ランチタイム
翌日の昼休み。勝負の時はきた。
四限の終わりを告げるチャイムは、まるで開戦の知らせのように思えて。「いざ出陣!」と、誰かがはっぱをかけてくれている気分だった。
遠神の恋を叶える為に、何より俺がラブコメ主人公にならない為に、今度こそ自分の役割を全うしなければならない。
俺は昨晩計画した通り、圭一を中庭へ連れ出そうとした。……が、
「ねえ、真紘。今日のお昼は、久しぶりに学食にしない?」
いつもは購買のパンやコンビニのおにぎりで済ませるくせに、何で今日に限って学食とか言い出すんだよ。
いいや、待て。皆まで言うな。圭一が悪くないことくらい、わかってるさ。
どうせこれも、ラブコメの神様の嫌がらせなんだろう?
またしても早々に計画失敗が懸念されたが、この真澄真紘、二度も同じミスはしない。
ラブコメの神様から横槍が入るのは、想定済み。だから俺は、昨晩のうちに対策を練ってきていた。
「最近ご無沙汰だったし、たまには学食も悪くないな」
「でしょ?」
「だが悪い。その前に、トイレに行かせてくれ」
トイレに行きたくなるのは生理現象。ダメと言えるわけもなく、勿論圭一は快諾してくれた。
「すぐ戻るから、ちょっと待っててくれ」
そう言い残し、俺は教室を出る。
トイレに行きたいというのは本当だが、尿意も便意もない。トイレに行くこと自体が目的だった。
俺は一番奥の個室に入ると、便器の上に座り、そのまま10分ほどソシャゲのイベントを周回する。
一見ただの遅延行為としか思えないが、実はこれこそが俺の用意した対策というやつで。
どうだ、ラブコメの神様。いくらお前でも、この反撃は予想していなかっただろう。
残念だったな。今回は俺の勝利だ。……だからって、理不尽にゲームオーバーさせるのやめて下さい。
ソシャゲに勤しむこと10分。
「……そろそろ頃合いかな」
丁度スタミナも尽きたことだし、俺は満を辞して教室に戻った。
教室に戻ると、圭一は律儀に俺のことを待っていてくれていた。
先に学食に行っていたら計画が頓挫してしまうところだったけど、その心配は杞憂だったらしい。或いは「ちょっと待っててくれ」と伝えておいたのが功を成したのかもしれない。
「おかえり、真紘」
「待たせたな。大きい方だったからよ」
「別に聞いてないし、食事前に聞きたくもなかったよ」
「それじゃあ、お昼に行こうか」。俺たちが学食に向かうと……既に席は埋め尽くされていた。
「あちゃー。やっぱり遅かったか」
俺はペシンと額を叩いて大袈裟に残念がり、内心ではほくそ笑む。この状況こそ、俺の狙いだった。
俺がトイレでソシャゲをしていた10分。この僅かな時間が、お昼休みにおいては大きな意味を有している。
学食の席が確保出来なくなるのだ。
森峰高校の学食のメニューは、カレーやラーメンやカツ丼や。ありふれたものばかりでこれといって目を惹くメニューはなく、空くのを待ってまで学食で食べたいと思う生徒は、まずいない。
空席がある。じゃあ、利用しよう。その程度の感覚だ。
当然圭一も、そこまで学食に思い入れはなく。
「しょうがないね。学食は諦めて、いつも通り教室で食べようか」
結果、こうなるわけだ。
しかし教室というのはいただけない。遠神とエンカウントする為には、今日のお昼は中庭で過ごさなければならない。
「折角の天気だし、中庭で食べないか?」
俺はさも妥協案のような口調で、本命の案を口にした。
「中庭? 別に良いけど……暑くない?」
「真夏じゃあるまいし、日陰で食えば、そうでもないだろ。少し風もあるから、寧ろ気持ち良いんじゃないか」
「真紘がそうしたいなら、僕は構わないけど……」
思うところがあるようだったが、圭一は了承してくれた。
購買で俺はパンを、圭一はおにぎりを買って、中庭へ向かう。
森峰高校の中庭には名物とも言える大きな噴水があり、それを囲むようにベンチが設置されている。
学食程ではないが、中庭もお昼の混雑スポット。ラブコメの神様がまたベンチを全て埋めるという嫌がらせをしているんじゃないかとヒヤヒヤしていたけど、奴もお昼休憩中なのだろう。そこまではなかった。
校舎に一番近いベンチがかろうじて空いていたので、俺と圭一は隣同士腰掛けた。
