蓋をする。

全ての感覚を遠くへ、体の奥底の心を護るように祈る。

時の流れに身を委ね、姫は人知れず泉の底で眠りにつく。

いつか分からぬ目覚めを信じて。



それから数日後、セトルの国王がある御触れを出した。


“王都に商人が入ることを禁ず”


王都の内外で混乱はすぐに広がった。

更に王は混乱する国民全てに向けて御触れを出す。


“王都内での一切の取引を禁ずる”

“取引をしたものは直ちに王都から追放する”


そして王はまず王城の兵士以外の従者を全員王都の外へ出した。

次に異を唱えにきた平民を、意見を述べにきた貴族を、何かしようとした者は地位も関係なく不条理に王都の外へ出された。

その内自ら逃げるように王都を出る者もいたが王は引き留めない。

やがて王に仕える兵士すらも王から離れ、僅か二ヶ月足らずで王都には国王が独りだけとなった。

セトルの民は賢王の乱心に悪魔が憑いただの、ボケてしまったのだと、気が狂ったのだと多くの悪態を流した。


その話が周辺諸国にも広がり出したさらに一か月後。

突然広い範囲で大地が揺れた。

そして多くの人々がセトルの王都の方角に黒い煙が天に届く柱のように吹き出したのを見た。

揺れが収まって数時間後、王都を一望できる丘の上にいた商隊は見てしまった。

天に登った煙がおぞましい瘴気となってかつての王都を包み込んだ悪夢のような光景を。

王都がおよそ人の住めぬ土地へと変貌したセトルはその日を境に事実上滅んだ。




それから五年の時が流れた。

長兄が次期王として選ばれ、次兄はその補佐として国の要の土地を与えられた。

成人の儀も終え、国を盤石にするための婚姻を迫られていたエトワールはある日、とある侍女にどうしても話がしたいと乞われる。

彼女は二年ほど前に王城へ上がりどんな仕事も卒なくこなす出来た侍女であった。

エトワールにだけ話をという彼女の言葉を聞き入れ人払いをし、話をするように言えば侍女は突然その場に膝をつく。


「この後わたしはどんな処遇を言い渡されても構いません。この行いで命を取られても受け入れます」


目を見開くエトワールに侍女はただ何も聞かずに受け取って欲しいものがあると言った。

しばし迷いながらエトワールがそれを受け取ると告げれば、侍女は目に涙を浮かべながら封のされた手紙を懐から取り出す。

エトワールは目を丸くした。

その手紙に施された封の印が、五年前に亡くなった国の王族が使っていたものだったからだ。

様々な考えを巡らせながらエトワールは手紙を受け取り慎重に封を開ける。

中には少し皺の入った紙にたった一文記されていた。


『貴方の手でどうかわたくしを目覚めさせて』


見覚えのある筆跡だった。

幼い頃たった一枚手渡され、その内容に憤慨したあの時の、少女の。

記憶に留めるように寝室の机に閉まっていたけれど、もう擦り切れて字も掠れてきたあの小さな紙の筆跡に似ている。

侍女に詳しい話を聞けば彼女はセトルの王女付きの侍女であったことを明かす。

そしてあの忌まわしい出来事から行方不明とされていた亡国の姫が、聖女のいる森の泉に眠っていると知った。


薄れかけていた記憶の中の少女が微笑む。


エトワールはすぐに自分で身支度を整えると手紙を渡してきた侍女に道案内を頼み、供も連れずに城を出た。

道中野党に襲われ、乞食に限られた路銀を分け与え、森に入る前日には王族だと思う者はいないだろうまでにボロボロになりながらエトワールは森を進む。

侍女の案内で聖女には会えたが、彼女はそこで侍女を引き留め泉までの道を口頭で伝えると去ってしまう。


エトワールは薄暗い森を言われた通りに進む。

数分歩いたところで木々が開け小さな泉に辿り着いた。

泉に触れれば、その冷たさに驚いてすぐ手を離した。

それだけで指先は刺されるような痛みに震える。

改めて泉を凝視した彼の視界に、泉の底で光る何かが入る。


泉の底に宝石が見えた。


それほど眩く光を放つソレはよく見れば人の形をしていた。

まるで神に祈りを捧げるように静かに泉の底に横たわる、その人こそがあの姫だとエトワールは直感した。


生きているはずがない。


氷よりも冷たい泉の水に現実的な己が静かに言う。

けれど、頭で理解をしていても、衝動にも似た熱い何かが体を動かす。


記憶の中で愛しい少女が微笑む。


もう一度。


彼の中にあった願い。


『貴方の手でどうかわたくしを目覚めさせて』


ただ一文。彼女に託された願い。

意を決し、エトワールは泉に飛び込む。

数秒で全身の熱が奪われ、針のように容赦ない痛みが全身を刺す。

それでも手を伸ばす。

目を開けているだけで脳が悲鳴を上げるように痛い。

それでも目を逸らさない。

