天体観測
スマホが鳴りメッセージが届いた。
『今日の夜、一緒に流星群を観に行こうよ。』
「えっ!嘘…。」
彼からのメッセージに驚いた。
すぐに返信する。
『行きたい!流星群、観に行こうっ!』
嬉しい…彼と天体観測出来るなんて!
またスマホが鳴る。
『前に一緒に行ったあの公園で待ち合わせ!夜遅いけど大丈夫?』
あの公園だ!
前に彼と散歩した公園。
あぁ。また二人で会えるなんて…。
ていうか、メッセージ優しいな。
『大丈夫!私、もう大人だよ?何時でもオッケー!』
『そりゃそっか!じゃあ、0時に公園のあのベンチで待ってるよ。気をつけて来てな!』
『了解っ!じゃあ、また今夜。』
今は夕方の6時。
準備しなくちゃいけないけど、まだ少し時間がある。
彼と撮った写真を見つめて、彼の声や笑った顔を思い浮かべる。
「はぁ。早く会いたいな…。」
その後、軽く食事を済ませ、シャワーを浴びてメイクする。
…あ、お気に入りのワンピース着て行きたいな。
でも夜中だし虫に刺されたら困るかなぁ。
やっぱりTシャツにジーンズ?
肌寒かったら困るからカーディガン着ていこ。
唯一、彼から貰ったカーディガン。
今も大事にとってあるんだ。
…あっという間にもうすぐ約束の時間。
公園の入り口で「ふぅっ。」と大きく息を吐いた。
うぅ。緊張するっ!
ドキドキしすぎてなんか気持ち悪くなってきたかも…。
所々にある公園内の明かりを頼りに目的のベンチまで歩く。
ザッ…ザッ…ザッ…
足元が細かい砂利だからか、歩くたびに静かな公園に私の足音だけが響く。
公園の中はとても広くて駐車場から少し歩くと、子供たちが遊べる遊具のエリアがあったり、広々とした芝生の広場や水遊びが出来る場所なんかもある。
私と彼が以前散歩をしたのは、園内をぐるっと回れる1.5kmほどの散歩コースだ。
そのコースは、公園の真ん中にある丸い池の周りを歩けるようになっている。
そしてその池の周りは森のように沢山の木が囲っていた。
その広い広い公園の一番奥。
池のほとりに三角屋根の東屋がある。
そこが私たちの待ち合わせ場所。
しんと静まり返った公園の中。
虫の鳴く声とサワサワと風に木がそよぐ音だけがしていた。
「…まだ来てない、かな?」
東屋の中を覗いて彼の姿を探した。
トントン…
肩を叩かれて後ろを振り返った。
「あっ。もうっ!ビックリしたぁ〜。来てたんだね。」
彼が静かに微笑んでいた。
「驚かせた?ごめんね。…今来た所?」
「うん。…待たせちゃった?」
「ううん。大丈夫。…俺、待つのは慣れてるし。」
少し寂しそうに彼がポツリと言った。
「…ごめんね。」と言おうとしたら、彼が私の唇に指を当てて「しーっ。」と言った。
それは言わないでという意味だと分かり、私は口をつぐんだ。
手をパチンッと叩き、彼が明るい声で言う。
「さ!星を観に行こう。今日は流星群が観られるから沢山お願い事をしよう?」
ニッコリ笑う彼の顔を見てホッと息をついた。
木が少なくて空を見上げるのに芝生の広場がちょうど良かった。そこまで二人で並んで歩く。
歩きながらフッと手が当たった気がして、ドキリと胸が騒いだ。バレないようにコッソリ横目で彼を見ると、彼も私を見ていて目が合った。
