爽香のターン
最初の目的地は、一人負けした遠神お勧めの書店だった。
目的地といっても、駅ビルの中の書店なので、移動時間は五分とかからない。
ワンフロアの半分の面積を占めている為、近隣では一番大きな書店として位置付けられている。
文庫や漫画、絵本は言うまでもなく、学生もよく利用するので参考書の品揃えも豊富だ。
「ここの本屋って、こんなに広くなっていたんだね。何年か前に来たっきりだったから、知らなかったよ」
書店に着くなり、圭一は開口一番そんな感想を呟く。
「圭一くんは、あまり本屋に来ないんですか?」
「うん。本を読むにしても、最近電子書籍ばっかで。参考書は、学校の購買で買えちゃうし」
「そうだったんですね。私はページを繰るという行為そのものが好きで、未だに紙媒体を愛用しています。だからこの本屋も御用達なんです」
遠神は紙の本派で、圭一は電子書籍派。知らなかった互いの一面を、二人は新たに知ることが出来た。各々お勧めの場所を紹介するという華さんの提案様々だな。
「こっちです」
遠神は俺たちを、高校参考書のコーナーに案内する。
「折角大学生がいるんですし、来年の受験に向けて実用性の高い参考書を教えて貰えればと思うんですけど」
俺たちの中で、大学生は一人しかいない。遠神は華さんを一瞥した。
「良いわよ。どの教科の参考書が欲しいの?」
「私は英語です。長文読解を早く正確に解けるように鍛えたくて」
「僕は数学ですね」
「遠神さんは英語の長文読解で、日高くんは数学ね。わかったわ。少し待ってて」
華さんはどの参考書を勧めるべきか、熟考し始める。
華さんを待っている圭一に、俺は尋ねてみた。
「あれ? 圭一って、文系に進むんじゃなかったか?」
なのに数学の参考書が欲しいって……。
「そうなんだけどね。国立志望だから、数学も疎かに出来ないんだよ。真紘は私立志望?」
「志望ってわけじゃないけど、多分私立の大学を選ぶと思う。まぁ俺の場合、まず文系か理系かを選ばなくちゃいけないんだけどな」
そんな会話をしながら、待つこと5分。数冊の参考書を抱えて、華さんが戻ってきた。
「お待たせ」
華さんは何も言わずに、全ての参考書を俺に差し出してくる。……はいはい。持てってことね。
デートにおいて、荷物持ちは男の仕事だと相場が決まっている。俺は参考書を代わりに持つ。
華さんはその内の一冊を手に取ると、遠神に手渡した。
「英語の参考書なんだけど、これなんてどうかしら? 良問揃いだし、一つの文章あたりの単語数も700文字と丁度良いし。何より解説が懇切丁寧で、それを読むだけで勉強になるのよ」
華さんが勧めたのは、度々テレビにも出演している人気予備校講師が監修している長文読解の問題集だ。森峰高校でも、多くの三年生が愛用している。
「そして長文読解で重要になってくるのは、単語力。知らない単語、わからない単語をどれだけ減らせるかで、長文問題の正答率は大きく変わってくるわ。というわけで、この単語帳も併せて活用するのがオススメ」
遠神は手渡された単語帳を、パラパラめくる。
「この単語帳、長文読解頻出の単語だけじゃなく、専門用語も載っているんですね」
「そうなの。英語の苦手な人には少しハードルが高いんだけど、二冊目三冊目の単語帳として購入を考えている人にとっては、簡単過ぎなくて寧ろ丁度良いと思うわ」
「確かに、今更「play」とか「speak」が載っている単語帳は、勘弁して貰いたいです。……わかりました。試してみようと思います」
「頑張って。……次は日高くんね」
華さんが、圭一に用意していた数学の参考書を持つ。結果俺の手から参考書がなくなった。
圭一は華さんのプレゼンを、遠神同様真剣な表情で聞いている。
遠神も圭一も、成績上位者。まだ高二の五月だというのに、今から受験を意識している。うん、偉いなぁ。
二人に敬意を払いつつも、進路について未だ何も考えていない自分を恥じるつもりはない。
俺たちは高校二年生。まだ受験生じゃない。青春を謳歌して、何が悪いっていうんだ。
それに今日は圭一と遠神のデート。俺も華さんにオススメの参考書をねだることで、二人の時間を無駄にしては悪い。……よし、漫画コーナーにでも行くとするか。
俺がこの場から、具体的には参考書コーナーから離れようとすると、
「真紘。あなたはどこへ行こうとしているの?」
……逃げられなかった。
いつもより1オクターブ低い華さんの声に、俺の体は硬直する。
「確か真紘は、まだ文理選択が出来ていなかったのよね? なら、どの道へ進んでも良いように全教科の参考書を買って対策しないと」
「全教科って、流石にそれは……」
なんというスパルタ。少しでも勉強量を減らしたいというしょうもない理由で、今ここで文理選択をしてしまいたい気分だ。
「だったら、何を勉強したいの? ん?」
「えーと……あっ、保健体育。それも実技」
「真紘、市内をダッシュで10周」
「今すぐGO」と、書店の出入り口を指す華さん。
実技は実技でも、保健じゃなくて体育の方かよ。