三人用のベンチを、贅沢に二人で使う。男同士引っ付いたりするなんて、気持ち悪いことはしない。
パンの袋を開けて、昨夜食ったのにどうしてカレーパンを買っちゃったかなと若干後悔しながら、俺は食事を始めた。
噴水から流れ落ちる水が、夏日の中でも涼しさを感じさせる。
風鈴の音色のようなものだ。
この噴水が名物と言われているのは、大きいからや目立つから以外にも理由があった。
「なあ、圭一。この噴水の前で告白すると成功率100パーセントって噂、知ってるか?」
「聞いたことはあるよ。半信半疑ではあるけどね。真紘は信じてるの?」
「噂自体は、嘘ではないな」
嘘じゃない。が、事実とも異なる。
「「噴水の前で告白したらフラれました」なんて皆の前で宣言する奴、普通いるか?」
失恋は隠したい。それが人の心理である。
「フラれた人は、そもそも申告しない。告白に成功した生徒だけの統計だから、成功率100パーセント。そういうことかい?」
「そういうこと。あれだ。努力は必ず報われると同じ理論だ」
だってあのセリフ、努力が報われた人間しか提唱してないからね。
夢破れた人が言っても、「いや、お前が報われてないじゃん」って返されるのがオチである。
「真紘もここで告白していたら、成就していたかもね」
「……どうだろうな」
この噴水の前で華さんに告白していたら――。そんなこと、圭一に言われるまでもなく何度も想像したさ。
でも、今更考えたって仕方ない。
過去は変えられない。華さんにフラれたって事実は消えない。そして、俺が二度とラブコメをしないという誓いも絶対に撤回しない。
俺たちが噴水を眺めながら昼食を楽しんでいると、計画通り、遠神が近づいてきた。
空いているベンチを探すフリをしながら、「おや?」と偶然を装って接近する様は、主演女優賞をあげたいくらい見事なものだった。
「あら、真澄くんに日高くんじゃありませんか」
どうしてそこで俺の名前を先に呼ぶ。圭一が先だろ、普通。お前にとって大切なのはどっちなんだ?
文句の一つも言ってやりたいところだが、いかんせん遠神はたまたま俺たちの姿を見かけた設定になっている。
俺も「おう、奇遇だな」と返すしかなかった。
「遠神さんもお昼かい?」
「はい。天気が良いので外で食べるのも良いかなーって。そう思って出てきたは良いものの、場所がなかなかなくて……」
遠神は眉をハの字にして、困り顔を見せる。
「だったら、一緒にどう? 丁度もう一人分席は空いているし」
この提案は俺からする手筈だったけど、圭一から言ったのはナイスだ。流石はイケメン信じてたぞ。
「良いんですか?」
「勿論! 寧ろ断る理由なんてないよ」
「でしたら、お言葉に甘えて」
遠神は俺と圭一の間に腰掛けて、膝の上に弁当箱を置いた。
弁当箱の大きさは、女子の食べる量としては些か大きい程度。デザインは女の子用なので、なんら違和感はない。
気合を入れすぎて重箱を持ってきたらどうしようと心配していたけど、その辺の抜かりはないようだ。
「遠神さんのお昼は、お弁当なんだね」
圭一が、早速食いついた。
「はい。ほとんど一人暮らしみたいなもので、節約の為に自炊をしていまして。食費とか親から援助して貰っていても、毎月かなりギリギリの生活なんですよ」
「だってさ。同じ一人暮らしでも外食やコンビニ弁当ばかりの真紘も、見習わなくちゃね」
「ハハハ。そうだな」
言えない。昨日はコンビニ弁当でも外食でもなく、遠神お手製のカレーを食べましたなんて、口が裂けても言えない……。
遠神が努力をしているんだ。ここで俺がフォローしないで、どうして協力者を名乗れようか。
「にしても遠神って、料理上手いんだな。ほら、この卵焼きなんて、めっちゃ美味しそう。やっぱり家庭の味が一番得意ってやつ?」
良かれと思って、俺はそんな発言をする。
「いえ……この卵焼きは、料理サイトで作り方を見て……」
『……』
なんか、ごめんなさい。
しかし俺がやらかした結果、圭一が空気を戻そうとして、
「えーと、だけど本当に美味しそうなお弁当だよね。良かったら一口貰えないかな?」
まずは俺が食べてから、圭一にも促す手筈だったが……これは良い意味で予想外の展開だ。
「構いませんよ。お好きなものをどうぞ」
「じゃあ、卵焼きを」
圭一は卵焼きを手でつまむ。そこはあーんだろ、普通!
