花のない青春
ラブコメの神様と絶縁してから、早一ヶ月。ラブコメをしたくない男子高校生の一日は、親友二人との何気ない雑談から始まる。
私立森峰高校2年A組。その教室に始業の20分前に着いた俺は、部活の朝練を終えて疲弊している日高圭一と、朝からスマホと睨めっこしている澤口暁良を強制連行して、爽やかな朝なひと時を満喫していた。
「圭一、暁良。今年は夏休みもクリスマスもバレンタインデーも、一緒に過ごそうね。俺はこれから、他の何よりも友人を大切にすると誓うよ」
夏休みには一緒に海や納涼祭に行って、クリスマスには一緒にイルミネーションを見て、バレンタインデーには互いにチョコを送り合って友情を確かめ合う。……うん、悪くない。
善は急げ。早速だが、スケジュール帳のイベント日は圭一と暁良、二人の名前で埋め尽くすとしよう。俺はスケジュール帳を鞄から取り出し、誤って消してしまうことのないようシャーペンではなくボールペンを手に持った。
「まずは夏休みだな。海にも山にも行きたいところだが、個人的には宿題を早々に終わらせたい派の人間だから、初日は俺の家で勉強会を開こう。その次の日は……」
「ちょっと待てやコラ」
今まさにスケジュール帳に予定を記そうとしていた俺の利き手を、暁良が鷲掴みする。
スマホでSNSの投稿を閲覧しては、先程から絶え間なく画面をスクロールさせていたので、てっきり「いいね」するのに忙しくて俺の話なんか耳に入っていないんじゃないかと思っていたんだけど……一応は聞いてくれていたみたいだ。
「何勝手に人様の予定決めてくれちゃってんだ。言っておくけど今年の夏は、先約があるぞ。三日四日なら付き合ってやることも出来るけど、毎日は無理だ」
暁良に便乗する形で、圭一も「NO」を返してくる。
「僕も部活があるから、あまり遊べないと思うな」
「ごめんよ」と、片手を軽く上げて圭一は謝る。
圭一は野球部所属。夏休みというと、順調に勝ち進んでいけば大会真っ只中だ。
部活に本気で青春を賭けている奴が、「負けたら遊べるよ」だなんて消極的なこと言う筈もない。
「いや、既に予定があるっていうなら仕方ないけどさ」
それにしても、皆夏の予定立てるの早すぎない? まだ五月の半ばだよ?
夏が一緒に過ごせないのなら……。俺は気を取り直して、スケジュール帳のページを12月まで移動させる。
「だったらクリスマスとバレンタインデーはどうだ? 流石に冬の予定はまだ決まっていないだろ?」
「待て。それはだいぶ待て」
今度は強めに、またしても待ったをかけられてしまった。
「どうした、暁良? もしかしてクリスマスとバレンタインの予定ももう埋まっているのか? さながら人気の高級レストランのごとく、向こう1年は予約がいっぱいなのか?」
「誰とどこで会うとか具体的なことは何も決まっていないけどよ」
「なら良いじゃねーか」
「良くねーよ。どうしてクリスマスやバレンタインっていうイベントを、恋人を差し置いてお前と過ごさなくちゃならねーんだよ?」
「……親友だから?」
「友情が重過ぎだっての。俺の彼女のあの日より重えよ」
「……なあ、俺何か変なこと言ったか?」
「おい、こいつラブコメを嫌うあまり感性がおかしくなってるぞ。バレンタインをホモチョコ交換会と勘違いしているぞ」
暁良は俺がラブコメと縁を切った事実を知っている。というか、鬱陶しがる暁良を無視してここ一ヶ月耳にタコができるくらい語り聞かせている。
だから俺が夏休みやクリスマス、バレンタインデーを異性と過ごしたがらないところまでは予想出来ていたようだけど、しかしながら、それを自分たちに強要してくるとは思っていなかったようだ。
暁良は俺を指したまま、助けを求めるように隣にいる圭一を見た。
圭一は苦笑しながら、
