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席替えという名のラブコメの神様の罠

 五月も半ばに入ると、いよいよ初夏と呼ぶに相応しい気候に入ってきて。教室の中ではブレザーを脱いでワイシャツ姿になる生徒も少しずつ増えてきた。


 窓を全開にすると、微かにだが心地よい風が入り込んでくる。しかしその恩恵を受けられるのは、窓側の席に座る一部の生徒のみ。

「お前たちだけずるいぞ!」。そう主張する出席番号上位の生徒たちが、特に意味もないのに窓側の友人の席に集まるという現象が、しばしば起こっていた。


 それでも暑さを我慢することは出来ず、下敷きや教科書でパタパタと煽ぎ、風を起こす。

 早くクーラーを解禁して欲しいと思うものの、「クーラーは六月に入ってから。今からクーラーに頼っていたら、夏本番耐えられないぞ」という学校側の意見もわからなくない。

 たとえそれが経費削減の為の方便だったとしても。


 そういうわけで、五月における窓側の席とは俺たちにとって砂漠の中のオアシスのようなもの。そして今日、進級後初めての席替えが催されるということで、教室の空気はどこか殺伐としていた。


 中間試験という一つの山場を越え、より勉強に身が入るよう心機一転しよう。そんな担任の考えも、生徒たちからしたらどうでも良いことだ。

 六月までの残り半月を、快適に過ごすチャンスが皆に与えられた。大事なのは、その事実のみ。気合が入るのも頷ける。


 生徒たちの狙いは、窓側の席。もっと言うなら、窓側後方の席。

 バカ担当の男子生徒(各クラスに一人はいるタイプの奴だ)が、「神よ! 俺を窓側の席にしたまえ!」と机の上に両膝をついてお祈りポーズをする。そして担任に怒られる。当たり前だけど。

