遠神爽香の好きな人④
土曜日。真澄くん提案の映画鑑賞を終えた私は、トイレ……はさっき行ったばかりで尿意がヤベェ奴だと勘違いされかねないので、「映画のパンフレットを買ってくる」と言って皆と別れていた。
有言不実行と言わんばかりに売店を素通りし、券売機のそばの柱に寄りかかる。そして一通、『券売機まで来てくれませんか?』というメッセージを送った。
相手はもちろん、真の共犯者たる日高くんだ。
既読はすぐにつき、そして間もなく日高くんが姿を見せる。
「遠神さん!」
日高くんはスマホ片手に駆け寄ってきた。
「いきなり呼び出してしまってごめんなさい。ところで真澄くんたちには何て言って来たんです?」
「普通に「トイレに行ってくる」って言って来たよ。僕はまだ、そのカードを使っていなかったからね」
「そうでしたか」
片やパンフレットの購入。片やトイレ。……どちらも時間かかるものじゃないな。早く用件を済ませて、戻らないと。
「それで? デート中にリスクを冒してまで僕を呼び出したんだ。計画に関して、重要な相談があるんだろ?」
「はい。といっても、相談というより報告といった方が適切なのですが。……真澄くんに告白しようと思います」
いきなりの宣言に、日高くんは目を丸くする。
「随分と唐突だね。さっき観た映画に触発されたのかい?」
「確かにキャサリンの恋愛は、私のそれと酷似していて思うところもありました。だけどそれが理由じゃありません」
「じゃあ、どうして?」
「蘇芳さんです」
フりフラれた関係だというのに、真澄くんと蘇芳さんの距離は近すぎる。
今日一日楽しそうに会話をしていたし、大体嘘とはいえデートなんてするか、普通? 私だったら、気まずくてそんなこと出来ないよ。
下手すると、恋人よりも親密だ。そんな二人を間近で見て、私は更なる焦燥感を抱いていた。
蘇芳さんの名前を出すなり、日高くんは「そういうことか」と納得したような顔になる。
「「恋愛なんてもうしない」。強がって口ではそう言っているけど、今日の真紘を見る限り、多分まだ……」
私も日高くんと同意見だ。
真澄くんはまだ、蘇芳さんのことが忘れられていない。ラブコメと縁を切ったと言い張るのは、彼なりの自己防衛なのだ。
「現実は映画のように上手くいきませんね。恋愛相談を始めておよそ一週間、未だ真澄くんの目に私の姿は映っていません」
いや、厳密に言えば、真澄くんは私のことを見てくれている。
でもそれは、私とのラブコメを始めない為。警戒という意味で、だ。蘇芳さんを見つめる時の眼差しとは、まるで違う。
あくまで常に視界の端に入れて、目を離さないようにしているだけなのだ。
「だから告白をすると? それはちょっと短絡的というか、時期尚早な気がするけど」
「では告白もせずに、いつ訪れるかわからない好機を待つだけで、蘇芳さんに勝てると思いますか?」
「……」
日高くんは答えない。それこそが回答だ。
「……絶対にフラれるよ」
「この世に絶対なんてありません。私はフラれませんよ」
真澄くんとの交際という高いハードル(最早高跳び並だ)をいきなり越えようとすれば、間違いなくゲームオーバーだ。
でも私の今回の目的は、真澄くんに自分の想いを伝えるだけ。返事は求めていないし、だからフラれるつもりもない。
「何か考えがあるみたいだね」
「はい」
「そういうことなら、全力でサポートさせて貰うよ。僕に出来ることがあったら、何でも言ってくれ」
「でしたらお言葉に甘えて、一つお願いが。午前中のバッティング勝負で得た強制呼び出し権を、私の為に履行してくれませんか?」
「それは構わないけど……どうして?」
「真澄くんが女子からの呼び出しに、応じてくれると思いますか?」
「特に私の」。私は自身を指差す。
「……無視するか、或いは約束だけしてバックれるね」
「はい。でも同性かつ親友の日高くんからの呼び出しなら、何の疑問も持たずに応じてくれると思います。呼び出し権を使えば、断ることも出来ませんし」
「成る程。そして呼び出された場所に向かったら、僕ではなく遠神さんがいる、と。……悪くない作戦だ」
私の前に現れさえすれば、こっちのものだ。しがみついてでも、絶対に逃がさない。
「でもどうせなら、呼び出しの成功率を更に高めないかい?」
「何か思い付いたんですね」
「うん。例えばなんだけど……僕と真紘が喧嘩をするとか? 確か遠神さんって、真紘と家が隣同士なんだよね? だったら二人で真紘の家にいるところを、僕が目撃するっていうのはどうかな?」
「修羅場ですか」
「修羅場だね」
私と日高くんをくっつけようとしている真澄くんが、日高くんに黙って私を自宅に上げていたら――。弁明にしろ謝罪にしろ、友情の再構築の為に日高くんの呼び出しに応じるのは必至だろう。
「でも、どうやって真澄くんの家に上がり込むんです? 余程の理由がないと、難しいのでは?」
夕食やケーキを作って来ましたと突撃を仕掛けるのも、二度目は通用しないだろう。真澄くんのことだから、きっと対抗策を用意してある。あとは……ピッキング?
「鍵を失くすっていうのは、余程の理由にならないかい?」
「なるとは思いますけど、流石に鍵を失くすのは、ちょっと……。単純に困るっていうのもそうですが、これでも乙女ですので防犯の観点からも気が進みません」
「遠神さんって、意外と天然? 本当に鍵を失くすんじゃなくて、フリだけだよ。真紘に鞄の中をあさられない限り、その嘘がバレることはないんだから」
「あさられたらどうするんですか!?」
「女子の鞄をあさるような変態を、それでも好きだと言えるかい?」
「……」
強引な真澄くんも、また趣きがある。
「オーケー。遠神さんがどれだけ真紘を想っているのかが、よくわかったよ」
半ば呆れたような口調で、日高くんは言う。
「鞄があさられるのを危惧しているのなら、最初から鞄に入れておかなければ良い。そうだね……ポケットにでも入れておいたらどうだい?」
そうして私はないとわかっている鍵を探し、真澄くんの前で紛失を宣言する。
不安材料があるとしたら、真澄くんが私を見捨てないでいてくれるかということだが……いや、その心配は無用だろう。
真澄くんは困っている人に手を差し伸べることの出来る優しい人だ。そのことは、森峰高校の入試の日から知っている。
口では突き放しながらも、最後には私を308号室に上げてくれると思う。
まったく、難儀な男だ。そこもまた、魅力の一つなんだけど。
「善は急げ。折角だから、今日の帰りにでも実践してみたらどうかな? 僕はマンション近くのコンビニで待機しているからさ」
「わかりました。無事上がり込めたら、連絡します。精々武運を祈っていて下さい」
「大丈夫。きっと上手くいくさ。だって僕たちには、ラブコメの神様が味方してくれているからね」
そして――現在に至る。