「おはよう」と、ラブコメの神様は俺に微笑みかける。
翌朝。
ラブコメの神様は、今日も今日とて俺に微笑みかけている。
珍しく早起きしたんだ。いつもより一本早い電車で登校するのも悪くないだろう。そう思ったのが運の尽き。
森峰高校に向かうべく308号室を出ると、丁度遠神も登校するところだった。
「あっ」
「あら」
示し合わせたわけじゃないというのに、全くの同時に玄関のドアを開ける俺と遠神。ラブコメの神様め、早速謀ってきやがったな。
お膳立てされたからといって、わざわざ思惑に乗ってやる必要はない。フラグはへし折る為にある。
「忘れ物をした」とか適当に理由を付けて一度308号室に戻ろうとした俺だったが……ドアノブに手を掛けたところで、惜しくも遠神に呼び止められてしまった。
「おはようございます、真澄くん。昨日はどうも」
307号室を施錠した遠神は、鞄の取っ手を両手で持ち直してから深々とお辞儀をする。
「いや、俺の方こそケーキごちそうさまでした。すげぇ美味かった」
つられて俺も頭を下げる。……逃走するタイミングを逃したな、これ。
俺はこの場からの離脱を諦めて、308号室に鍵を掛けた。
「お口に合ってなによりです。ご所望なら、また作ってあげるのもやぶさかではないですよ?」
「マジで? じゃあ今度は、ホールケーキじゃなくてカットケーキでお願いするわ」
「わかりました。因みに次は、どんなケーキが食べたいですか?」
「オーダーして良いのか?」
「その方が、作り甲斐があります」
そう言って、遠神は力瘤を入れた。
遠神の腕ならば、どんなケーキでも絶品だと思うんだが……折角希望を聞いてくれているんだ。食べたいものを頼むとしよう。
「そうだなぁ……昨日食べたフルーツのケーキ、あれ凄く美味かったから、また同じようなやつが食べたいかな」
「でしたら、フルーツタルトなんてどうでしょう? 生地がサクッとしていて、スポンジとはまた違う味と食感を楽しめますよ」
「フルーツタルトか……うん、悪くない。てか、普通に食ってみたい」
ヤバい。想像するだけで、よだれが出てきてしまいそうだ。
「近々作ってあげますね。期待していて下さい。……あっ。でもフルーツタルトだと、ピースよりホールの方が作りやすいのですが……」
「そうなのか? ホールサイズを一人で食べるのは、流石にキツいんだよな……」
「ノープロブレム。問題ありません。今度も私が食べるお手伝いをしてあげますから。……じゅるり」
「それ、単にお前が食べたいだけなんじゃないのか?」
「あっ、バレました?」
テヘっと、遠神は舌を出す。
遠神との会話は、実にテンポの良いものだった。
波長が合っているというか、互いの言いたいことが自然と理解出来るというか。俺とここまでスムーズに会話を展開出来る人間なんて、それこそ華さんくらいだ。
だからこうして遠神と話していると、何て言うか、言葉に出来ない安心感があって。だけど遠神は華さんじゃないから、同時に新鮮味も感じていた。
……って、何楽しんじゃっているんだ、俺は!