「またやってるよ」と周りの生徒たちが苦笑やら失笑やら冷笑を向ける一方で、俺はその男子生徒の行動に共感を覚えていた。


 やり方にこそ問題があったけど、神頼みという発想自体は名案だ。


 彼のように目立つことはせず、それこそ心の中で祈るだけなら、リスクもデメリットもない。

 俺は机の下でこっそり手を組んで、かの因縁深い神に祈る。


 ラブコメの神様、頼むから余計なことをしないでくれよ。


 席替えといえば、ラブコメに登場する定番イベントの一つ。それ故に下手な席に左遷されると、ラブコメが始まってしまう。

 教科書を忘れて、隣の女子と机をくっつける羽目になったり。授業中に居眠りしている隣の女子を起こす為、肩やら髪やらに触れる羽目になったり。

 あぁ、想像するだに恐ろしい。まさしくラブコメが発生しそうなシチュエーションじゃないか。

 俺はもう、ラブコメをしたくないというのに。


 理想は親友の隣。やっぱり友達が隣にいた方が楽しいし、それこそ教科書を忘れた時とか何かと都合も良い。「見せてくれ」と気軽に頼むことが出来る。  

 あまり仲良くない相手だと、見せて貰うのも躊躇してしまうからな。露骨に嫌な顔とかされたら、翌日から不登校になる自信があるね。

 そういった理由もあり、圭一には是非とも隣人になって欲しいものだ。


 もう一人の親友の暁良は……もれなくガールフレンズ(複数形)がついてくるからな。一つか二つ席が離れているのがベストだろう。


 次点は、冴えない男子。間違っても女子の、特に可愛い女子の隣にだけはなりたくない。

 むさ苦しい男だらけの窓側の席とか、ラブコメしたくない俺からしたら確かに最高ではあるけれど、そんな欲張りは言わないさ。

 ラブコメにさえ発展しなければ、廊下側だろうが教卓の目の前だろうが構わない。


 席替えは厳正なくじ引きによって行われる。

「後ろの席だと視力が悪くて黒板が見えない」みたいな、余程の事情がない限りくじの結果に異論を唱えることは許されない。


 くじは授業で余ったプリントの裏面(白紙)を再利用して作られていて、出席番号の早い生徒から順番に一枚ずつ引いていく。


 俺の順番が回ってきた。

 出席番号は五十音順。名前の頭文字が「ま」である俺の出席番号は後半。俺の後には、五人しか残っていない。

 立方体の箱の中に手を突っ込み、少なくなったくじの中から適当に一枚引く。


 こっちも譲歩してやってんだ。わかってんだろうな、ラブコメの神様。

 引いたくじに記されている数字と、予め各席に割り当てられていた数字を対応させると、結果は……窓側の最後尾。場所で言えば、最高の場所だった。


 全員がくじを引き終わり、一斉に机と椅子を移動させる。

 俺は早速窓を開けて、窓側席の特権を堪能し始めた。残り物には福があるとは、よく言ったものだ。


 圭一と暁良は、二人とも廊下側の席みたいだ。

 一人だけ離れてしまったのは残念だけど、だからといって関係性まで離れていくわけじゃない。

 向こうは暑いし、休み時間俺の席に集まることは確定だな。じゃないと寂しくて死んじゃうよ、俺。


 さて、問題はここからだ。

 移動を終え、親友二人の新しい席も確認した俺は、チラッと隣の席を一瞥した。


 隣席にやって来たのは、如何にもラブコメとは無縁そうなゴリゴリマッチョの大男……などでは断じてなく。

 時を忘れて我を忘れて、思わず数秒見惚れてしまう程の美少女だった。


 艶のあるセミロングの黒髪。流している前髪は、崩れないように右側をヘアピンで留めている。


 ワイシャツのボタンは一番上まで絞められていて、ネクタイも首筋までしっかり結ばれている。校則上はワイシャツになってもネクタイをしなければならないが、ほとんどの生徒が守っていないし、教師も黙認している。だって暑いから。

 そんな中律儀に校則を遵守している彼女は、少数派といえた。


 整った顔立ちは、華さんと比べても良い勝負だろう。その容姿は男子からの支持を集め、入学以来何度か告白されたことがあるとか。


 ただプロポーションは華さんと比べ物にならないくらい残念というか、はい、着痩せとかいう言い訳が通用しないくらい貧乳です。


 彼女とは去年も同じクラスだったから、見た目だけじゃなく、性格もある程度知っている。

 大人数でワイワイ騒ぐタイプではなく、どちらかというと一人で過ごしている方が多い。

 しかしぼっちなわけじゃない。クラスメイトから話しかけられれば普通に応対しているし、見たところコミュニケーション能力もそれなりにある。

 孤高ではあるが、孤独ではないようだ。


 成績優秀、生活態度も良好。まごうことなき優等生。

 そんな彼女の名前は、遠神爽香。

 俺がこのクラスで最も危険視している、また森峰高校内でも五指に入るくらい危険だと考えているフラグメイカーだった。


 エマージェンシー! エマージェンシー!

 俺の脳内に警告音が響く。


 最悪だ。考え得る限り最悪の隣人だ。

 2年A組は俺を含めて40人。俺は角席なので、特定の人物と隣になる確率は3パーセントもない。

 試験では四肢択一の問題ですらことごとく外すというのに、どうしてこういう時だけミラクル起こすかな。


 額に手を当てて現状を嘆いていると、ふとズボンのポケットの中でスマホが二、三度震えた。メッセージを受信したようだ。

 人が悩んでいる時にどこのどいつだよと、内心文句を吐きながら画面を見る。差出人は暁良だった。


『真紘の隣、遠神さんなんだな。俺の経験則からいうと、彼女絶対良い声で鳴くぜ。ああいう清楚そうな女の子程、一旦脱ぐと途端に陰獣へと変貌するんだ』


 何いきなりとんでもないセクハラコメント送り付けてくれちゃってんの!?

 周囲に(特に隣人に)このメッセージを見られたら、クラスでの俺の株が倒産寸前まで暴落しかねないじゃねーか!


