終わった恋と、変わらぬ関係
圭一と別れた俺は、どこに寄り道するわけでもなくまっすぐに帰路に立った。
森峰高校から最寄りの駅までの道のりには、俺同様「さようなら」するやいなや下校する生徒が結構な人数いて、幽霊部員や名ばかり部活動の多さがうかがえた。
森峰高校から最寄り駅までは、五分とかか
らない。
駅に着いた俺は、改札の上に設置されている電光掲示板に目を向けた。
先発電車の発車時刻が迫っている。
駆け込めば乗れないこともなかったが、特段急いで帰る理由もない。俺は一本見逃して、10分後の次発電車に乗ることにした。
駅のホームでソシャゲをしながら、電車が来るのを待つ。
勉強は良いのかって? 家に帰ってから、きちんとするさ。
自宅学習は、自宅でする学習。電車の中くらい好きなことをやっていても、バチは当たらないだろう。……あっ、推しキャラのピックアップガチャきてる。
電車が到着した。
気持ちに余裕がある時は、大抵良いことが起こるもので。10分のタイムロスは、俺に幸運な出会いをもたらしてくれた。
乗車すると、同じ車両に華さんが乗っていたのだ。
「あら、真紘?」
俺に気が付いた華さんは、読んでいた参考書を閉じる。
勉強より俺との会話を優先してくれた。勝手にそう解釈して、そして素直に嬉しく思った。
「華さんと一緒の電車なんて、珍しいこともあるもんだね。大学の帰り?」
フラれた直後はショックのあまり華さんと顔も合わせたくなかったけど、今はもう何ともない。
華さんは最高の幼馴染だ。そう考えるようにしている。
ラブコメなんてしないと割り切ってしまえば、不思議と失恋の痛みも緩和される。
「今日は講義が早く終わったからね。そのお陰でこうして真紘に会えたことだし、これってもう運命かしら?」
……ったく、この人は。
全部わかっていてこういうことを言うのだから、ホント良い性格をしている。
「……運命じゃない。偶然だよ」
だからこの邂逅はラブコメじゃない。ただの日常の一コマだ。
華さんは目を伏せて「そっか」と呟いたが、その真意はまるでわからなかった。
これは、偶然ではなく運命であることを期待していたのか? そう受け取って良いのか?
そんなことを考えているうちに華さんが話題を変えてしまったので、彼女の真意を確かめるタイミングを逃してしまった。
「高校はどう? 順調?」
「一応ね。毎日楽しくやってるよ」
「それは何より。高校時代の思い出は一生ものっていうし、善行も悪行も今のうちに思う存分やっておきなさい」
「悪行でも良いのかよ……」
「若気の至りってやつよ。法に触れなきゃ何でもオーケー。居眠りしたり早弁したり授業をサボったり、そういったことが許されるのって、子供の間だけなんだから」
いや、居眠りも早弁もサボりも許されてないよ? 思いっきり怒られるよ?
「そういう華さんは、高校時代悪行三昧だったの?」
「それは、もう! 毎日ではないけれど、居眠りも早弁も授業をサボって屋上で涼んだりもしていたわ。あとはそうねぇ……授業が始まる直前に、教室のドアに黒板消しを挟んだりとか」
俺の知る生真面目で大人っぽい華さんからは、想像出来ないカミングアウトだった。特に一つ、あまりに幼稚過ぎる悪戯があったし。
「で」
華さんの目が細くなる。ジト目というやつだ。
「肝心の勉強の方は?」
「毎日楽してやってるよ」
「それは何より……とはいきません」
「ちゃんと勉強しなさい」。華さんは持っていた参考書を筒状に丸めて、俺の頭をポンと叩いた。
「学生の本分は勉強よ。三年生になって「あの時きちんと勉強しておけば良かった」って後悔しても、遅いんだから」
「それ色んな人から言われる。華さんは俺の担任の先生?」
「先生ではなくて、幼馴染みのお姉さんです」
ブーッと、突然バイブ音が鳴る。音は華さんのスマホから鳴っていた。
バイブ音は二、三度で止まった為、着信ではなくメッセージの受信みたいだ。
「見ていいよ」
「そう? ごめんなさいね」
俺に一言謝ってから、華さんは受信したメッセージを確認する。そして、
「フフフ」
笑みを溢す華さん。なんだか嬉しそうだ。
そんな顔を見せられては、ついつい勘繰ってしまう。
「……男の人から?」
「えぇ」
華さんは即答した。
「ふーん。そっか」
俺と華さんは別に付き合っていない。それどころか、俺はフラれている。
