ラブコメの神様は、デートを終わらせてくれない
会計を済ませて、俺たちは店の外に出る。
「ごちそうさま、華さん」
『ごちそうさまでした』
「お粗末様。また食べに来てくれると嬉しいわ」
「はい。凄く美味しかったので、そう遠くない内にまたお邪魔すると思います」
「えぇ、待ってるわ」
どうやら遠神も、すっかり『すおう亭』の料理の虜になってしまったらしい。新常連獲得という華さんの目的は、見事達成された。
「私はお店の手伝いがあるからここで別れるわね。今日は久々に同年代の子たちと遊べて、楽しかった。ありがとう」
「こちらこそ、楽しかったです。ありがとうございました」
店の中から、「華ー、手伝ってー」という蘇芳母の救援要請が聞こえる。
「はーい! それじゃあ皆、またね」
答えた華さんは、足早に店内に戻っていった。
華さんが抜けて、三人となった俺たち。ダブルデートは最早成り立たない。
補導される時刻までまだ猶予はあるが、これから三人で遊びに行こうという気にもなれず、俺たちもここで解散ということになった。
遅い時間ではないけれど、今は夜であり、辺りも暗い。
「爽香さん、送ってくよ」
これがデートということも踏まえると、圭一の提案は自然なものだった。しかし、
「ありがとうございます。でも、大丈夫です。私の家、すぐ近くなので」
ラブコメに欠かせない送迎イベント。それを拒む遠神の意思を、今回ばかりは尊重した。
こればかりは、お願いしますと言えないよな。なにせ遠神の自宅の隣には、俺の自宅があるんだから。
結局俺たち三人は、『すおう亭』の前で別れることにした。
互いの家を知らない筈の俺と遠神が、同じ道を二人並んで歩いて帰るのはひどく不自然だ。
圭一が遠神の家の場所を知るべく彼女をストーキングしているとは思えないが、念の為俺は遠神とは別ルートで、遠回りをして帰る。
通常の倍以上の時間をかけてマンションに帰ると、遠神が307号室の前で突っ立っていた。
俺が帰宅するのを待っていた。そう考えるべきだろう。
「もしかしなくても、待たせちゃってた?」
「私が勝手に待っていただけです。気にしないで下さい」
そう言うと、遠神はいきなり頭を下げた。
「真澄くん、今日は本当にありがとうございました。それとデートについて来て欲しいなどと無理を言ってしまって、ごめんなさい」
「別にお礼を言われることでも、謝られることでもないさ。……正直言うと、俺も楽しかったし」
デートについて来て欲しいと頼まれなければ、華さんとの一年振りのお出かけも叶わなかっただろう。そう考えると、俺の方が遠神に感謝したいくらいだ。
「で、どうだ? 今日のデートは、少しは遠神の恋の助けになったか?」
「それはもう!」
遠神は即答する。
俺も同意見だ。第三者の視点から見ても、遠神と圭一の距離はグッと近づいたように思える。
告白すれば、きっと圭一はOKするだろう。俺の見立てだと、そのくらいの域には達した筈だ。
「なら良かった。……だが次回のデートには俺を巻き込むなよ? 次こそは圭一と二人で楽しめよな?」
「善処します」
そこは善処じゃなくて、約束して欲しいところだった。
俺は308号室の鍵を取り出す。一方遠神は、
「……あれ?」
鞄の中をあさるだけで、その手に307号室の鍵が握られることはなかった。
「鍵がないのか?」
「はい。……おかしいですね。確かに鞄の中にしまった筈なんですが」
スマホの懐中電灯機能で鞄の中を照らし、手探りだけでなく視覚でも鍵を探す。それでも鍵は見つからない。
「デート中に、どこかで落としたんじゃないか?」
書店にバッティングセンターに映画館に『蘇芳亭』などなど。思い返せば、一日中遊び倒したからな。
「その可能性が高そうですね。……取り敢えず、管理人さんに報告してきます」
「急いだ方が良いぞ。この時間じゃ、もう帰っているかもしれないからな」
運が良ければ帰り支度に手間取って、まだ管理人室に残っているだろう。
「わかってます」
遠神は小走りで、一階エントランスの管理人室へ向かう。
隣人とはいえ、所詮は他人事だ。俺には関係ない。そう言い張ることも出来たが、いくら何でもそれは人としてどうかと思う。自分のことではないし、関係もないが、俺と遠神はいわば協力者同士。他人ではない。
308号室には入らず、ドアの前で管理人室から帰ってくる遠神を待つことにした。
それから五分と経たずして、遠神は戻ってくる。
「管理人さんはいたか?」
遠神は首を横に振る。
「残念ながら」
「そうか……スペアキーは?」
「越してきたばかりなので、まだ。……明日の朝一で、管理人さんに相談します」
「それは妥当な判断だが……お前、今晩はどうするつもりだ?」
スペアキーもなく、合鍵を保管しているであろう管理人室にも入れない。つまり遠神に、307号室に入る術はない。
ベランダの鍵でも開いていれば、俺の部屋のベランダ伝いで中に入ることも出来るんだけど。
「野宿は勘弁ですし、ファミレスやカラオケだと補導されかねないですからね。……多少散財しますが、ホテルでも探しますよ」
遠神も、ほとんど一人暮らしのようなもの。親からどのくらい生活費を貰っているのかは知らないが、生活は決して楽ではなく、常に節約を強いられている身だ。俺もそうだから、よくわかる。
たった一泊のホテル代も、バカにならない。
「駅前に行けば、ビジネスホテルがありましたよね?」
「あぁ」
「でしたら今晩は、そこで夜を明かすとします」
「ではまた明後日、学校で」。遠神は307号室をあとにする。
自宅の前に着いたというのに自宅に帰れないというのも、なんとも難儀な話だ。
「……大丈夫かな、あいつ」
心配しながらも、俺は308号室のドアに手をかける。すると、ザーッと、何の前触れもなく大雨が降り出した。
今日は一日雨が降る予報なんてなかった。それなのに、気象予報士に文句を言いたくなるレベルの突然の豪雨。これから夏が終わるまで、予測不能の降雨は覚悟しないといけない。
そういえば遠神のやつ、傘なんて持っていなかったよな。
「……大丈夫じゃないだろ、あいつ」
前言撤回。俺は308号室に鍵をかけ直すと、遠神を追い掛けて一階のエントランスへ向かった。
エントランスにはもう、遠神の姿はない。
マンションから一歩出ると、案の定、なす術もなくずぶ濡れになった遠神が、呆然と立ち尽くしていた。
「遠神……」
「真澄くん……」
こちらを振り返った遠神の表情は、雨のせいか、どこか悲しげに見えた。
「どうして私がこんな目に遭うんでしょうか?」。彼女の目が、そう訴えかけている。
この状況で傘やタオルを貸したって、焼け石に水。今更だ。
「ホテルが見つかれば良いな」と優しい言葉をかけるのも、もってのほか。そんな形のない同情なんかより、今彼女に必要なのは……。
……クソッ、仕方ない。
この雨がラブコメの神様の計らいだと気づいた時には、既に俺の取れる行動も限定されていた。
「……泊まってくか?」
この大雨の中ホテルを探し歩いていたら、風邪をひいてしまう。
「……良いんですか?」
「良いも何も、他に選択肢がないだろうがよ。幸いにも、明日は日曜日だし」
「……ありがとうございます」
お礼を言って、遠神はマンションの中へ戻った。