「一夜漬け明けのテスト当日とか、突然わけのわからないこと言い出すから「こいつヤベェな」って思う時もたまにあるけど、今のは特に重症だね」
「……笑いごとじゃないと思うんだが? こいつの中の常識を今のうちに正しておかないと、カップル蔓延る聖夜のイルミネーションスポットに野郎三人で突撃することになるぞ」
「それは……」
暁良に言われて、圭一は三人でイルミネーションを見に行く情景を思い浮かべる。
「……勘弁願いたいね」
到底許容出来るものじゃなかったのだろう。困ったような表情を浮かべながら、圭一は呟いた。
「だろ? そんな悍ましい未来を阻止する為に、俺たちは半年かけて真紘を真っ当な道へ戻さなければならないんだ」
暁良の意見に、圭一は大きく頷いて賛同する。
「僕たちだけじゃなくて、真紘自身の将来の為にも、そうするべきなんだろうね。ちょっと前までの、多少バカな部分があるだけで普通の男子高校生だった頃の真紘に戻してあげよう」
「あぁ。……原因はどう考えても、幼馴染みのお姉さんとやらにフラれたからだよな。恋をすると人は変わるっていうが、こいつの場合恋が終わったことでこうも残念な方向に変わっちまうなんて。恋に恋する真紘が恋しいぜ」
ひと月前までの俺の消失を悼むように、暁良と圭一は合掌する。そんな二人に対して俺は、
「純粋に失礼すぎるな、お前ら」
太平洋のごとく広い心で彼らの発言を流していたが、屍扱いは看過出来ず口を挟んだ。
「さっきも言ったけど、冗談抜きで別におかしなことは言っていないだろ。もう恋愛をしない。ラブコメをしない。そう心に決めた俺が受験前の貴重な一年間をどう過ごすのか? お前たち親友と青春する以外、何かあるっていうんだ?」
ラブコメをしない為、フラグが立ちそうな言動は慎む。しかしだからといって、誰とも会話せずただ登校して授業を受けて下校するだけのつまらない日常を送るつもりもさらさらない。
人生でたった三年間しかない高校時代。俺は青春まで諦めたつもりはなかった。
「大前提がおかしいって言ってんだよ。一度フラれたくらいでもう恋はしたくないだなんて、お前のメンタルは豆腐か」
「あぁ、そうだよ。豆腐は豆腐でも、絹豆腐だよ」
箸で掴もうとしただけで容易く崩れてしまいかねないから、これ以上傷付かずに済むようラブコメをしないと誓ったんだ。
「そんな胸を張って言われても、全然誇れることじゃねーから。完全な逃避だよ」
「いいや、戦略的撤退ってやつだ。逃げるが勝ちってやつだ」
「物は言いようだよな」
俺の主張にほとほと呆れたのか、暁良は溜め息を吐いた。
俺と暁良では、主義主張がまるで違う。徐々に水掛け論になりつつあった。
「いいか、真紘。男っていうのは単純な生き物だからな、女にフラれて成長するものなんだよ。「最低っ!」や「この嘘つきっ!」と罵られてビンタされて、それでも恋をすることをやめない。そうやって芯の通っている良い男になっていくんだ。ほら、俺を見てみろ。一体何度失恋したことか」
「あたかもそれが一般論みたいに言っているけど、お前の恋愛経験はアブノーマルだからな。反面教師という意味でしか、役に立たないぞ」
なにせこの男、顔はそこそこ良いものの、中身は数多の女と同時に付き合っては別れてを繰り返し、それをさも当然のように考えている最低のクズ野郎。
手を出すのもアソコを出すのも早いという、親友の俺でも擁護しきれないレベルの粗大ゴミなのだ。
常に女を側に置いていることから、ついたあだ名は森峰高校のリア充の帝王、略して森峰高校のリア王。断言しよう。森峰高校において、暁良程恋愛の場数を踏んでいる生徒はいない。……某有名作品のように、悲劇的結末を迎えれば良いのに。
「誰も俺の経験を真似ろとは言ってないっての。俺だって、自分の恋愛観が間違っていることくらいわかってるぞ。直すつもりはないけど」
