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異世界転死ー千の魔女と十五の怨霊ー  作者: 一乗寺らびり
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第二章 学校

「さて……状況を整理するか」


 得体のしれない少女から逃げ抜けた私は、近くにある部屋に身を潜めつつ、この場所で遭遇した出来事について思い返していた。

 突如現れた、コンクリート製の巨大な『人喰いの塔』。攻撃魔法がすり抜ける、得体のしれない少女。攻撃魔法で傷一つ付かない、壁や天井。そして、今いるこの謎の空間。色々なことが起きすぎて、振り返るのも骨が折れそうだ。


「複合探知計は……仕舞うか」


 原因はわからないが、複合探知計はこの塔に立ち入って以来、どの計器もピクリとも動いていなかった。おそらく、今後も役に立つことはないだろう。だが、むしろそのおかげで、あの少女が生物ではなく、魔法で作った幻影などでもないことがわかったのは収穫だろう。

 では、あれは何なのか。生命探知を遮断する魔法は確かに存在するが、その場合魔力探知が反応する。両方同時に遮断する方法を私は知らないし、仮にどこかで開発されていたとしても、その他の探知計も全てを無反応に抑えるのは不可能だ。

 そうなると、あの少女の姿や今この場所が見えるように、もしくは複合探知計の見え方がおかしくなるように、私自身になにかしらの術や薬物が仕込まれたのだろうか。


「……何のために?」


 仮にそうだとしたら、やる意味がわからない。そのようなスキがあるなら、致死量の毒をぶち込んだほうが確実だ。殺すことが目的ではないにしても、効果が微妙すぎる。

 そして、この場所。冷静に見回してみると、机と椅子のセットが大量に整列されている。椅子はどれも一定の方向へ向っており、その先の壁には大きな黒板が設置されている。


「学校、か。それも、幼い子供が通うような」


 机のサイズは、今の自分の姿にちょうど合うくらいから、おそらく十二歳、十三歳位の子供用に見えた。小等部高学年くらいか。天板下に物入れのある、一般的なものだ。

 部屋、いや教室か、そこを見回していると、先程走っている時にも気づいたが、忘れていたことを思い出した。


「ここ、常夜の森だよな? なんで外が明るいんだ?」


 窓からは、暖かな陽の光が差し込んでいる。

 ここは常夜の森、本当にそうなのだろうか。もしや、あの鉄扉をくぐった瞬間に、遠く離れた別の場所まで飛ばされたのではないだろうか。

 そうなってくると、色々と合点が出てくるものがある。あのコンクリートの塔に、行方不明者の痕跡がないのは、ここに飛ばされたからではないだろうか。そして、どうやっているのかは未だに解明できていないが、あの少女の形をした何かの演出は、この場所への転移魔法に気づかせないための囮ではないだろうか。ここまで来ると、あの塔を仕掛けた者の目的がある程度見えてくる。


「生け捕り、か」


 手口がかなり遠回しな気もするが、今思いつくのはこれくらいしかない。殺さずに生きたままここまで送り込むことが、あの塔の役割だろう。わざわざあのような演出をする意味については、やはり理解しかねるが。


「……まあ断定はできないが、可能性は高いかな。さて、ぼちぼち反撃の手段も考えなければ」


 あのような面倒な手段を用いてまで転送しているのだ、よほど正体を探られるのが嫌なのだろう。主犯の正体さえ暴けば、解決できるはずだ。

 主犯格を捕まえて、ついでにあの少女の演出、あれをどうやったのかも問いたださねば。希望と好奇心を力に、私は立ち上がるのだった。


***


「さて、だいぶ集まったな。どれから調べていくか」


 教室を出た私は、警戒しつつ学校と思わしき建物を歩き回り、なにか手がかりになるものはないかと探し回った。鍵のかかった扉もいくつかあったが、一旦放置し、何もせずに行ける範囲での探索を優先した。ついでに、この学校へ入ってきた場所にも立ち寄ってみたが、そこには出入り口のようなものはなかった。飛ばされた、と考えるのが自然だろう。

