第三章 ツルタニ家
「……また新しいところに飛ばされたな」
新たに入手した情報を整理し終え、潜んでいた教室から踏み出すと、また見知らぬ場所に飛ばされていた。白い壁を基調とし、各所に薄い色の木材があしらわれている廊下だ。廊下は広くなく、人二人がすれ違える程度である。すぐ後ろに小さな階段と、大人よりも少し大きい程度の黒い扉、そして周りにはいくつかの扉が見える。作り的に、今度は何処かの民家であろう。
「ここが何処なのか、ある程度は察しがつくが、さて」
場所の察しがついても、ならばどう対処すればいいのか。そこが未だに思いつかない。本物の幽霊退治など、やったことなどないのだから。
「とりあえず、またここも探索するかな」
私の推理が正しいのなら、ここはおそらく『ツルタニ チヨ』という少女の家のはずだ。あの少女、自分に関係するところに人を飛ばしているのだろう。そうなると、はじめに立ち入った塔も、何か関係のあるところなはずだ。
最大限に警戒しつつ、私は歩み始めた。見る限り、この家はそこまで広い場所ではない。学校と違い、『ツルタニ チヨ』、いや、ニパング人と想定して『チヨ』と呼ぶか、あいつもここに来ている場合、遭遇する可能性が高いのだ。そして、追い詰められる危険性も高い。
「無事帰ることができたら、移動できる複合秘匿魔法の開発でも進めるかな」
優先度が低いからと放棄していたことが、ここに来て痛手となるとは。己の不甲斐なさに落胆しつつ、チヨの家の探索を始めようと一歩踏み出した。が、踏み出した瞬間、自分から少し離れた廊下の曲がり角に、黒いモヤのようなものが少しだけ見えた。とっさに声を押し殺し、曲がり角を睨みつける。が、モヤは見えない方向へと消えていった。
「……まいったな、こっちに来ていたとは」
やはり、学校以上に強い警戒が必要だ。覚悟を決めつつ、私は改めて歩き始めた。
***
家の中はやはり狭く、一階にキッチンや風呂場などの生活に必要な部屋、二階に寝室などの個別の部屋が複数ある構成だった。
一通り、一階と二階部分の部屋数を確かめ、まずは一階から調査を始めることにした。不思議なことに、警戒はしていたのだが、チヨに遭遇することはなかった。学校の方に戻っているのだろうか。
「ならば、今がチャンスだな」
まず、退路確認のため、玄関と思わしき扉の取手を回してみる。が、動かない。ここも学校同様、外には出られないようだ。攻撃魔法で破壊することもできないだろう。
「まあ、これは想定通りだ。さて次は」
次に目をつけたのは、階段の下に設置されている、木製の扉だ。階段下に収納スペースでもあるのだろうか、今度はそちらの取手を握ってみる。取手は簡単に回り、そのまま押すと、きしむ音もなく静かに、扉は開いた。
中は光源がないのか真っ暗である。短刀に発光魔法を込め、中を照らしてみる。扉のすぐ側に、下へと続く階段が見えた。
「ほう、地下室かな。まずはこっちから見てみるか」
階下を光で照らしつつ、ゆっくり慎重に降りていく。階段は急で、設置されている手すりを掴まないと、とてもじゃないが安心して降りられない。
少し地下へと降りていくと、眼前に鉄製の扉が現れた。扉の取手の上には、ダイヤル式の鍵がかけられており、このままでは開きそうにない。
「パストヴィズを使えば、答えは解りそうだが、まあ後回しだな」
学校の時と同じように、まずは何もせずに行けるところから調べよう、そう考えていたのだ。パストヴィズも万能ピックも、魔力を消費する。魔力回復薬はいくつか持ってきてはいるが、節約するに越したことはない。
暗い階段を引き返し、一階部分の探索を再開しようとした。が、地下から登りきった時、あるものが目に入った。
「お、これは写真か? 写っているのは……誰だ、これ」
念の為、地下への扉は閉めておいたのだが、扉の地下側、つまり入ってくる時には見えない位置に、女の写真が貼られていた。見たところ、歳は二十代後半から三十代前半くらいだろうか。どことなくだが、チヨの美しく整った顔に似ているような気もする。
