圭一の好きな人
教室に着いた俺は、鞄を机の横に提げるなり、何よりも先に(それこそ鞄の中の教科書やら筆箱やらを机の中に移すよりも先に、だ)既に登校していた圭一に話しかける。
「おーっす、圭一。今日も良い天気だな。なんでも昼間は28度くらいまで気温が上がって、絶好の洗濯日和になるらしいぞ」
親友相手でも、さながら初対面の異性とのお見合いみたいにその日の天候の話題から入ってしまう。まったく、自分のコミュニケーション能力の乏しさが恨めしい。
圭一は苦笑しながら、「真紘はいつからお天気アナになったんだい?」とツッコまれた。
「でも本当、良い天気すぎて困っちゃうよ。ここまで暑いと、始業する前にHPが尽きかねない」
本格的に夏が始まってきたのに加え、この時期から野球部の練習は輪を掛けてハードになる。朝は早くから、放課後は遅くまで。地獄のような猛練習だ。
圭一はだらしなく机上に突っ伏す。
早くも今日一日を乗り切った感の出ている顔と、ここ数日で一番強い制汗剤の香りが、今朝の暑さと練習の過酷さを俺に訴えかけていた。
「それはそれは、お疲れ様。体力回復のポーションでもお譲りしましょうか?」
「うん、お願いするよ」
「冷えてないけど、良いか?」
「貰えるものは貰っとく。贅沢は言わないさ」
俺は一度自分の席に戻る。
鞄から未開封のポーションならぬミネラルウォーターを取り出す。直接手渡すことはせず、ある程度近づいたところで、圭一に向けてヒョイッと投げた。
文化部在籍男子特有の下手投げだ。圭一は難なくミネラルウォーターをキャッチした。
「ナイスキャッチ。流石は野球部」
「二つの意味で、どうも」
ミネラルウォーターと称賛に対するお礼を言ってから、圭一はペットボトルのふたを開け、ゴクゴクゴクと中の水を一気に飲み始めた。
大容量600ミリリットル入っている水が、ほんの10秒足らずでなくなりそうな勢いだ。それだけ良い飲みっぷりをされると、あげた甲斐もあるってものだ。
「ところで、圭一。全く以てどうでも良いというか、何気ない雑談程度に捉えてくれて構わないんだが……お前今、好きな奴いるか?」
「ブホォッ!」
圭一は、口に含んでいた水を盛大に吹き出した。
折角譲ってあげたというのに、勿体ない。あと、汚ぇ。
圭一は手の甲で濡れた口元を拭いながら、
「好きな人って……いきなりどうしたんだい!?」
文脈から考えて唐突な質問だし、これまでだって圭一の恋愛に興味を示してこなかった。何より華さんにフラれて以降の俺は、ラブコメを嫌悪している。なので圭一の反応に、何もおかしなところはない。
だけどな、親友よ。俺にも事情ってやつがあるんだ。
お前と遠神をくっつける為だとか、もっと言えば俺がラブコメ主人公にならない為だとか(清々しいくらい自分本位である)。
しかしながら、ここで遠神の名前を出すことは他ならぬ彼女から止められている。本当の理由を口にすることは、その約束を反故にすることになる。
「人生ってのは、いきなりの連続なんだよ。いきなりお前に好きな女がいるのか知りたくなったから、いきなり聞いた。それだけの話だ」
どんな話だ。我ながら、理屈も道理も通っていないとんでも理論だと思う。
でも、それで良い。
下手に慣れていない変化球を用いたりせず、ど真ん中に直球勝負。こういう時は、力任せだと相場が決まっている。
「何が言いたいのかよくわからないけど、聞かれたことには一応答えておくね。今好きな人はいないよ」
あわよくば、ここで遠神爽香と答えてくれたら――と少しだけ期待したのだけど、まぁそんな都合良くはいかないか。
万事神のお導き。もといラブコメの神様のさじ加減である。
「そうか……だったら、好きなタイプは? 具体的な女優の名前を挙げても良いし、笑顔が素敵な人みたいな抽象的なものでも良い。何かあるだろう?」
「今日の真紘はグイグイくるね。テスト前日と同じくらい必死だ」
何を言う? このままだと、俺は遠神とラブコメをする羽目になるんだぞ? テスト前日どころか当日よりも必死に決まっている。
わけがわからなくても、親友の質問だからと律儀に考えてくれるのが圭一の良いところだ。
「そうだなぁ……」
目を瞑り、腕を組んで考え込む圭一。途中で一度目を開き、チラッと俺のことを見た。
「すぐには思い浮かばないけど、取り敢えず同性に興味がないってことだけは言っておくよ。だからゴメンね、真紘」
カッキーン!
次期レギュラー候補筆頭は、俺の渾身のストレートを完璧に打ち返してきた。
しかも質問の意図を完全に誤解されているし。俺が圭一に気があると思われてるし。
「真澄のやつ、日高にフラれたみたいだぞ」。事実無根な情報が、朝の教室内でまことしやかに囁かれている。
そんなざわつきの中でも、「ハァ」という遠神の溜め息だけが、妙にはっきり聞こえてきていた。