 自分に不利益な証拠はすぐに手離すに限る。俺は画面を左にスワイプして、メッセージを削除した。


 安堵したのも束の間、続いてこんなメッセージが届く。


『ラブコメしたくないって言っているお前が学年一の美少女の隣を引き当てるなんて、前世でどんな徳積んだらそうなれるんだよ。羨ましいぜ』


 羨ましい、か。華さんにフラれる前の、ラブコメに憧れていた頃の俺だったら、そのセリフを素直に受け取っていただろう。

 担任の目を盗んで、ドヤ顔の一つでも暁良に向けていたと思う。


 恋慕を抱かなくとも、可愛い女の子の隣になれるのは嬉しいことだ。

 でも、今は違う。俺は今、現状に歓喜していない。


 だから暁良、逆なんだよ。徳を積んできたんじゃなくて、前世で想像も出来ないような悪行を繰り返したから、俺はこんな危機に陥っているんだよ。

 認知していない前世の大罪でも理由にしなければ、この仕打ちは理不尽すぎる。


 結局俺は既読をつけただけで返信はせず、スマホをポケットにしまった。


「真澄くん、もう話し掛けて大丈夫ですか?」


 口ぶりから察するに、俺がメッセージのやり取りを終えるのを待っていたのだろう。遠神が遠慮気味に声を掛けてくる。

 大丈夫じゃねーよ。それじゃあラブコメの神様の思う壺じゃんかよ。と、拒絶するわけにもいかず、


「ん? 何か用か、遠神?」


 俺は精一杯の作り笑いを貼りつけて、遠神に応えた。

 口角がヒクヒク動いているのが、自分でもわかる。案の定、遠神も気が付いていた。


 不自然な俺の笑顔に遠神は一瞬訝しんだが、気にせず話を続ける。


「用という程ではないんですが……これからよろしくお願いします。それだけ伝えたかったんです」


 そう言って、遠神は会釈する。

 まぁそりゃあ、新しく隣席になったクラスメイトには、挨拶くらいするよな。


「あぁ。こちらこそ、よろしくな」


 ここで遠神を無視すると、「折角挨拶しているのに、感じ悪いな」と悪い意味で意識されてしまう。

 それ自体は構わないんだけど、問題は彼女が俺をある意味特別視してしまうこと。

 最悪な関係から始まるラブコメってやつを、俺は何度も見たことがある。

 表裏一体の愛憎は、いつひっくり返ってもおかしくない。マザーテレサも愛の対義語は憎しみじゃなくて無関心だと言っていたし、隣人となってしまったからには、遠神に俺を隣人以上の存在と認識させないことが重要なのだ。

 他の38人と変わらない、ただのクラスメイトの一人。それこそ俺の望む関係性だ。

 だから反応はしたものの、しかしラブコメの開始を恐れるあまり、最低限以上の返しはしなかった。


「はい、よろしくです」


 本当に用件はそれだけだったらしく、遠神は再度「よろしく」と言った後、すぐに前に向き直った。


 ……え? 本当に終わり? ラブコメの神様の計略にしては、随分拍子抜けだった。いや、俺としては会話をしなくて済んだし、願ったり叶ったりなんだけど。


 隣人といっても物理的に距離が近いというだけで、別に仲良くする必要はない。なるべく接点を持たないようにすれば、ラブコメは回避出来る。


 教科書や参考書を忘れないのは絶対条件。更には授業中は先生の話に全神経を傾け、休み時間は圭一や暁良と話すなり狸寝入りをぶっこくなりして時間を潰すとしよう。

 遠神に関わる暇なんて、一秒たりとも与えない。


 完璧だ。完璧すぎる作戦だぞ。

 隣人が奇異の目を向けていることを他所に、俺は「フフフフフ……」と不気味な笑い声を漏らしていた。


「それじゃあこのまま授業に入るぞ。今日は隣の席の奴と一緒に、先週の実験のレポートをまとめて貰う」


 担任の発言で、俺の笑いはぴたりと止まる。

 ……………………。勘弁してくれよ。


 ラブコメの神様に、慈悲はない。容赦なく俺をラブコメ地獄へと引きずり込もうとしていた。

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