しかし、おかしなことに気づいた。写真は手のひらサイズではなく、人の上半身ぐらいはあろうかなりの大きさだ。その上、写真の女の顔は、笑っているわけではなく、カメラに向かって睨みつけているようにも見える。そもそも、何故このような見えづらい位置に、写真を貼っているのだろうか。
写真を見渡してみると、被写体上部に何か書いてあることに気づいた。赤いペン、いや、これは口紅だ。口紅で、大きめにニパングのものに似た文字で、何か書かれているのだ。
「えーと、確か意味は……『逃げるな』だったか?」
ニパングの文字として読み解くと、『逃げるな』と真っ赤に書かれている。
誰に対してのメッセージなのか。それは容易に想像がついた。地下室にいた者に対してであろう。でなければ、このような場所に書く意味はない。写真もおそらく、お前を見張っているぞ、という脅しを意味しているのであろう。
先程の、学校で拾った学習帳の記録を思い出す。もしや、この地下にいた者は、チヨなのではないだろうか。そして、この写真の女は。
「……嫌な気分しかしてこないな」
再び気分の悪さを感じつつも、考えを確定させなければならない。使命感を一層強め、だが警戒しつつ、地下からの扉を開いた。
***
この家でも、いくつかの収穫があった。
行方不明者の痕跡は二つ、騎士団の剣が一振りと、先に捜索に入った両親か捜索隊のものらしきナイフが一本のみだ。しかし、パストヴィズで直近の情報を見ることが危険な今、これらは重要なものではない。
まず想定通り、やはりこの家はチヨの家だった。家内をくまなく探索すると、各所で『ツルタニ』の文字を見つけた。しかし不思議なことに、チヨの名がある物品はかなり少なかった。代わりに『ツルタニ ミヨ』という名前は、数多く見かけたが。おそらく、このミヨが、地下への階段でみた写真の女であろう。
学校の時と異なり、外へ続く場所と地下室を除き、扉に鍵がかかっている箇所は無かった。ほぼすべての場所へ行くことができたのだ。だからこそ、この家に対し、違和感を強く感じた。
ミヨという人物が暮らしていた痕跡はいくつもあったのだが、チヨが暮らしていた痕跡がほとんどなかった。リビングもキッチンも、明らかに大人一人が使っていたような状態であり、年端も行かない少女が暮らしていたような物品が、何一つ見当たらないのだ。ゴミ箱に捨てられていた書類数枚に、チヨの名前が記されていた程度だった。
「さて、地下室を除けば、ここが最後か」
二階の、階段から最も離れた部屋。ベッドのようなものが未だ見つかっていないことを考えると、おそらくここが寝室であろう。
扉の取手に手をかけると、やはり鍵はかかっていない。中に入ると、想定通り、大きなベッドが設置されている寝室であった。
「……ここにも、チヨが暮らしていた痕跡がないな。となると、やはり」
設置されているベッドはダブルベッドであったが、そこに一人で寝ているようである。クローゼットには大人物の衣服しか入っておらず、やはり年頃の娘が着るようなものは、何一つ見つからない。
色々と漁っていると、本棚から数冊の日記が見つかった。読んでみると、ミヨが書いてものであろう、十五年分くらいの記載があった。
かつて結婚していたが、生まれていた子供が幼いうちに夫が亡くなっていること。子供のことを『アレ』呼ばわりし、一度として名前を書くことなく、邪魔扱いしていたこと。そのうちに新しく男ができ、それに対し強い執着心を持っていること。
おそらく、日記内の『アレ』がチヨのことなのだろう。ミヨはチヨの母親だと推理した。
日記を読み進めていくと、学校で見つけた学習帳の最後に記されていた、チヨが自ら命を絶った日付近の日記に、チヨの死についての記載があった。だが、とてもではないが、親が子の死について書いたものとは思えなかった。
『そういえば、ようやくアレが消えてくれた。これからは多少は楽になるだろうが、その前の処理が面倒くさい。最後の最後まで、アレは不要な存在だった。産むべきではなかった』
気分が悪くなった。私もかつて、子を数人授かり、孫やひ孫にも恵まれ、その子孫たちをも長い間見守ってきた。その子達は皆、私よりも先に旅立ち、そのたびに涙してきた。だからこそ、己の子を邪魔者扱いする意味が、全く理解できなかったのだ。