俺はブンブンと首を横に振って、冷静さを取り戻す。これではラブコメの神様の掌上じゃないか。
少しでも油断しようものならば、事前告知も開幕のベルもなく、いつの間にか始まっている。それがラブコメの怖いところだ。
遠神と話すこと自体は、別に悪いことじゃない。しかしラブコメの神様が不穏な動きを見せている以上、念には念を入れるべきだ。
少なくとも遠神の恋が成就し、圭一と付き合い始めるまでは、不要な会話を控えるべきだろう。
「それじゃあ、また教室でな」
308号室は施錠済み。中に戻ることは不可。
退路を断たれた俺は、不自然なくらい急いでこの場を去ろうとした。しかし……
「待って下さい」
遠神が俺の制服の襟を掴み、グイッと引っ張ってきた。やめなさい襟が伸びちゃうでしょう。
「……まだ何か用ですか?」
「なぜに敬語!? さっきまでの和気藹々とした雰囲気はどこへやら!? いきなり距離を置かないで下さいよ!」
そうは言っても、これ上仲睦まじくしているとラブコメに発展してしまいそうだからなぁ。心なしか、周囲の空気がピンク色に染まってきた気もするし。
遠神は俺の襟から手を離すと、森峰高校のある方向を指差した。
「目的地は同じなんです。折角ですし、一緒に登校しませんか?」
……やっぱりそうなったか。
登校中にクラスメイトと遭遇したら、「一緒に行こう」となるのは自然な流れだ。
例えば今目の前にいるのが遠神ではなく圭一だったら、同じ提案を俺の方からしていただろう。
だけど俺は今まさに、遠神との接点を減らそうと決意した。その矢先に一緒に登校しようだなんて……許容できる筈もない。
さて、どうすれば突如発生したこの登校イベントを回避出来るのか? 俺は遠神の誘いを断る口実を模索した。
そして一つの回答を見つけ出す。
「なぁ、遠神」
「はい」
「俺とお前がそれこそ並んで登校していたとして、その様子を目撃した森峰高校の生徒たちは一体どう思うだろうな?」
「そうですね……」
遠神は腕を組んで考え始め……
「ブッブー。時間切れー」
「早くないですか!? シンキングタイムが五秒もないんですけど!?」
五秒だと? この程度の問題、即答できないようでどうする?
これから圭一とラブコメを始めようというのに、危機管理能力がなさ過ぎるんだよ。
「ワンモアチャンス! お願いですから、もう一回だけチャンスを下さい!」
「別に良いけど……頼み込んでまで正解したいような問題か?」
クイズ番組の最後の難問みたく正解したら百万円が手に入るわけでもなし。こんなクソ問、素直に答えを聞いた方が賢明な気がする。
「そこに問題がある以上、解かずにいられないのが私という人間なんですよ」
何やら探偵みたいなことを言い出した。優等生の考えることは、よくわからん。
「とはいえまだ答えは浮かんでいないので、同じ轍を踏むのがオチかもしれませんけど」
先程のレイコンマ1秒の回答時間を考慮したのだろう。遠神は五秒と経たない内に、再度口を開いた。
「まさかとは思いますが、一緒に登校していただけでカップルだと勘違いされるなんてことはないですよね?」
「なんだ、ちゃんとわかってるじゃないか」
その「まさか」である。
仲良く語らいながら登校した俺たちを待っているのは、クラスメイトたちからの「二人は付き合ってるの?」という質問攻め。これは予想でも推測でもない。確定事項だ。
なぜならそれが、ラブコメなのだから。
「いやいやいや」
だというのに、遠神は全力で否定する。
「二人で登校しただけでカップル扱いとか、そんなバカな」
いくら何でも、発想が飛躍している。そう言いたげだ。
「そんなバカな噂が立っちまうんだよ。高校生の頭の中ナメんな。年中無休で満開のお花畑だぞ」
起こった事象は何でもかんでも恋愛に結びつけたがる。それが青春真っ盛りの高校生の習性だ。
特に遠神は人気の高いくせに、これまでその手の噂がなかった。男子と二人で歩いていたなんてスクープが流れれば、全校に知れ渡るのに半日とかからないだろう。そうなれば、十中八九圭一の耳にも入る。
