圭一のターン
じゃんけん大会二回戦。次に負けたのは、圭一だった。
「僕が皆を連れて来たかったのは、ここだよ」
電車で一駅だけ移動してやって来たのは、大型のアミューズメント施設。その中に複合している、バッティングセンターだ。
「圭一といえば野球。野球といえばバッティングセンター。そういうことか?」
「単純な連想ゲームだけど、そういうことだね。バッティングセンターなら野球初心者でも楽しめるし、良い気分転換になると思うよ」
言いながら圭一は、我先にとブースに入っていく。
「まぁ、ちょっと見ててよ。見ていたら、きっと皆もやりたくなるだろうから」
バットを手に持ち、料金の200円を投入する。
圭一の入ったブースは、球速130キロ。だというのに、次々と快音を鳴らしていく。
イケメンがホームランを量産する様は、俺たち三人だけでなく周囲の注目も集めていた。「おぉ」という感嘆の声が、思わず漏れる。
ピッチングマシンから投げられた20球のうち、圭一は実に19球を『ホームラン』と書かれた的に直撃させた。
「凄い! 凄いです、圭一くん!」
ブースから出て来た圭一に、遠神が興奮気味に近寄っていく。
「あんなに速い球をいとも簡単に打つなんて、もう脱帽です!」
「一応野球部所属だからね。それでも一球打ち損じちゃったけど」
「たった一球じゃないですか。そんなの誤差の範囲なので、パーフェクトと言って差し支えないですよ」
しかもその打ち損じた一球も、ホームランの的から数センチ外れただけ。言うなればツーベスないしろスリーベースヒットで、試合ならもれなくヒーロー賞だ。
「やっぱり圭一は凄え。俺なんかとは、比べ物にならないな」
それでこそ、俺の選んだラブコメ主人公である。
独り言のつもりだったが、すぐ横に立っていた華さんの耳に入っていたらしく、彼女は律儀にも反応してくれた。
「そんなことないわよ。真紘だって、日高くんに負けていないわ」
華さん……。建前だとわかっていても、初恋の人に認められたような感じがして嬉しかった。
「だから真紘。私、真紘の格好良いところが見てみたいな」
…………ん?
「はい、これ」
頭上にはてなマークを浮かべている俺に、華さんは問答無用で200円を手渡してくる。
喉が渇いたからこれでジュースを買ってこい、というわけでないことは、当然わかっている。この状況で200円を渡す理由なんて、一つしかない。
圭一を過剰なくらい称賛する遠神を見て、「うちの彼氏だって負けてないんだぞ!」という対抗心が芽生えたのだろう。彼氏じゃないけど。
「かっ飛ばせ〜、ま・ひ・ろ!」
「かっ飛ばせって……」
ったく。無茶振りにも程があるだろう。
でも華さんたっての希望なら、「嫌だ」と突き返すわけにはいかないじゃないか。
「任せといてよ、華さん」
俺は受け取った200円をコインベンダーの投入口に入れて、バットを構えた。……球速80キロの打席で。
「真紘、それはない」
華さんがきっぱり言う。
「仕方ないだろ! 俺はろくにバットを振ったことすらないインドア派の人間なんだよ! そんなもやしっ子が、130キロの球なんてまぐれでだって打ち返せるわけないっての!」
奇跡的にバットに当てることが出来たとしても、ホームランなんて不可能だ。
全球空振りという醜態を晒すくらいなら、球速を落としてでも打ちまくっている姿を見せ付けたい。見栄えだけでも良くしたいという男の意地というものを、理解してくれ。
一球目が投げられる前に、俺は圭一にある提案をする。
「なあ、圭一。俺とひと勝負しないか?」
「勝負? それって、バッティング勝負だよね?」
「この状況でPK勝負とか言い出すわけないだろ? ……お前はさっきの打席で、一球打ち損じているよな? もし俺がこの打席で20球全てホームランに出来たら、一つだけ命令を聞いてくれよ」
「命令って……穏やかな響きじゃないね」
「命令が嫌なら、強制的なお願いでも良いぞ?」
「いや、それ表現変えただけで実質は何も変わってないから。……念の為の確認だけど、真紘がこの打席で二球以上打ち損じたら、逆に僕の命令を聞いてくれるんだよね?」
「勿論だ」
そうでなければ、勝負にならない。
「で、どうする?」
そろそろボールが投げられるので、答えを出して欲しいのだが。
「良いよ。常識の範疇のお願いもとい命令限定っていう条件なら、その勝負受けて立つよ」
「決まりだな」
俺はほくそ笑む。
圭一め、見事に罠にかかったな。
ろくにバッドを振ったことすらないというのは、真っ赤な嘘。バッティングセンターには、気分転換に時折通っている。例えばフラれた後とか、フラれた後とか。
その時打つのは、いつも80キロの直球。だからコースの決まった80キロの球なら、確実にホームランにする自信があった。
圭一、お前も男なら二言はないぞ。そして俺が勝利した暁には……遠神を好きになってくれっていう命令は、流石に無理だろうからな。遠神ともう一度、今度は二人きりでデートをしてもらう!