「……行こう、残りは地下だけだ」
気分を害したものの、収穫は一つあった。あまりそうだとは考えたくないが、地下室のダイヤル式の鍵の答えと思わしき数字を、日記の中から見つけていたのだ。
最後に残った地下室に向かうため、ミヨの寝室から廊下に出た。
「!!」
目の前に、青白い顔があった。扉のすぐ外に、チヨがいたのだ。
心臓が止まりそうになる。真っ赤に血走っている生気のない瞳が、こちらの目をはっきりと見つめていた。
声すら出せなかった。無限に感じられるような静寂が続く。背筋は氷よりも冷たく、妙な汗が全身から吹き出る。
(やはりこの娘は、顔が整っているな。もっと大人になったら、さぞ美人だろうに)
他に考えるべきことがあっただろうに、極限状態故か、そのようなのんきな考えが、頭を支配していた。
長く続いた静かな対面時間は、チヨの行動で終わりを告げた。
チヨは赤黒い筋の這った顔を歪ませ、ニタァっと笑うと、そのまま薄くなり、やがて消えていった。
チヨが消えて数十秒、あっけにとられたまま固まっていた私は、ようやく身体の自由を取り戻した。
「はぁ……はぁ……迂闊だったが、私、生きているのか?」
チヨは、私に何もしなかった。ただ見つめ、気味悪く笑うだけであった。
意味がわからなすぎる。パストヴィズで確認した限り、子供二人は確実に何か攻撃的なことをされている。他の者たちも同様であろう。なのに、何故私には何もしてこなかったのか。
混線する思考回路をまとめあげようとフル回転し、今の出来事について考えてみる。私と、他の者たちとの違い。それは。
「チヨの正体を探っている、か?」
他の者たち、そして私が最初にチヨと遭遇した時、あれが何者なのかを全く知らないような状態だった。しかし、今の私は、チヨの正体を探り、その過去に触れてきている。もしかすると、その違いだろうか。
「……あいつ、もしかして……」
ある考えがよぎった。しかし、確定ではない。
確信を得るために、私は残った場所である、地下室へを足を進めた。
***
「さて、ここで最後か」
気分が晴れないまま、私は地下室の扉の前に立っていた。おそらく、ここがチヨの部屋として割り当てられていた場所だろう。ダイヤルロックに手を当て、パストヴィズを流し込む。鍵の数字は四桁で、いくつか候補は考えていた。そして、頭に浮かんだ光景には、最有力候補かつ最悪な数字が、解錠の答えとして使われていた。
「……どれだけ生きたとしても、こういう奴らだけは近寄りたくなかったな」
胸の気持ち悪さを我慢しつつ、私は鍵のダイヤルを回し、チヨが自ら命を絶った日付に合わせた。この数字だけは、正解であってほしくなかった。
ガチャリ、と無機質な音を立て、鍵は床に落ちた。扉を開き、地下室の中を覗き込む。中からカビ臭いような、不快な臭いが溢れ出し、私の吐き気を強めてきた。地下室の中は薄暗く、壁や床、天井全ては灰色のコンクリート製である。部屋中あちこちに箱が積まれており、隅に汚らしい布切れ二枚と、壊れかけている小さい机が置いてある。
警戒しつつ中に入るが、呼吸が止まったりするようなことは一切なかった。真っ直ぐに机の方へと向かい、その周囲を確認する。机の上には、ガラス部分が割れている写真立てが置かれており、若い男性の写真が飾られていた。これがチヨの父親なのだろうか。
写真立てを手に取り、パストヴィズを流し込む。長い間生きてきたが、一日のうちにこれほどまでパストヴィズを使う日はなかった。
頭の中に、写真立ての前ですすり泣く少女の姿が見える。それはまさしく、チヨだった。
『ピピピピピピ! ピピピピピピ!』
再び、けたたましい機械音が鳴り響いた。しかし、私は一切驚きも慌てもせず、カバンから音の主を取り出した。音遮断魔法は使っていない。もはや、隠れる必要はないからだ。むしろ今なら、こちらまで来てほしいまであった。
『助けて』
助けて、そう意味する言葉が映し出されていた。
「助けて、か……」
私は、手に持ったその機械を握りしめ、一つ大きな深呼吸をすると、地下室の扉へと振り返った。
「いいだろう、相手してやるよ、怨霊め」