「俺と付き合っているなんて噂が立ったら致命的だ。圭一との交際は、叶わなくなるぞ。そんなの嫌だろう?」
「それは……確かに困ります」
俺だって困るさ。
俺がラブコメ主人公にならない為には、何が何でも二人には恋人同士になって貰わなければならない。
周囲に誤解されて、いつの間にか付き合っていることにされる。それもまた、回避すべき状況の筆頭だ。
「ですが真澄くんと二人きりで話せないというのもまた、困るんです。話し合わなければならないことがありますので」
「話し合わなきゃならないこと? あっ、報酬の話? お礼なら、気持ちばかりで十分だよ」
そう言って俺は、右手の親指と人差し指で気持ちばかりを表現する。
「謝礼を要求する気満々じゃないですか。しかも指と指の間がかなり広いですし」
親指と人差し指の距離は、目測でざっと10センチ。全然気持ちばかりじゃない。
「報酬に関しては、全部終わってからということで。私が本当に日高くんと付き合うことが出来たのなら、相応のお礼をしますよ」
「歩合制ってわけか。俄然やる気が出てきたね」
「それは何より。……話を戻します。真澄くんは、私と日高くんが恋人同士になれるよう手を貸してくれるんですよね?」
「そうだ。俺の体、時間、そしてラブコメに関する数多の知識。俺の有する全てをつぎ込んで、お前の恋を成就させてやる」
「真澄くんには何のメリットもないのに、私の恋を応援してくれる。そのことについてはとても感謝しています。ですが……日高くんと恋人同士になる為に、私はこれから何をすれば良いんでしょうか?」
「それは……」
俺は答えられない。
「私たち、具体的な計画はおろかざっくばらんとした過程すらまだ話し合っていませんよね?」
……痛いところを突かれてしまった。
そう言われると、「一緒に登校しよう」という遠神の提案を無碍に出来なくなってしまう。
俺は遠神と圭一をくっつけると宣言した。約束した。
しかしそこに至るまでのプロセスを、彼女と一切共有していないのだ。
「手を貸すと言っておきながら何の助言もしないのは、ちょっと無責任だったな。すまん」
「別に責めているわけじゃありませんよ。ついでに早く考えろと催促しているわけでも」
「だから謝らないで下さい」と、遠神は俺に頭を上げるよう促す。
「真澄くんが私に協力してくれることになったのは、昨日の夜の話です。何も決まっていなくても、何らおかしくありません」
遠神の言う通り、俺のラブコメ回避作戦が始動したのはつい昨夜のこと。まだ半日しか経ってない。
睡眠時間を考慮するなら、体感では半日にも満たない。せいぜい五、六時間程度だ。
言い訳に聞こえるかもしれないけれど、とてもじゃないが計画を固める時間なんてなかった。
「だけど引き受けた以上、いつまでも放置ってわけにもいかないだろ。一週間……いや、あと三日。三日だけ、俺に時間をくれ。文句の付けようもないくらい完璧な計画を立ててみせる」
見てろよ、ラブコメの神様。火事場の馬鹿力を見せてやる。
「却下です」
息巻く俺を、遠神は一蹴する。
たった三日、されど三日。どうやら遠神は、数日という僅かな時間すら待ちきれないらしい。
一刻も早く付き合いたいとか、どんだけ圭一にぞっこんなんだよ。
「フッ」と、俺はつい笑みを漏らしてしまう。乙女をしている遠神が、無性に微笑ましかった。
「笑みだけじゃなく、何を考えているかもだだ漏れていますよ」
俺の頭の中を見透かした遠神は、補足説明を加える。
「勘違いして欲しくないんですが、時間をかけすぎているという意味で却下と言ったわけじゃありません。真澄くん一人で全部考える必要はないと言っているんです。真澄くんは、私を日高くんの彼女にしてくれると約束してくれました。私も真澄くんの助力を受けることにしました。しかしだからといって、全てを押し付けるというのは間違っています。真澄くんにして貰うのは、あくまで協力。私が自発的に行動するのは、大前提です」
俺の指示に全面的に従って行動し、その結果晴れて圭一との交際にまで漕ぎ着けたとして、果たしてそれを遠神の恋愛と呼べるだろうか?