 私の目論見通り、この学校内には手がかりになりそうなものがいくつか見つかった。一通り見終わった私は、二階の真ん中辺りにある教室へ隠れ、手に入れた物品を床に広めていた。

 最初に行方不明になった子供の髪留めと、騎士団標準装備の剣が一振り、鍵が五つ、そして。


「こっちのは気になるが、とりあえず後回しだな。気になるが」


 見慣れないものを三つ、拾っていたのだ。ガラスの板が組み合わさっている、金属製の板。縦に細長い、軽い缶。そして、奇妙な生き物のぬいぐるみ。どれも見たことがなく、非常に好奇心を刺激される。

 思えばこの学校、奇妙な物が多く存在している。遥か東国ニパングの文字に似ているが、ところどころ異なる形状の文字。馴染みのない、薄く透明な膜の貼っている摩擦力のある床材。そして窓の外に広がる、見たことのない町の風景。果たしてここは、どこなのだろうか。

 だが、優先すべきは己の身の安全と、主犯格の捕獲だ。高ぶる好奇心を抑え込みつつ、髪留めを手に取る。


「さて、こいつは何を記憶しているかな?」


 白いリボンの装飾がつけられた髪留めは、わずかに土汚れがある程度で、大きな破損はない。廊下に設置されていた棚の下に落ちていたものだ。髪留めを持つ手に魔力を込め、髪留めへと流し込んだ。

 この世に存在する物質は、音や光などの刺激を常に受けている。その記録を読み取り脳内に再生する、言わば過去視の魔法である『パストヴィズ』。我が師匠が開発した、唯一無二の魔法だ。

 髪留めに送る魔力を調整し、まずは塔に入った時の記録を探す。


『……ら、早く来いよー』

『お兄ちゃんまってよー!』


 男児と女児の声が聴こえ、常夜の森の風景が見える。髪留めは後頭部につけられていたのだろう、塔の姿は見えない。


『獣避けのお香も焚いてるし、いざ探検に出発だぁ!』

『おー!』


「なるほど、どうやってあそこまで子供がたどり着いたのかと思えば、そういうことだったのか」


 おそらく、映っていない男児のほうが香を持っているのだろう。見えている風景が移動し始め、ついには塔の入り口を通った。


『わぁ! すごいねお兄ちゃん! 外から見たのと全然違ってきれいだね!』


「え……なんだこれは……」


 異変はすでに始まっていた。子供たちが塔の入り口に入った瞬間、そこはすでにこの学校だった。場所も私が飛ばされてきた場所ではなく、学校自体の玄関口だ。学校の玄関口もガラス製の扉なのだが、そこから見える外の景色は常夜の森ではなく、この学校の運動場らしき場所だ。

 問題は、外の景色が変わる瞬間がわからないのだ。何度か記録を戻し、繰り返し確認してみるも、やはり一瞬で景色が切り替わっているようにしか見えない。何かしらの転移魔法を使用している場合、その魔力の残光が現れる。それが一切ないということは、これは魔法を使ったものではない。別の知らない方法だ。


『きっとすごいお宝が眠っているぞ! 探検にしゅっぱーつ!!』

『しゅっぱーつ!!』


 眼前の光景に目を奪われているのか、子供たちは玄関の方へ振り返っていない。自分たちの状況に気づいていないのだ。男児を先頭に、そのままどんどん学校の中へと進んでいく。ふと、あるものが見えていることに気づいた。