自覚症状があり、その上で間違いを正すつもりがないとは。流石はクズの中のクズ。キングオブクズ。
こんな男がモテるのだから、世も末だ。やっぱり現実世界はどこかおかしい。
「だから真紘に見習って欲しいのは、俺の経験じゃなくて恋愛に対する姿勢。つまりだな」
ポンっと、暁良は俺の左肩に手を置く。
「いつまでもそう落ち込んでいないで、新しい恋を探そうぜ」
「新しい恋、ねぇ……」
そうは言うけど、恋心というのはボールペンや消しゴムみたいに、失くしたからって新しいのに簡単に替えが利くものじゃないだろう。仮に利くのだとしても、不器用な俺には到底無理だ。
俺は暁良の手を払い除ける。
「そりゃあお前は、一人にフラれたところでまだ沢山残ってるから、失恋の痛みなんて大して感じないんだろうよ」
「ごめんなさい」。華さんにそう言われた時の喪失感を、一ヶ月ぶりに思い出す。
ズキズキズキ。塞がりかけていた心の傷が、また開き始める感じがした。
「でも俺には、華さんしかいなかったんだぞ。華さんのことが好きだったから、好きで好きでたまらなかったから、今まで他の女の子に目もくれず男を磨き続けてきたんだ。なのに……」
「悪りぃ。ちょっとストップ。彼女その16からメッセが届いたわ」
心のこもっていない謝罪と共に、暁良は俺の吐露を遮る。
「失恋の傷が絶賛開きかけている親友の前で、よく彼女からのメッセージを優先出来るよな」
しかも何だよ、その16って? 徳川幕府の将軍の人数より多いじゃねーか。とっとと倒幕してしまえ。
「仕事よりも悪友よりも、女を最優先することがモテる秘訣だぞ。後学の為にも、覚えておけ」
そうすれば、澤口暁良みたいな男になれるってか。ハハッ、そいつはごめんだね。
俺の軽蔑の視線に気付かず(気付いていたとしても無視して)、暁良は彼女その16から受け取ったメッセージを読む。
「何々……「通販で頼んでた靴下が届いたよ。めっちゃ可愛いの」だってさ。おっ、写真も添付されてるぜ。見るか?」
「うわっ、心底どうでもよ!」
言いつつも写真を見せて貰うと、若干不気味なおじさんキャラのプリントされた靴下が写っていた。えっ、これ可愛いの? 最近の女子高生の価値観が、まるでわからない。
てか俺の心の叫びは、こんな靴下に負けたのか。
「圭一ぃ……」
あまりの屈辱に、俺は今度は圭一に泣きついた。
圭一は野球部所属。日頃からチームプレーをしている為か、俺たち三人の中で誰よりも仲間思いの男だ。
因みに正真正銘の超イケメン。圭一の格好良さを10とするならば、そこそこ顔の良い暁良でも6止まり。
え? 俺の格好良さはどれくらいかって? ……小数点使っても良い? (要するに1未満ということ)
圭一ならこんな女たらしとは違い、きっと俺のことを親身になって励ましてくれるに違いな……
「朝練の後で疲れているからさ、始業まで仮眠したいんだけど……そろそろ自分の席に戻って良いかな?」
圭一、お前もか……。
「仮眠と俺、どっちが大事なんだよ!」
「何だか面倒くさい彼女みたいになってるね。そういう聞き方をするなら、仮眠の方が大事って答えるかな」
「この薄情者め!」
親友を蔑ろにするなんて、もう知らねえ! お前たちとなんて、絶好してやる! ……ずっとは寂しいから、次の休み時間までは。
何はともあれ、こんな風にくだらない会話を交わし合うのが、俺の朝の光景で。
だけど、十分だ。心を許せる親友が二人もいる。他に何を望むというのだ。
メインヒロインなんて要らない。サブヒロインなんて要らない。モブキャラであろうと、女の子は必要ない。
日高圭一と澤口暁良。俺の青春に必要な登場人物は、ここに揃っている。
むさ苦しい男だらけの、花のない毎日。うん、なんとも素晴らしいことか。