"夢"小説
世界が終わる日、私は家族と一緒に家で過ごしていた。
「ねえ、今日って本当に世界が終わるの」
母に問いかけると、「らしいね」と何でもないことのような返事が返ってきて、私は内心驚いた。
「ふーん、そうなんだ。何時ごろだっけ」
「確か、14時ごろだった気がする」
「そうなんだ」
そう言って、私はダイニングテーブルの横に置かれた椅子に座っている母の向かい側に腰を落ち着けた。
最近買い替えたばかりなので、椅子の座り心地はふかふかしていて気持ちが良い。
先程二階から降りてきた妹もリビングに入ってからわき目もふらず真っ直ぐこちらに向かってきて、母がいる側の空いている席に腰掛けた。
父はリビングすぐ横の和室のベットの上で、犬と一緒に寝転んでいる。
ずっと点けっぱなしのテレビの画面からは、絶えず言葉が聞こえてくる。
それはどれも、人類の滅亡を嘆く声だった。
どういう経緯で人類が滅びることになったのかは記憶が曖昧でよく思い出せないが、確か一週間以上前にテレビで報道が始まった気がする。
夜、仕事終わりにテレビを点けてみると、スーツに身を纏った男性アナウンサーが、鎮痛な面持ちで人類に残されたタイムリミットを告げていた。
その日から、私たちの日常は、いつも以上に騒々しくなった。
人類滅亡を嘆く者、嘘だと受け入れない者、政府の陰謀論を唱える者、もうすぐ世界が終わるならと犯罪に走る者、辞めたかった会社を辞める者、皆それぞれの意思を持って、自由に行動を取り始めたものだから、世界中で大混乱が起こった。
大混乱が起こるということは、少なからずこの人類滅亡という信じられない現象を信じた人たちがいた、ということだが、私もそのうちの一人だった。
信じた、というのは少し違うかも知れない。自分でも気がつかないうちに、何者かによってそれが正しいのだと刷り込まれたかのような感覚に近い。
だから私は何の疑いもなく人類の滅亡という超常現象を受け入れ、それを前提に今日まで日々を送っていたのである。
そしてそれは、家族も同様だった。
こんな嘘のような事象を受け入れつつ、いつも通りに仕事や大学に通い、夜はデリバリーを頼んでプチ贅沢をする日々。
人類滅亡へのカウントダウンが始まっていること以外は、あまり代わり映えのない日常を送っていた。
そして運命の日、すなわち今日に至ったのである。
「そういえば、昨日普通に一週間分の食料買ってきちゃった」
テレビを見ながらそう言って笑った母の普段通りの様子に安堵感を覚え、つられて私も笑う。母の横で、妹も笑っていた。
「流石母」
「ねー、思わず笑っちゃったじゃん」
「まあ、あって困るものでもないし」
「でも、私たちがいなくなった後は腐っちゃうよね」
「確かに」
「みーたんとこーたんが当面ここで生きていられるように、出しておいたら?」
「それもいいかもね」
また家の中で笑い声が響く。
こんな時に犬たち(名前はミルクとココア)の心配ができるのは、まだ人類滅亡、すなわち私たちの死が近いという実感が薄いからかもしれない。
もちろん、可愛い犬たちを愛しているからというのもあるが。
ニュースは相変わらず大混乱に陥った世界各地の様子を映し出している。
家族四人+犬二匹でゆったりと過ごしていると、あっという間に正午を迎えた。
「お腹すいたね」
「確かに、もう十二時だもんね。何か食べようか」
「私大福が食べたいかも」
「大福?それは流石に買わなかったな」
「どうする?買ってくる?」
「買ってきちゃおうかな。今日は流石に、ね」
私がそう言うと、みんな肯定してくれた。
「確かにそうだよね。良ければ車だそうか?」
「ううん、大丈夫!歩いて行くよ。他にいるものない?」
「大丈夫」
「あ、ポテチ買ってきてー」
「おっけー、お父さんは?」
「特には」
「了解!じゃあ行ってくるね」
玄関までお見送りに来てくれた妹と母に手を振ってから、私は家を出た。
街中にはいつも通り人の姿があり、皆穏やかな表情をしている。
今日が人類滅亡の日だなんて、全てまやかしだったかのようだ。
目的地のコンビニは家から徒歩五分くらいのところにあるので、ぼーっと周囲を眺めているうちに到着した。
自動ドアが開くと同時に、店員さんの「いらっしゃいませー」という気のない声が聞こえてきた。今日のような晴れの日でも絶えず煌々と点いている白い電気は、今日も店内を照らし出していた。
店内に入り陳列棚の間を行ったり来たりしていると、私以外にも買い物客が複数人いることがわかった。
比較的広いお店で品揃えもいいので、人が入っていない瞬間は見たことがない。そう言う意味では、ここも普段通りだった。
陳列棚の間をうろちょろしている間に、お目当てのものは手にしていたので、そのままレジに並んだ。
店員さんは今の時間一人しかいないらしく、レジには少しだけ列ができていた。待っている間、お会計をしているお客さんが購入したものを見ていた。
店員さんによって袋に詰められていく商品たちは多様で、昼飲み用のお酒を買って行く人もあれば、私のようにおやつを買う人、日用品を買って行く人もいた。
皆、あと数時間を快適に生きるために必要だと思ったものを買って行くのである。
その姿を見て、ちょうど横にあった陳列棚に並ぶ好物のクッキーを追加で手に取った。
流石に、これを食べずに人生を終わらせることなどできない。
それからすぐに私のお会計の番になったので、速やかに会計を済ませてお店を出た。
上を見ると、先ほどまで雲ひとつなかった空に、薄く綿を引き伸ばしたような雲が広がり始めていた。
何だか胸騒ぎがして、早く帰ろうと足取りを早めた。
私が歩いている間にも、みるみるうちに雲が広がり、やがて空の青を灰色に塗り替えた。と思うと、空から蝶とも花ともつかないひらひらとしたものが降ってきた。
その光景は、まるで桜の花びらが粉雪のように舞う、儚げで、思わず足を止めて見惚れてしまうような、幻想的な美しくさを持っていた。
そしてそれは不思議なことに、柱のように一箇所だけに降り注いでいるのである。
だから私は、それの犠牲にならずに済んだ。
前を歩いていた数人の人がその柱の真下に入り、ひらひらとした薄紅色の何かが彼らの体に触れた瞬間、それは蝶だと認識できる姿に変化し、ついで人間の皮膚に触覚を突き刺した。
通行人は悲鳴をあげ、必死にその蝶のようなものを振り払おうとしているが、効果はないようだった。次第に人間の動きが弱くなり、そして全身の力が抜けたかのように膝から崩れ落ちて、動かなくなった。
私は何を見ているのか分からなかった。
目の前で、蝶の形をした生命に人の命が奪われるという、あまりにも非現実的な出来事を目の前にして、思考が追いついていないのだ。
ただ、心の奥底で、目の前の非現実的な光景を肯定している自分が存在していることを感じていた。
これから訪れる世界の終焉を受け入れた時と似たような感覚で、この不思議な、美しく残酷な出来事を現実のものとして肯定しているのだ。
そして気がつけば、私はそれに手を伸ばしていた。その幻想的な美しさに救いを求めるかのように、懸命に手を伸ばす。
一瞬が、スローモーションのようにゆっくりと流れていった。
私の指先と、まだ蝶に変化する前の薄紅色の花びらとの距離が、徐々に縮まっていく。
あと数十センチ、あと数センチ、
ああ、あともう少し_____________