 あの少女だ。私が遭遇したときほどに黒いモヤは出していないが、あの青白く赤黒い筋の這った顔が、遠くの物陰からこちらを見つめているのだ。


「このままつけられて、襲われたのだろうな。その瞬間まで早送り……ん?」


 妙な違和感を感じた。あの少女、子供たちの後ろ姿を見つめているはずである。なのに何故だろうか。私のことを見ていないだろうか。


「……リボンを見ているんだろうな。いや、きっとそうだ」


 過去の記録が、現在見ているだけの私のことを認識できるはずがない。深呼吸して落ち着かせ、再び記録に向き合った。

 少女は物陰からは動かず、子供たちは遠ざかっていった。子供たちははしゃぎながら一階部分を歩き回り、次は二階に行こうと話している。その時だ。


『あれ? お兄ちゃん、あそこに誰かいるよ?』


「ついに遭遇したか。さて、かわいそうだが、子供たちがどうなるか見ておかねば」


 過去の記録は見聞きしかできず、過去には干渉できない。せめて、あの少女がどのようなことするのか、それが見えればいいのだが。


『ひっ……! お兄ちゃん、あの人……』

『に、逃げるぞミア!』


 女児、ミアと呼ばれた子が振り返ったため、子供たちの背後が見えた。あの少女がいる。子供たちは全力で走っているのか、周りの景色が足早に過ぎていく。

 ここでも異変に気づいた。あの少女は、あきらかに歩いている。一歩、一歩と、階段を降りてくるときと同じように。なのに、何故か子供たちへの距離は、段々と縮まっている。


『こわいよ……あっ!!』


 景色がけたたましく回転し始めた。どうやら女児が転んだらしく、そのはずみで髪留めが外れ飛んだようだ。飛ばされた髪留めは、棚の下へと滑り込んだ。ちょうど、私が髪留めを拾った場所だ。


「ちっ、これじゃ最後までは見られないか」


 棚の下からは、子供たちと少女の姿が見えない。この先は声と音で推察するしかないようだ。


『お兄ちゃん!! たすけ……』

『ミア!? ミアー!! おまえよくも……』


 子供たちの叫び声が響いたが、すぐに静けさが訪れた。それ以外の音は、一切聞こえなかった。

 かろうじて見える範囲にも、なんの変化はない。呼吸音や足音すら聞こえない、真の静寂だけが続いた。


「……こいつはここまで、か」


 髪留めをカバンに仕舞い、見えた事を整理しようとする。が、どうしてもあの少女の視線が浮かび上がってきてしまい、うまく頭を働かせることができない。


「仕方ない、次にいくか」


 記録を全て見終わってから考えよう、そう思い直し、今度は剣を手に取った。ティレニア王国騎士団の標準装備である、鋼鉄製の長剣だ。二階廊下の床に突き刺さっていたものだ。

 髪留めの時と同様に剣に魔力を流し込み、塔へ突入した時の記録から見ていくことにした。


『……くぞ! 何が潜んでいるかわからぬ、皆警戒は怠らぬよう!!』

『『ハッ!!』』


 指揮官らしき雄々しい声が響き、それに応ずるいくつもの雄叫びが聴こえた。剣は既に抜かれており、辺りが見渡せる。騎士団の数は20人ほど、皆剣を抜き、臨戦態勢を取っている。


『我に続け!』


 指揮官がまず塔へと入っていき、それに続いて次々と団員が入っていく。この時、一つおかしいことに気づいた。


「私一人や、さっきの子供たちの時は気づけなかったが、先に入ったやつの姿が見えないな」


 塔の中は暗いとはいえ、多少は先を見渡せる程度の暗さだ。なのに、塔の中へと入った団員たちの姿が、全く見えない。ただ暗黒が見えるだけである。

 半分のほどの団員が塔へと突入し、ついに記録を見ている剣の持ち主の番になった。見えている光景を注意深く観察する。塔の中へと入った瞬間、やはりこの学校へと場面が変わっていた。私や子供たちとはまた異なり、剣の主は二階廊下の中、剣が刺さっていた場所の近くにいる。