急に恥ずかしくなって下を向いた私の手を彼が捕まえる。
「…え。手、繋いでくれるの?」
突然の事に驚きながらも嬉しくて顔が熱くなるのがわかった。
「…ダメ?なんだか君を捕まえておきたくて。ふふっ。可愛いちっちゃな手。」
握った私の手を見つめながら愛おしそうに彼が言う。
「ううん。…嬉しい。」
何ならずっと繋いでて欲しいと思ったけど、伝えるのはやめておいた。恥ずかしいから。
彼と手を繋いで歩く。
風が気持ちいい…フワリと私の長い黒髪が風に揺れた。
夜空を見上げて星を確認したいけれど、グッと我慢する。
「せーの!」で一緒に観ようと思ってたんだ。
広場に入って柔らかい芝生の上をフワフワした気持ちで歩く。この浮遊感は芝生の上を歩いているせいだけじゃないと思う。
「…この辺りでいいかな?」
「うん。…座ったまま観る?」
「うん。…そうだね。」
その場に二人で並んで座る。
距離が思っていたより近くてドキドキが増していた。
「ねぇ、せーので観よう?」
「うん。私もそうしようと思って我慢してた。」
「ははっ!考えてる事、同じだね。じゃあ、いくよ?」
『せーの!』
「…うわぁー!キレーイッ!!」
「すごいねぇ〜!」
辺りに街灯や家が少ないからか、空いっぱいに降ってきそうなほどに星が瞬いていた。
しばらく無言で空に見惚れていた。
すると、彼が何か言いたそうにこちらを見つめていた。
「ん?どうかした?」
「う、うん。さっきの…座ったままってのが気になって。」
「えっ?横になった方が首が痛くならないかと思って聞いたんだけど…。」
「座ったまま観る?」という私からの問いにしばらく悩んでいたようだ。
彼は私の顔を見つめて言った。
「う〜ん。いや、やっぱりこうするっ!」
彼は私の肩を掴んで芝生の上に押し倒した。
「えっ!?」
あまりに唐突で状況を受け入れられていない。
けれど…下から見上げる彼の顔は綺麗だった。
私は星を観るのも忘れて今度は彼に見惚れている。
「ふふっ。可愛い…。」
優しく微笑んで彼が言う。
ゆっくりと近づく彼の顔。
私は澄んだ彼の目から逃れられない…。
おでことおでこをくっつけて彼がまたクスッと笑う。
「…そんな顔したら、食べちゃうぞ?」
吐息が頬にかかる。
ドキドキしすぎて上手く息が出来ないよ…。
もう彼しか見えなかった。
…チュ。と音を立てて唇に彼の熱を感じた。
「…ごめん。我慢できなかった。嫌じゃなかった?」
申し訳なさそうに言う彼の目を見つめて、私は静かに首を横に振る。
「…もっと。」
声にならない声で彼を求めていた。
嬉しそうに笑った彼が再び私の唇を奪う。
「もう離してあげない…いい?」
熱っぽく言いながら続く彼の口づけに、私は上手く息が出来ず答えられなかった。
星降る夜に交わす口づけは甘くて切なくて…このまま夜の闇に溶けてしまいたかった。
沢山の流れ星に願った。
「…お願い。このままずっと彼と一緒にいさせて。」
彼からの連絡はいつも夕焼けで空が朱く染まる頃に来る。
昼と夜の境目…黄昏時とか逢魔が時なんて表現される時間。
…何故かって?