いや、呼べない。なぜならそれは、俺が遠神というキャラクターを操作する恋愛ゲームだからだ。
確かに行き着く先は同じだ。喜びや嬉しさ、幸せだって感じるだろう。でもそこに、達成感はない。
他力本願の恋愛は、遠神の求めるものではなく。だから遠神は、俺の言い分を是としなかった。
「遠神の考えはよくわかった。恋をしているのはお前の方で、俺はサポート役に過ぎない。出しゃばるな。そういうことだな?」
「そこまでキツい言い方はしませんが、意味合い的には間違っていません。理解していただけたようで、安心しました」
俺の善意を拒んだことで、罪悪感でも抱いていたのかもしれない。遠神はどこかホッとした様子だった。
「理解はしたさ。あぁ、理解しましたとも。でも……納得はしていない」
俺の発言を受けて、遠神の動きがピタッと止まる。
特に表情筋が、微動だにしていなかった。
「今、何と……?」
「遠神の意見は理解した。その上で到底受け入れられないって言ったんだ。だってそうだろう? 男と付き合ったことのないお前に、名案が浮かぶのか?」
他力本願の恋愛を、遠神は望んでいない。これは遠神の恋愛であり、俺はサポートに徹するべきだ。うん、実に正論である。
で、それがどうした!
表向きは遠神の恋の手助けだとしても、俺の真の目的は彼女を圭一とくっつけて自分がラブコメ主人公になる事態を回避すること。
これは遠神の恋愛であると同時に、俺の野望でもあるのだ。
だとしたら、野望を叶えるべくより確実な手段を用いるのは必至。好きにやらせて貰う。
「私は男性とお付き合いしたことがありません。どうすれば日高くんを落とせるのかも、実のところよくわかっていません」
「だったら――」
「全部任せてくれても良いんじゃないか?」。そう続けようとした俺に、遠神は手で待ったをかける。
「でもそれは、真澄くんも同じですよね?」
「……同じって?」
「真澄くんも、女性とお付き合いしたことがないですよね?」
……ソンナコトナイヨ。
急に口を鎖し、目が右へ左へ泳ぎ始めた俺を見て、遠神は俺の彼女いない歴=年齢に確信を持ったようだ。
「間違っていたら申し訳ないので一応お聞きしますが、今まで付き合った女の子の人数は?」
それでも最終確認をしてくれたのは、きっと彼女なりの優しさのなんだろうな。だったら俺も恥や外聞なんぞ捨てて、嘘偽りない真実を答える。それが誠意ってやつだ。
「人数なんて、いちいち覚えちゃいねーよ。これまで付き合った女の数なんて、10倍にしようが20倍にしようが変わらないのさ」
「それって要するに、ゼロってことですよね? 交際経験がないってことですよね?」
嘘をつかない代わりに上手く誤魔化そうと試みたが、流石は学年首席の才女。あっさり看破されてしまった。
「あぁ、そうですよ! 彼女なんていたことありませんよ!」
でも別に、彼女がいないことに不満なんてないんだからね! 作らないだけなんだからね!
「そんな逆ギレされても……」
「何か悪いか?」
「逆ギレは悪いと思います。でも、彼女がいないことは悪いことじゃない。私と同じ、半人前なだけです」
俺も遠神も、恋愛に関しては半人前。だから二人で力と知恵を合わせることで、一端の恋をしようというわけか。
俺の自分本位なやり方に対抗出来るくらいには、筋が通っている。
遠神に引くつもりはない。
このまま議論が平行線を辿れば、手段の不一致を理由に俺はお役目を外されるかもしれない。それはあまり好ましい展開ではないな。
俺と遠神のラブコメを避ける為には、不必要な接触をするべきではない。それは裏を返せば、必要最低限の接触はしなければならないということで。
一緒に登校するのは今日限り。明日以降は、遠神が登校してから家を出ることにしよう。
そう心に固く誓って、俺は仕方なく遠神と共に歩き出した。