『な、なんだここは!? 隊長! 何処に!!』


 慌てて辺りを見回す剣の持ち主。周りには他の団員の姿は一切ない。それぞれ他の場所に飛ばされたのであろう。が、その叫ぶような呼び声に応える声は、帰ってこなかった。


「この学校、そこまで広い建物ではない。他の奴らも同じ状況だというのに、声や音が全く聞こえないのはおかしいな」


 冷静に、状況を分析する。そもそも、20人位の騎士団が入ってきたというのに、その痕跡がこの剣一本だけというのは変である。


『皆どこへ……!! な、何だ貴様は!?』


「来たな……さて、今回はちゃんと見えるはずだが」


 戸惑っている剣の持ち主の数歩前に、いつの間にやらあの少女が立っていた。記録を戻して確認してみたが、その場所に一瞬にして現れている。やはり、転移魔法などを使用した形跡はない。


『貴様、行方不明者ではないな!? 不審者は問答無用で切り捨てていいと許可は降りている! 覚悟!!』


「おー、肝の座ったやつだなぁ。私ですら恐怖で動けなくなったというのに」


 剣の持ち主は剣を振りかざし、少女へと向かっていく。少女の真っ赤に血走った生気のない目は、はやり私自身を見つめているように錯覚できた。少女の間近にたどり着いた剣の持ち主は、その刃をめいいっぱい振り下ろした。おそらく、この刃はすり抜けて、そのまま床へと突き刺さるのであろう。

 鋭い刃が、少女の身体へと接触する。


『ミ ツ ケ タ』


「うわぁ!!」


 思わず剣を投げ飛ばした。心臓が激しく、強く、速く脈打っている。頭にいろいろなものが渦巻いてまとまらない。呼吸も荒く、肺の辺りに痛みが走っている。

 見えている映像いっぱいに、少女の顔が映り込んだ。青白いが整っており、しかし穴という穴から赤黒い筋を垂らした、あの顔が。その目は真っ赤に血走り、見たこともないようなおぞましい表情で、はっきりとこちらを見つめていた。

 おかしい。あの少女、明らかにこちらを認識していた。過去の記録を読み取っているだけの私を、過去の記録から。

 見つけた。わからない言語のはずなのに、たしかにそう言っていると認識できた。何を見つけたのか。あの瞳の先にあったもの、それは。


「……まずい!」


 私だ。そうとしか思えない。ようやく我に返った私は、辺りを見回す。教室には扉がついた金属製の箱があるが、鍵がかかっているのか開くことができなかった。他に身を隠せそうな場所はない。万能ピックで箱を開けようにも、鍵の形状によっては変形するのに時間がかかる。


「くそっ! ならば仕方ない、退却だ!」


 このまま犯人を捕まえる予定だったが、現状正体がつかめない以上、逃げる他ない。投げ捨てた剣を拾い直し、窓へと思い切り叩きつけた。が、たしかにガラスを叩いた感触はあったものの、窓にはヒビ一つ入っていなかった。


「な……!? まさか、これは……」


 窓ガラスに手のひらを当て、盾と爆発のイメージ、そして魔力を流し込んだ。手のひらからゼロ距離で爆破魔法を対象にぶつけつつ、自分の身を守る近接攻撃魔法『ゼロエクス』だ。

 激しい爆炎が放たれる。が、やはり窓は割れるどころか、傷一つついていない。

 これは、あの廊下での出来事と同じだ。剣が床には突き刺さっていた事を考えるに、おそらく建物を大規模に破壊するような行動が制限されている。このような都合の良すぎる空間を魔法で再現することなど、私の知っている限りでは不可能だ。


「出られない、となると……」


 私は魔法触媒の短刀を握りしめ、思いつく限りの秘匿魔法を発動した。透明化、音遮断、生命反応遮断、などなど。そしてその場でしゃがみ込み、成り行きを見守ることにした。あいつに効果がありますように、そう祈りながら。

 数分もせずに、突如背筋に氷水をかけられたような、しかし刺激のない、芯から冷えるような感覚が襲ってきた。周りの空気が重くなり、鼻に肉が腐ったような、不快な臭いが入り込む。

 塔の階段と同じだ。ということは、あれが近くにいる。警戒心を最大限に、辺りの様子を伺う。すると、教室の引き戸の窓ガラス、廊下が見えるところに、あれが見えた。黒いモヤで覆われているが、先程見せつけられた、あの顔が。