「見てろよ! 満塁ホームランを打ってやる!」
「ランナーがいないから、どう頑張っても満塁弾は打てないと思うな」
冷静かつ的確な指摘、ありがとうございます。
ピッチングマシンが動き出す。俺はマシンから放たれる、見慣れた速度のボールを――
――ヒュンッ! バシィッ!
…………え?
後方から転がってきたボールが足に当たるまで、俺は何が起こったのか把握出来ていなかった。
今、ボールが投げられたの? 80キロの筈なのに、全く目視出来なかったよ?
金網の向こうで、圭一があごに手を当てて呟く。
「今の球、80キロじゃないね。マシンの故障かな? その倍は出ていたよ」
80キロの倍って……160キロ!? どこのメジャーリーガーだよ!
俺の勝ち確定だったこのタイミングでの、突然のマシンの故障。原因なんて、一つしか考えられない。
……そうか。ラブコメの神様よ、また俺の邪魔をするんだな。
「……なあ、圭一」
「真紘、ここで勝負をなかったことにするのは、この上なく格好悪いわよ」
華さんが俺の言わんとしていることをいち早く察する。そして封じる。
「そんなこと言わないさ。……ハハハ」
男に二言はない。どうやらそれは、俺にも適用されるようだ。畜生! もうなるようになってやる!
バットを振らなきゃボールには当たらない。せめてもの悪足掻きとして、俺は力一杯フルスイングを繰り返した。
が、そんな努力も虚しく終わり、結果は全球空振り。素人の目から見ても、見事に振り遅れていた。
だってさ、160キロの豪速球だよ? 打ち返せるわけないじゃん。もう高速じゃなくて、光速だよ。
今更ながら、圭一に勝負を挑んだことを後悔する。
最後の一球も盛大に空振り、膝から崩れ落ちる。マシンの故障など知らない小学生球児たちが、そんな俺を指差して大笑いした。現実って、残酷だね!
ブースを出た俺は、何よりもまず圭一に頭を下げた。
「もう一回チャンスを下さい!」
本当は勝負自体を無効にしたいところだけど、それは無理。ならせめて、故障していないピッチングマシンで再チャレンジさせて欲しい。
野球部の圭一が球速130キロで、名ばかり文芸部の俺が160キロなんて、不公平じゃないか。
宣言通りの80キロ、いや、85キロでも良い。俺は圭一に頼み込んだ。
「ダメだよ」
俺の往生際の悪さに「仕方ないなぁ」と呆れながらも、圭一ならば渋々了承してくれると期待していた。しかし……俺の読みは見事に外れる。
「だけど、マシンが壊れているなんて予想外で……」
「そうだね。でもそれは、言い訳にならないよ」
圭一は俺の弁明に、耳を貸さない。
「真紘はこの打席で勝負するとは言ったけど、球速まで明言していないよね? だから、80キロだろうが160キロだろうがボールが投げられた時点で、勝負は有効。再挑戦は認められないよ」
口にしなかっただけで、球速80キロのブースに入ったのだから80キロで挑もうとしているのは明白だろうに。間違っても160キロに挑戦する意思はないし、仮にそうだとしたら、きちんと160キロのブースに入っている。
しかしそれが言葉足らずだったと言われれば、それまで。ピッチングマシンが壊れている可能性を考慮していなかった俺のミスだ。
俺は助けを求めるように華さんを見る。
華さんはわざとらしく、誰もいない背後に振り返った。
遠神はというと、圭一の主張に納得したのか「確かに」と頷いている。……どうやら、俺に味方はいないようだ。
「そういうことだから、勝負は僕の勝ちってことで良いよね?」
「……不本意ながら」
「そこは潔く負けを認めようよ」
圭一は苦笑を浮かべた。
「うるせーよ。……で、命令は?」
屁理屈同然の主張を通してまで俺に負けを認めさせたんだ。余程俺に命令したいことがあるのだろう。さっぱり見当がつかないが。
「慌てなくても、今から出すよ。……それでは、勝者権限で真紘に命令します」
圭一は少し間を溜めた後、勝利報酬の命令権を発動した。
「今後真紘は僕の呼び出しに、ちゃんと応じること。そしてそこでの話をきちんと聞いて、真剣に考えること。いいね?」
……何だ、それ? そんなものが、是が非でもしたかった命令なのか?
全くもって、意味がわからない。
バッティング勝負は、謎を残したまま終わった。