それは…彼がこの世のものではないから。
彼が亡くなって3年が経っている。
高校生の時に同じクラスだった私たち。
高一の夏休み前に私から告白して付き合う事になった。
付き合って2年を迎える高三の夏。
…彼が病気で亡くなった。白血病だった。
泣いて泣いて…何もわからなくなるくらい頭がおかしくなればいいのにと思った。
彼がいない世界は上手く息が出来なくて、どうして自分だけがここにいて生きているのかわからなかった。
私は外へ出られなくなり、部屋に引きこもった。
彼が亡くなってから1年後の初めての夏。
その日も空が夕焼けに染まって綺麗だった。
部屋から外をボーッと眺めていた私のスマホが鳴った。
『ねぇ。今日の夜、あの公園で散歩しよう?』
「…え?な、なんで彼から連絡が来るの!?だって、もう彼はこの世に…いないのに。」
頭が追いつかない。
このあり得ない状況にどうするべきか迷っていると、再びスマホが鳴る。
『俺のこと、もう忘れちゃった?他に誰か好きな奴が出来たなら返事しなくて大丈夫だよ。』
「またっ!?え…ど、どうしよう?返して…みる?」
私は恐る恐るメッセージを返した。
『忘れる事なんて出来ない。…会ってくれるの?』
『覚えててくれて嬉しい。もちろん!俺が会いたくて誘ったんだから。今夜、あの公園で待ってる。』
『わかった。私も会って伝えたい事が沢山あるの。必ず行きます。』
返事を送ってしまってから、手がガタガタと震える。
「…これ、なんなの?死んだ彼に会えるって嘘でしょう?」
どうするかギリギリまで迷った。
もしかしたら、彼のスマホで誰かがイタズラしているのかもしれない。
もしかしたら…彼に連れて行かれるのかも。
でも、そんな不安は彼にもう一度会いたいという気持ちで吹き飛んだ。
親には何も言わず、夜中にコッソリ家を抜け出した。
まさか、こんな形で私が外に出られるなんて思ってもいないだろう。
話した所で信じてもらえるとは思えなかったし、何故か秘密にしなきゃダメな気がしたんだ。
彼が入院する少し前。
本格的な夏が来る前の少し涼しい頃、二人で公園を散歩した。
私たちの最後のデート。
その日は私の誕生日で彼がプレゼントをくれた。
…あのカーディガンだった。
今も大切に着ている。もちろん彼に会う時には必ず。
私は彼からもらったカーディガンを着て公園へ急いだ。
公園の一番奥にある東屋へ。
彼はベンチに静かに座っていた。
見つけた私はその場から動けなくなる。
…彼がそこにいる。
会いたい。
何度も何度もそう思った。
もう一度だけでいい。彼に会いたい。
今、その願いが叶ったんだ…。
「あ、あのっ!」
震える声で彼を呼ぶ。
「あ、ホントに来てくれた。ふふっ。ありがとう。」
立ち上がり振り返ってこちらを見た彼は、生きている頃と変わらず優しく微笑んだ。
死んでいるなんて思えなかった。
あの時の彼が今、元気な姿でここにいる。
「あ、会いたかった…貴方にずっとずっと会いたかった!」
溢れる涙を抑えきれず、私は彼に向かって駆けていた。
両手を広げて抱きしめてくれる彼。
…暖かい。彼の腕の中は暖かかった。
「ねぇ?どうして会いに来てくれたの?」
どうして会いに来られたの?とは聞かなかった。
怖くて聞けなかった。
聞いたら最後、会えなくなりそうで…。
「なんでって、そりゃ君のことが大好きだからだよ?…君は?こんな状態になった俺にどうして会いに来てくれたの?」
私は彼が消えてしまうんじゃないかと不安になって、ギュッと抱きしめる腕に力を込めた。
「…だって、私も貴方が大好きだもん。ずっと会いたかった。連絡をもらって最初はほんの少しだけ怖かったけど…でも、来て良かった。本当に会えて嬉しい。」
私は彼の目を見つめながら言った。
彼は嬉しそうに微笑んでくれたが、すぐに表情が変わる。
眉毛が下がり、困った顔になった。
「けど、そんなに長くはいられないんだ。お盆の時期に一日だけでいられるのは夜明けまで。そう決められてる。しかも、会いたい人と相思相愛じゃないと会えないんだって。」
「少しでもいいよ。私は貴方に会えただけで幸せだよ?」
そんな少しの時間しかないんだ…と思ったが、元々会えないのが当たり前の人なんだから、今のこの時間を大切にしよう。と思った。
こんな状況がいつまでも続くわけがないと分かっていた。