沈むほど光を放つ姿は鮮明になり、成熟し始めた女性が、記憶の少女によく似た顔の姫が底に眠っていた。

ただただ手を伸ばす。

息が、喉が凍りついて苦しく、地獄に堕ちたと錯覚するほどの痛みを通り越した拷問に心が押し潰されていく。

でも、この痛みに耐え続けた君は願った。

この手で目覚めさせて欲しい。

たった一瞬、幻のような時間を共にしただけの少年に、全てを託した少女の信頼に応えたい。


伸ばした指先が姫に触れる。

そこで王子の意識は途絶えた。


そこで聖女は目覚めた。

聖女の目に最初に映ったのは懐かしい面影を宿した男だった。

自分の元に沈んでくる彼を抱きしめて、彼女は浮上する。

氷獄の泉から出てきた二人を迎えたのは森の聖女だった。

それから青年が目覚めるまでの間、新たな聖女に森の聖女は力の使い方を改めて伝える。


「ただ、想えばいい」




エトワールが目を覚まして最初に見たのは自分を覗き込むリリーの姿だった。


「ありがとう」


あの頃よりも大人びた、けれど変わらない笑顔に胸を高鳴らせながらなんとか返事をする。

それから二人は侍女に泣きながら迎えられ、森の外の家屋に連れて行かれる。

そこにはセトルの城に仕えていた当時の執事長がいた。

彼も侍女のように涙を流しながら、それでも手際よく二人を労った。


その日の夜、寝付けずにいたエトワールの元にリリーが訪ねてくる。

エトワールは五年前の出来事をリリーに話して聞かせた。

それを聞いてリリーは自分のやるべきことを話し始める。

かつて王都だった土地の浄化。

やり遂げる自信も、成功する確信もある。

だけどリリーはエトワールに小さな頼み事をこぼした。


「隣にいて欲しい」


目を伏せる彼女に彼はその手を取って答えた。


「君が望むならどこにでも共にいよう」



数日後二人は瘴気に囲まれた王都の門をくぐる。

リリーの力で瘴気の中でも影響を受けることなく進む。

やがて二人は城に着き、中へと入っていく。

そして玉座の間に、瘴気の噴出する中核に辿り着く。

視界は濃い瘴気によって何も見えない。

その暗闇に臆することなく、エトワールが寄り添う隣でリリーは想う。

また人々が笑い過ごせる場所になるよう想う。

聖女の光が瘴気を清めそそいでいく。

やがて黒い瘴気は光の粉に変わり、季節外れの雪がかつての王都に降り積もっていく。

浄化を終えたリリーが疲弊に倒れそうになるのをエトワールが支える。

黒いモヤが晴れた玉座には王が座っていた。


「お父様……わたくしも、やり遂げられましたよ……」


ポロポロと涙をこぼすリリーの肩をエトワールは静かに抱きしめる。

玉座に座ったまま、賢王と呼ばれたかつての王は息を引き取っていた。




それからの人々の動きは目まぐるしかった。

聖女の奇跡を多くの人々がまるでその時引き寄せられたかのように目撃したのだ。

まず王都に住んでいた民が戻ってきた。

その人達に物を運ぶために商人が入ってきた。

新たな取り決めや今後の街の動きのために貴族が戻ってきた。

今度この土地は誰が治めるか決めるために周辺諸国の視察がやってきた。

数週間のうちに清められた土地に多くの声が飛び交う。

初めは騒がしく衝突も多かったが、一か月、二か月と時間を経てそれらも落ち着いてくる。

しばらくは周辺諸国の監視下の元、セトルは国王の元側近達の手で街は治められていくことに決まった。



静かな夜。

エトワールとリリーは街を見下ろせる丘の上にいた。

亡国の姫として新しい取り決めの採択に忙しくしていたリリー。

周辺諸国がどの程度介入するかの交渉に仲介として奔走していたエトワール。

本来なら抜け出せるような身柄ではないが、ある者たちの手を借りて久しぶりに外から街を見ていた。


「もう王族この国には必要がない」


そう話すリリーの言葉にエトワールは一言そうだねと返す。

風が吹き抜けていく。

さらわれそうになる小さな声をそれでも彼は聞き逃さなかった。


「隣にいて欲しい」


「君が望むならどこまでも共にいよう」






聖女に救われた街があった。

かつてあった国の中心だったその街にはとある噂がある。

この街を浄化した泉の聖女の行方について。

浄化を終えた聖女は泉に戻ったのだという。

詳しい場所は誰も知らない。

知っているのはその泉の傍らで聖女を支えるとある国の王子様だけ。

誰が言い出したか分からないその噂話は、街の誰もが知っている。

話が本当なのか嘘なのか、誰にも分からない。

だけど街の誰もがその噂を信じていた。



この作品は23年11月にX(Twitter)に投稿したイラストから膨らませた話です。

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