 少女は引き戸を開けずに、すり抜けて教室の中へと入ってきた。思わず声を出しそうになるが、必死に押し殺す。声や音は出しても問題ないはずなのだが、無意識にそうしていた。

 少女は教室を見渡しながら、黒板側を周り、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。ピタ、ピタと、湿った足音が静寂の中に響く。

 ついに、少女は私の側まで接近した。しかし、私のことを認識できていないのだろう、そのまま通り過ぎようとした。息を押し殺し、極度の緊張で成り行きを見守る。が、少女は突如足を止めた。

 少女は足元を見下ろしている。そこには、私が拾ってきた妙な生き物の小さいぬいぐるみが落ちていた。


(しまった!)


 私が展開している魔法のうち、透明化と音遮断は私を中心に小さく球状に広がっている。そして、ぬいぐるみの足が、ちょうどその範囲から外に飛び出しているのだ。慌てて隠れたためにしまう余裕がなく、床に放置したままになっていたのだ。少女から見ると、何もないところからぬいぐるみの足だけが飛び出しているように見えているはずだ。

 ぬいぐるみを見つめる少女の目が、ゆっくりと上がっていく。その視線の先には、私がいる。


(見えていない、よな?)


 そのはずなのに、少女に私の場所が見透かされているような気がした。ちらりと、少女の顔を見る。その真っ赤な目は、私の顔を見つめていた。目が合ってしまった。

 ああ、私はここで死ぬのか。死にたくない。恐怖に怯えて死にたくない。激しく脈打つ鼓動が止まりそうになり、ネガティブな感情が心の中で溢れ出てきた。叫びたい、今すぐここから逃げ出したい。そんな考えしか出てこない。

 少女が私の顔の方を見つめて、おそらく数秒も経っていないのだろう。永遠に感じられた冷たい恐怖の時間は、金属の板が倒れるような音で破られた。

 少女が音の方へと振り返る。我に返った私も同じ場所を見てみると、先程窓ガラスに弾かれ、適当に放り投げられた鋼鉄の剣が、静かに揺れていた。おそらく、不安定な形で机に立てかかり、今倒れたのだろう。

 今しかない。そう判断した私は、ぬいぐるみを魔法の範囲内へ引っ張った。剣の方を見ていた少女が一瞬遅れてこちらを振り返るが、どうやらぬいぐるみの足がないことに気づいたようだ。辺りを首を振って見回し、見つからないことに疑問を感じているのかはわからないが、探すのを諦め再び歩き始めた。教室を一周した少女は、そのまま引き戸をすり抜け、教室から出ていった。

 少女が教室から立ち去って数分後、私はようやく魔法全てを解除した。暑いわけでもないのに、変な汗が止まらない。胸の鼓動や呼吸も未だに荒いままだ。


「はぁ……はぁ……あいつ、幻覚ではないな……」


 今の出来事で、いくつか収穫があった。あの少女、視覚と聴覚がある。過去の記録からこちらを探し出した方法はわからないが、ぬいぐるみの足を見つけ、その後見失っていた。剣の倒れる音にも気を取られていた。幻覚や幻影であのような複雑な動きをさせることは、絶対に不可能だ。

 そして、教室の引き戸をすり抜けたあの現象。あれには覚えがある。もしそうだとするなら、全ての現象に納得がいく。いくのだが、それを認めることは、私には難しいことであった。


「幽霊、か……」


 幽霊。死んだ者の魂のなれの果てと言われている存在。今でも証明困難な現象として、その存在を信じている者は多い。霊障、呪い、怨霊、ポルターガイストなど、関連する現象も多岐にわたり、魂の行き先を宗教的に信じている者もいる。

 しかし、私は知ってしまっているのだ。幽霊など、存在しないことを。

 長年生きてきた私は、好奇心で過去何度も、幽霊という存在を調査したことがあった。ある時は心霊スポットと呼ばれる場所で心霊現象を調査し、ある時は霊能力者を名乗る者を検査し、またある時は、亡くなった夫の魂の行き先を調べた。