いつかまた必ず別れが来る。
だから、せめてその日までは…。
あの日から、毎年お盆の時期に一日だけ二人きりで夜明けまで過ごした。連絡は会う日を調整する為に13日の夕焼けの時間にのみ届く。彼からのメッセージが届くかどうかはその時にならないと分からない。
急に届かなくなる可能性の方が高かった。
だから、私は毎年最後のつもりで彼と過ごした。
きっと彼もそうだと思う。
私は彼と再び会えた夏から部屋に閉じこもるのをやめて、少しずつ外へ出るようになっていた。
高校を卒業した後、ただひたすら部屋にこもっていた私はまず近所のコンビニでバイトを始めた。
一年に一度彼に会える日を楽しみに…次に彼とさよならする時には笑顔で「心配しないで。私は大丈夫。」と言えるように。
もしかしたら、私が落ち込んでいるのを知って彼が心配で会いに来たんじゃないかと思ったから。
そして、流星群の夜。
二人で芝生に寝転び、静かに星を眺めていた。
私はずっとお願い事をしていた。
『彼とこの先も会えますように…このままずっと一緒にいたい。』と。
叶わないのは分かっていた。
でも、願わずにはいられなかった。
夜が白白と明けてくる…もうすぐお別れの時間だ。
「もう…君と俺は会えなくなると思う。…たぶん。」
私の隣で寝転んで真っ直ぐに空を見つめたまま、ボソッと彼が言った。
去年までは、また来年も会えたらいいねって話してたのに。
「どうして?これで、最後なの…?」
彼の顔が見れない。
私も空を真っ直ぐに見つめて、泣きそうになるのを堪えながら何とか普通に話す。
「そんな気がするんだ。去年とは何となく違う。それに、なんだか待つ事に疲れちゃって。」
「…私と会うのは負担だった?」
「ううん。違うよ。…ごめん。疲れたって言ったのは嘘。本当は君と会えるのが楽しみで仕方ないよ。けど、こうやって俺たちが会えるのって普通じゃないだろ?でもさ、俺はどうしても君に元気になって欲しかったんだ。」
「私が落ち込んでるって知って会いに来てくれたの?」
「…うん。やっぱり俺は元気な君が好きだから。」
そう言って笑う彼は寂しそうだった。
「ねぇ?…ずっと聞きたいのに聞けなかったの。…教えて?どうして私に会いに来られたの?」
ずっと聞きたかった疑問を彼にぶつける。
これで最後だなんて絶対に、本当に嫌だけど…でも、これは聞かなきゃいけない事だと思っていた。
「それは言えない。…言ったら君も連れて行かなきゃいけなくなる。」
「……連れて行ってよ!貴方がいない世界なんて生きていても何の意味もない。私はやっぱり貴方がいなくちゃダメなんだってわかったの。……お願い。」
最後の方は堪えきれなくなった涙で声にならなかった。
彼は私の目を真っ直ぐ見つめて言う。
「ダメだ。君には幸せになってもらわなくちゃ。」
「…どうして!?私は貴方がいなきゃ…」
私は彼を見つめ返して声を荒げた。
「しーっ。」
また唇に当てられた指…
最後まで言わせてもくれない。
「貴方はズルい。…優しくてズルいよ。うぅっ。」
涙が止まらない。
彼が髪を撫でてくれる指の感触だけを感じて私は静かに泣いた。
辺りが明るくなってきていた。
そろそろタイムリミット…。
「…もう行かなくちゃ。ねぇ?最後のお願い、聞いてくれる?」
「嫌だって言っても、貴方はもう行くんでしょう?」
少し拗ねて意地悪な言い方をしてしまう。
…最後なのに。
彼はクスッと笑って私の頬に触れる。
「ねえ、笑って?最後に見る君の顔は笑顔がいいな…。」
「貴方はワガママだよ。こんな時に笑えなんて。…でも、いいよ。」
私も彼の記憶の最後は笑顔でいたい。
涙でグシャグシャになった顔を拭って、息をフウッと吐く。
彼がそっと私を抱き寄せた。
「…離れたくない。でも、ごめんね。向こうで待ってるから。」
私はもう泣かないと決めて唇を噛む。
「待ってて。長生きするから待ちくたびれるかもしれないけど。…貴方がずっと大好きよ。」
ぎこちない笑顔で彼を見つめる。
…笑えない。笑えないよ。
これで本当にさよならなんだもん。
その時、彼の目から流れた涙。
今夜観たどんな流れ星よりも煌めいて美しかった。
彼の顔が近づいてくる…私の唇に触れた瞬間。
フッと彼が消えた。
「あ、あぁ…いやっ!いやぁーーーーーっ!!」
私はその場で泣き崩れた。
耳元で彼が囁いた気がした。
「…またね。」