しかし男からメッセージを受け取ったなんて聞けば、良い気がしなかった。
俺を弟としか見れないからフッたんじゃなくて、本当は他に好きな人がいたからフッたんじゃないか? みっともないけど、そんな風に考えてしまう。
俺の不機嫌を察したのだろう。華さんはスマホを鼻先に当てて、悪戯っぽく笑った。
「誰からのメッセージなのか、気になる?」
「まぁ。幼馴染みとして、華さんが変な男に引っかかっていないか心配だからね」
俺は幼馴染みの部分を強調しながら返す。
「それはそれは。優しい幼馴染みを持って、お姉さん嬉しいぞ」
わしゃわしゃと、華さんは俺の頭を撫でた。……悪い気はしなかった。
「嬉しかったから、ご褒美にスマホの画面を見せてあげようかしら」
「はい」と、華さんから見せられたスマホの画面。メッセージの送信主の欄には……『佐藤教授』と表示されていた。
「華さん、これって……」
「ゼミの教授よ。今度他大学との合同発表会があるんだけどね、そこでゼミを代表して研究の発表をしないかって提案されたの」
「そういうことだったのね……」
メッセージの一人称は「僕」だし、確かに男の人に変わりはないけど……いかんせん性格が悪い。差出人が教授で、男からのメッセージっていうか、普通?
「でもゼミの代表なんて、凄いじゃん。俺って何かの代表に選ばれたことないから、心底尊敬するよ。流石華さん」
「褒めたって何も出ないわよ?」
「ちぇっ。このままウチに寄って、ポロリくらい期待してたのに」
「絶対に出しません」
ポンッ。再度頭を叩かれた。
あわよくばお色気シーンをと思ったのだが、いやはや、現実とはそう都合良くいかないものだ。
「華さんって、経営学部だっけ?」
「えぇ。将来のことを考えると、経営を学ぶべきだと思って」
華さんの実家は定食屋。いつかはその定食屋を自分が継ぐのだと、昔から豪語していた。
「真紘は進路について考えてるの? 志望校とか、学部とか」
「今のところは、何も。三年になる前に文理選択をしなくちゃならないから、それまでにはある程度の方向性を決めるつもりでいるけど」
俺は一度セリフを切る。
自分の将来を頭の中で想像してみるが……具体的なビジョンが浮かぶことはなかった。
「やりたいことなんて、思い付かないからな……」
身の丈にあった大学に行って、決して給料が良いわけじゃないけど福利厚生はしっかりしている企業に勤めて。そんなありふれた人生を送るものだとばかり思っているから、何がやりたいのかなんて考えたこともなかった。
「やりたいことがないのなら、得意なことで選ぶのも一つよ」
「語学が堪能だから外国語学科、人に勉強を教えるのが得意だから教育学科みたいな?」
「そうそう」
「でもいきなり得意なことなんて言われてもなぁ……。ねぇ、華さん。俺の得意なことって、何だと思う?」
「うーん……正当化とか責任転嫁とか屁理屈とか?」
「限りなく最低な人間に当てはまるような内容を挙げるのやめて」
他の人ならいざ知らず、俺のことを誰よりも理解しているであろう華さんに言われると、信憑性が増してくる。
「あっ、あと現実逃避ってのもあるわね」
「それ以上傷口を抉らないで〜」
俺は耳を塞いで、もう聞きたくないアピールをした。
しかし華さんがその両手を掴み、耳から離した。
「あとは……私を楽しませること」
……それはこっちのセリフだよ。
華さんとの会話を続けていると、いつも感じてしまうことがある。
どうしよう。やっぱり華さんと一緒にいるのは、この上なく楽しい。
ずっとこの時間が続けば良いのにとか、人生で一番幸せな瞬間だとか。そう思ってしまうのは、きっと初恋の残り香が原因で。
それだけではない。
このままラブコメが始まらないかな。柄にもなく、そんな淡い期待まで抱いてしまう。
俺は華さんにフラれているというのに。
自惚れるな。勘違いするな。ラブコメを切望するな。
それこそ現実逃避に他ならないじゃないか。何度も自分に言い聞かせる。
電車から降りても、二人の時間は終わらない。
俺の暮らすマンションと華さんの実家は、僅か数十メートルしか離れておらず、自宅まで二人で並んで帰ったと言っても差し支えないだろう。
「またね、真紘」
「うん、また」
ただこの数十メートルの距離は、小さい頃から、これっぽっちも縮まっていなかった。