この優等生が! 勉強ばかりしているから、ラブコメの常識もわかっていないんだよ!
圭一は幾度か咀嚼を繰り返し、やがて卵焼きを飲み込む。
「うん、見た目以上の美味しさだよ」
「本当ですか!」
圭一の絶賛に、遠神は過剰なくらい喜んだ。
「でしたら、もう一ついかがです?」
「良いのかい?」
「はい!」
遠神は嬉しそうに頷いて、弁当箱ごと差し出す。
相変わらず初心な二人はあーんをしないけど、段々と良い雰囲気になってきている。もう二人の目には、互いの姿だけで俺なんて映っていないんじゃないかな。
やれやれ。それじゃあ邪魔者は立ち去りますか。
俺はベンチから立ち上がった。
「真紘、どこへ行くんだい?」
「聞くなよ。トイレだよ」
「トイレって……さっきも行かなかったっけ?」
行きましたね。行ってゲームしてましたね。
「仕方ないだろ? 今朝から腹の調子が悪いんだ」
「今カレーパン食べてたよね!?」
しまった。こうなることも見越して、お粥を買っておくべきだった(購買にお粥は売っていない)。
「えーと、それは……」
予期せぬカウンターにたじろぐ。そんな俺を見るに見かねた遠神が、助け舟を出した。
「言われてみれば真澄くん、午前中ずっと体調が悪そうでしたね。保健室に行かなくて良いのかと、心配していたんです」
隣席の遠神の発言だ。かなりの説得力がある。
「顔色もほら、決して良好とは言えませんし。まるで生ける屍みたいです」
誰がゾンビだこの野郎。この顔色が通常モードだわ。
「そのくせカレーパンなんて食べるものですから、そりゃあお腹も壊しますよ。おバカさんとしか言いようがありませんね」
「ハハハハ。返す言葉もない」
だけどバカなので八つ当たりは出来る。てめえ覚えとけよな。
遠神の証言もあり、それまで半信半疑だった圭一も、俺の体調が悪いのだと信じてくれた。
「そうだったのかい? 気づかなくてごめんよ」
「謝ることなんかねーよ。心配してくれて、サンキューな」
お礼を言って、そして再びトイレへ。
俺は親友に嘘をついてしまったことに罪悪感を……微塵も抱いたりせず、それどころか順調に作戦が進んでいることを喜びながら、軽快にスキップをしてトイレに向かっていた。
またも同じ最奥の個室に入り、今度は10分とは言わず、昼休みが終わるギリギリまで時間を潰す。
ソシャゲのイベントの続きでもと思っていたが、まさかの緊急メンテナンス。おい、ラブコメの神様。子供みたいな嫌がらせするんじゃねーよ。
適当にネットサーフィンをして、予鈴を待つ。途中圭一から『大丈夫?』と連絡がきたので、『大丈夫大丈夫。だからもう連絡してくんな』とぞんざいな返信しておいた。
予鈴が鳴り、もう流石に中庭にはいないだろうと教室に戻ると、案の定圭一と遠神は戻ってきていて。
もしかすると遠神が、「真澄くんは置いて先に戻りましょう」とか促してくれたのかもしれない。機転の利く女で、本当に助かるよ。
教室での二人は俺の存在など完璧に忘れて、遠神の席で楽しそうにお喋りをしていた。
隣席に俺が戻って来たことにも、気が付いている様子はない。
その光景を目にして、俺は確信する。
この昼休みの作戦は、控えめに言っても大成功だった。