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困った時の姉頼り

 遠神の帰宅後すぐに308号室を出た俺は、当初の予定通り夕食にありつく為『すおう亭』に足を運んでいた。


 見慣れた暖簾をくぐり入店した俺は、迷うことなく最奥のカウンター席に向かう。

 空いている時は、いつもこの席に座ることにしている。小さい頃からの特等席だ。


 何年も毎週のように通っている『すおう亭』。メニュー表なんて見る必要はない。全て頭に入っている。

 今夜の気分は、そうだなぁ……。俺は『すおう亭』人気トップ3メニューの1つ、生姜焼き定食を注文した。


 包丁で野菜を切る音、肉を炒める音、そして生姜の匂い。店主の蘇芳父が調理を進めていく。


 母親の仕事の都合上、子供の頃は蘇芳家に預けられることが多かった俺にとって、『すおう亭』の料理こそが家庭の音であり、匂いであり、味であり。こうして席に座っていると実家に帰って来たような感覚になり、心が落ち着く。

 そして心が落ち着いていると、考え事にも精が出るというものだ。


「うーん」


 注文した生姜焼き定食が運ばれてくるのを待つ間、俺は幾度となく声を唸らせる。やがて、


「どうしたの? 悩み事があるなら、相談に乗るわよ」


 出来立ての生姜焼き定食を運んできた華さんが、尋ねてきた。


「悩みって呼べる程大層なものじゃないんだけど……聞いてくれる?」

「もちろん。だって私は、真紘のお姉さんだもの」


 そう言った後、華さんは厨房に立つ蘇芳父を一瞥する。


 少し仕事から離れて良いか? 彼女は視線で、そう問いかけたのだろう。蘇芳父は右手で丸を作った。


「隣失礼するわね」


 蘇芳父からの了承を得た華さんが、俺の隣の席に座る。そして俺の手元に置かれているお冷を指した。


「それ、貰って良い?」

「えっ、何で?」

「何でって……喉乾いたから潤したいのだけれど?」

「いや、そういうことじゃなくて……」


 水を飲みたい理由ならわかっている。だけど水が飲みたいのなら、自分で入れれば良い話ではないか。


 お冷は元々無料だし、仮に有料だったとしても、華さんは『すおう亭』の従業員。自由に飲める筈だ。

 だというのに、わざわざ俺のお冷を掻っ攫う理由がどこにあるのだろうか?


「俺が口つけたやつだよ?」


 華さんが飲んだら、間接キスになっちゃうよ?


「だから?」


 説得力なんてまるでないというのに、俺は反論出来なかった。


「……どうぞ」


 言われるがままに、自分のお冷を差し出す。


「ありがと」


 華さんはお冷を躊躇いなく飲み干す。俺がどこに口を付けたのかなんて、気にする素振りもない。

 気にしているのは俺だけというのが、悔しかった。告白してなお、彼女は俺を弟としか見ていない。


「で、何を悩んでいるの?」


 華さんのそういう言動についてだよ! そう言ってやりたい気持ちをぐっと堪える。


 今頭を悩ますべき事案は、遠神と圭一のデートについてだ。


「いやな。今とある女の子の恋を手助けしているんだけどさ」

「ほう。それはまた、珍しいことを。恋愛コンサルタント、略してレンコンね」

「何その略称。計画にめっちゃ穴ありそうなんだけど」


 もしこの先恋愛コンサルタントという肩書きを名乗るときがあったら、絶対に省略しないようにしよう。信用問題に関わる。


「それでめでたいことに、その女の子が好きな男の子とデートをすることになったんだ。そこまでは良かったんだけど……あろうことかその女の子が、俺にもついてきて欲しいって言い始めてさ」

「ついてきて欲しい? それって遠くから見守るってことかしら? きっとその子にとって人生初めてのデートなのね。不安だから誰かに見ていて欲しいっていう気持ち、わかるわ」


 うんうんと頷いて、華さんが同調。


「普通そう思うよね? でも、どうやら違うらしいんだ。俺もデートに直接参加しろと」

「え? 何その超面白展開。詳しく」


 俺は席替えで隣の席になった女の子が、偶然隣の307号室に越してきたこと。その女の子が俺の親友に恋慕していること。そして、その女の子の恋を叶えることで、俺自身に発生しそうなラブコメを回避したいこと。

 最低限の遠神の個人情報は伏せた上で、可能な限り詳細な説明をした。


 説明を聞き終えた華さんは、「そういうこと……」と呟く。


「俺だってその子の恋は叶えてあげたいし、その手伝いを全力でするって約束もした。だから彼女の要望は出来る限り叶えてあげたいんだけど……俺がついて行くのって、ちょっと不自然じゃん?」

