喧嘩して気まずくなるのは自分たちだけじゃない
週が明けて、月曜日。俺はアンクルウェイトでも付けているかのような重い足取りで登校していた。
土曜日のデートは、大成功を収めた筈だ。だというのに、現在俺のラブコメ回避作戦はかつてない窮地に立たされている。
原因は言うまでもなく遠神が308号室に上がっているところを、圭一に目撃されたからだ。
あれ以来、圭一と話していない。
昨日は日曜日で学校に行っていないのだから話さないのも当然だとか、そう意味ではなく。SNS上で俺からメッセージを送っても、返信はおろか既読にすらならないのだ。
メッセージを見ていないわけじゃない。きっと圭一は、俺からのメッセージを確認した上で、わざと開かないようにしている。
だからこそ圭一が本気で俺に不信感を抱き、憤りを覚えているのだと感じた。
「……憂鬱だ」
こんなにも月曜日が来て欲しくないと思ったのは初めてだ。「眠らなければ、朝まで六時間以上もある! 週末はまだ終わらないぜ!」などという危険な思考に至り、目薬やガムやブラックコーヒーでドーピングしまくったレベルだ。……それでも睡魔に抗えず、午前1時には寝落ちしてしまったのだけど。
どんなに止まれと願っても、残酷なことに時間は進んでいく。俺の歩みも進んでいく。そして――教室の前に着いた。
心を落ち着けて引き戸を開け、教室に入る。圭一は俺より先に登校していた。
席の近い暁良と談笑する圭一。ふとそんな彼と目が合う。
しかし圭一は、いつものように「おはよう」とは言ってくれなかった。
きっと俺と言葉も交わしたくないという意思表示なのだろう。俺もまた、挨拶をせずに窓際の自分の席へ向かう。
遠神はまだ来ていなかったので、俺は着席するなり窓の外を眺めていた。
続々と登校する生徒たちも、この場所から見下ろしたら誰が誰だかわからなくて。なのに――
「遠神の奴、今朝は随分遅い登校だな」
ただ一人見分けがついてしまうのは、偶然に違いない。或いはラブコメの神様が、遠神にだけ特殊なマーキングを施しているのか。
「おい、真紘」
声をかけられて振り返ると、そこには圭一と話している筈の暁良が立っていた。
「圭一は?」
「圭一ならトイレだよ。てか質問したいのは俺の方だっての」
今から何を聞かれるのか、大体予想が出来ている。
「お前、圭一と何かあったのか?」
「何かって?」
図星をつかれて俺は一瞬ドキリとしながらも、予想していた分平静を装うことが出来た。
「とぼけんなよ。お前と圭一、さっき目が合ったのに挨拶すらしなかっただろ?」
……流石は俺と圭一の親友。隠し通すのは無理か。
ちょっと不自然だからこそ、いつも一緒にいる暁良の目にはとても不自然に映ったのだろう。
俺は両手を上げて、降参の意を示した。そしてその降参は、肯定も表す。
「喧嘩でもしたか?」
「いいや、喧嘩じゃない」
「だったら、お前が圭一に何かしたのか?」
「まぁ、そんなところだ」
相変わらず聡い奴だ。
「暁良はさ、自分が100パーセント悪いことをした経験ってあるか? どんなに自分を正当化しようとしても出来ない、そんな経験が」
「そんなのしょっちゅうだぞ? 昨日もデートのダブルブッキングがバレて、女にフラれたばかりだ。しかも二人同時に」
本当にどうしようもないな、このクズは。
だけど今は、そんなクズにも縋りたい気分だ。
「そういう時、お前ならどうする?」
「どうするも何も、その女とは縁がなかったんだって自己完結して諦めるよ。他校の女子なら、もう二度と関わらないだろうし」
「でも――」。暁良は続ける。
「親友ともなれば、そうもいかないよな」
「あぁ。俺はあいつと仲直りがしたい」
いや、しなければならない。自分の為だけでなく、遠神の恋を成就させる為にも。
「だったら謝るしかないだろ」
「謝るって……それならもうやったよ」
土曜日の俺には、寧ろそれしか出来なかった。
「謝罪とお礼と愛の言葉は何回口にしたって良いんだよ。もう一度謝れ。何度でも謝れ。罵られて殴られて、そして最後の最後に許してもらえ」
「それって、体験談か?」
「まぁな」
よく見ると、暁良の両頬が微かに赤く腫れている。昨日フラれた彼女とやらに引っ叩かれたんだな。しかも二人ともに。
「……よし、わかった。圭一が戻ってきたら、もう一度謝ってみる」
俺が意気込んでいると、
「何の話をしているのかな、二人とも?」
タイミングが良いというか、悪いというか。トイレから戻ってきた圭一が、話しかけてきた。
「けっ、圭一……」
謝る決意はしたものの、まだ心の準備が出来ていない。俺は思わず、圭一の名前を噛んでしまった。
「おはよう、真紘」
「あぁ、おはよう……」
暁良が俺を肘で小突く。さっき教えたことを実践してみろってか。
俺は椅子から立ち上がる。
「圭一、土曜日は本当にすまなかった!」
突然大きな声で謝罪をした俺を、クラスの皆が「え? 何々?」といった目で見てくる。
注目されるのは本意じゃないが、今は圭一に許しを請うのが急務だった。
「お前を裏切ってしまった事実は、なかったことに出来ない。だけど信頼を取り戻すチャンスを、俺にくれないか? 俺に出来ることなら何でもする、だから、だからーー」
「……また謝るだけかい?」
「……っ」
謝罪以外のものを求めている圭一に対して、俺は依然謝罪しかしない。平行線だ。
「……ったく」
見るに見かねたのか、暁良が頭をかきながら、俺たちの間に割って入る。
「何があったのかは知らないけどよ、真紘のこと、許してやったらどうだ? というか、とっとと許してやれ。じゃないとお前ら二人に気を遣い続けなきゃならなくなる」
一見自分本位に思えるその発言は、暁良なりの配慮なのだと俺も圭一もわかっていた。
「……暁良に言われたら、仕方ないね」
圭一は溜息を吐く。
「ねえ、真紘」
「なっ、何だ?」
「そこまで言うなら、土曜日のことは忘れるよ。その代わり……放課後ちょっと付き合ってくれないかな?」
「……殴るなら、一発だけにしてくれよ。二発目以降は耐えられない」
「我慢出来なくて、反撃しちゃう?」
「いいや。我慢出来なくて、泣いちまう」
「真紘の泣き顔って、とてもレアだね。女の子じゃないから、見たいとも思わないけど」
クスッと、圭一は今日初めて俺の前で笑みを見せた。
「放課後は野球部の練習があるからさ、練習が始まる前にグラウンドに来てよ。絶対だよ?」
「わかった」
一度裏切った俺を、お前は許してくれんだ。もう二度と、裏切る真似はしないさ。
俺は力強く頷いた。