「ちょっとじゃなくて、かなり不自然ね。周りから空気読めよっていう視線を向けられまくると思うわ」

「だろ? だからどうしようかなーって」

「そうねぇ……」


 弟が困っている姿を見ていられないらしく、華さんも一緒になって考え始める。


「だったら一つ、良い案があるわよ」

「本当?」


「えぇ」と、華さんは自信満々に頷く。


「一人でついていくのがおかしいなら、二人でついていけば良いの」

「暁良も巻き込めってこと?」

「暁良って男友達? 何でそうなるのよ。一緒に連れて行くのは、男じゃなくて女。要するに、ダブルデートにしちゃいましょうってこと」

「ダブルデート……その選択肢は思いつかなかったな」


 それなら一番近くで、自然に二人を観察出来る。より効果的なサポートをすることだって可能だ。でも……。


 ダブルデートということは、当然俺もデートをすることになる。遠神とラブコメをしない為に別の誰かとラブコメを始めるなんて、本末転倒だ。


 すると華さんが、強調する様に何度も自分を指差していた。


「ここに、最適な女がいるじゃない」


 ……言われてみれば、そうだ。


 灯台下暗しというか、完全に盲点だった。

 華さんとならば、デートをしてもラブコメが始まることはない。なぜなら彼女とのラブコメは、既に終わっているのだから。文字通り、形だけのデートになる。


「私が真紘のデート相手になってあげる」

「ありがたい申し出だけど、デートは今週の土曜日だよ? 予定とか大丈夫なの?」

「土曜日っていうと、大学の友達から合コンに誘われているわね。でも正直行きたくないし、寧ろ断る口実が出来て良かったと思っているくらいよ」


 それは俺を気遣った建前などではなく、本心からの言葉だった。


 あと、合コンに行かなくてちょっと安堵。華さんが合コンに参加したら、絶対男性陣の視線を独り占めしちゃうもの。


「大体真紘如きが私に気を遣うなんて、生意気。遠慮せず、素直に頼りなさい」


 ギューっと、華さんは俺の左頬を引っ張る。そのままグリグリグリ……。痛いれす。


「わかったよ。わかりましたから、その頬をつねるのやめて」

「何がわかったの?」


 華さんはグイッと、俺の顔を自身に近付ける。


「……土曜日、俺と(形だけの)デートして下さい」

「はい、よろしい」


 華さんが俺の頬から手を離す。

 俺は一部だけ赤くなったであろう頬を優しくさすった。


「真紘とお出かけなんて、すごく久しぶりよね。一年振りくらい?」

「最後に出掛けたのが高校に入学する直前だったから、そのくらいかな。『すおう亭』に通っているから、ちょくちょく会ってはいるけど」


 俺はまだしも、華さんは大学や『すおう亭』の手伝いで忙しかったので、一緒にどこかへ遊びに行く機会を設けられていなかった。


「ねぇ、土曜日はどんな服を着て欲しい?」

「なるべくエロい服装でお願いしゃす。胸元ガン開けとか、太もも以下生脚丸出しとか」

「却下。だって遠神さんとやらのデート相手もいるんでしょう?」


 確かに。華さんの魅力的な格好を、他の男に、たとえ親友であったとしても見せたくないな。ていうか今の華さんの答えだと、俺と二人きりならエロい格好してくれるってことになるんだけど……?


 遠神から送られてきていたデートの集合時間と待ち合わせ場所を、華さんに転送する。

 それから冷めて肉が固くならないうちに生姜焼きをたいらげて、


「ごちそうさまでした」


 代金の800円をぴったり華さんに手渡して、席を立った。


「あっ、ちょっと待ってて」


 椅子をしまったところで、華さんに呼び止められる。


 華さんは一度厨房の中に引っ込んだかと思うと、すぐにタッパーを持って戻ってきた。


「これ持って帰って」


 華さんは俺にタッパーを差し出す。タッパーの中に詰められていたのは、野菜炒めだった。


「どうせ冷蔵庫の中が空だから、ウチに来たんでしょ?」

「うっ」


 声を上げる俺を見て、華さんは「やっぱり」と呟く。


「ということは、明日の朝食は抜くつもりなのよね? 「お昼ご飯をいつもの倍食べれば良いや」って」

「……はい」


 どうやら華さんには、全部お見通しのようだ。

 華さんが俺に関することで見破れなかったのは、ただ一つ。俺の彼女に対する恋心だけである。


「これあげるから、明日の朝ご飯にでもしなさい。育ち盛りなんだから、朝はきちんと食べること。わかった?」

「またお節介を。華さんって、俺の母親?」

「母親じゃなくて、幼馴染みのお姉さんです」


「でも……」。華さんは続ける。


「幼馴染みのお姉さんが真紘の体を心配したら、ダメ?」


 ……ダメなわけないじゃないか。物凄く嬉しいよ。


 俺はタッパーを受け取る。


「ありがとう。感謝を込めて、食べさせて貰うよ」

「そうしてちょうだい。タッパーは次来る時持ってきてくれれば良いから」


 だったら、なるべく早く返すことになるだろう。それこそ、明日にでも。

 冷蔵庫の中に何もないからではなく、きっと明日も華さんに会いたくなってしまうから。

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