 しかし、幾度となく行った調査の結果、幽霊など存在しない、ということが私にはわかってしまったのだ。どれも、自然現象の偶然の重なりから発生していたり、時には人為的に魔法や機械を用いて現象を起こしていたりしたこともあった。霊能者など、ペテン師ばかりだった。夫の魂など、どこにもいなかった。

 だが、今起きているこの現象は、幽霊の仕業だという結論しか頭には出てこなかった。魔法でも、おそらく物理的な機械でも不可能な現象が起きすぎている。思考の放棄になってしまうが、全て幽霊の仕業だと考える方が、合点がいってしまうのだ。


「……不服だが、仕方ない」


 しかし、こうなってくると対処のしようもなくなってしまう。なにせ、相手は物理攻撃や魔法攻撃が効かない存在だ。どうやって討ち滅ぼせばいいのか、全く検討もつかない。


「こんな時、アヤメがいてくれたらな……あいつなら、こういうの詳しかっただろうに」


 今は亡き古き友の顔を思い出しつつ、床に置きっぱなしの拾得物をカバンにしまい始めた。幽霊を滅する方法も考えながら。


***


 行ける範囲の探索は終えたため、今度は鍵がかかっている箇所の探索を開始した。鍵を見つけた場所と、鍵は見つけていないが万能ピックで開けることのできる場所が主となった。しかし、一向に進展がない。前回までのように行方不明者の遺留品や痕跡もなければ、新しい鍵や気になる物品も見つからない。ついに残りは、三階端の教室一つのみとなった。


「ここが最後か。さて、あれを殺す手がかりでも見つかればいいのだが」


 幽霊を殺す、おかしな表現かもしれないが、それ以外に適した言葉が見つからなかった。成仏させる、は心情的には異なっている気がする。

 おそらく『三年三組』と書かれた教室の鍵は、別の場所で見つけた鍵が合致した。引き戸を開け、警戒しつつ中に入る。体全体が教室の中へ入った瞬間、異変が襲ってきた。


「っ……!!」


 息ができない。まるで喉に固形物でも流し込まれたかのように、空気が気管を通らない。思わず口と鼻を抑えるが、毒を吸い込んだわけではないようだ。


(なんだれこは……! 息が……!)


 苦しさのあまり、その場にうずくまる。肺が微動だにぜず、息を吸うことも、吐くこともできない。ただただ、横隔膜が固まったように妙な痙攣を起こしている。


(くっ……このままでは……)


 意図的に息を止めるのとはわけが違う。突然のことに焦り、鼓動も激しく脈打ち始めた。

 意識が薄れ行く。視界がぼやけ、歪みを生じている。頭の中も白く、モヤがかかってきた。

 ああ、私は死ぬのか。

 もはや、恐怖すら感じる余裕はなかった。ただ真っ直ぐに、意識は白と黒の底へと落ちていった。

 突如、胸の辺りに強い衝撃がぶつかる。その衝撃に吹き飛ばされ、壁に背中から叩きつけられた。


「グホッ……オエ……」


 どうやら、教室の外に吹き飛ばされ、廊下の壁に叩きつけられたらしい。背中へ二度目の鈍い痛みが広がる。


「ゲェ……す、すっかり忘れていた……」


 胸の辺りを擦ると、割れた何かが手に当たる。自分の生命力が弱まった時に、一度だけ爆破魔法が発動するよう仕込んでおいた、ペンダントの成れの果てだ。絞め殺されそうになった時や、殺された時に相手を道連れにするように仕込んでおいたものだが、まさかこんな時に役立つとは。

 気づけば、呼吸がちゃんとできている。どうやら、あの教室の中に異常があるようだ。


「ゲホッ……わ、私はまだ、生きてていいみたいだな……」


 呼吸を整え、落ち着きを取り戻し、改めて問題の教室の中を外から確認する。見るだけではなんの変哲もない、ただの教室だ。試しに頭だけ、教室の中に入れてみる。すると、先程と同じように、急に呼吸ができなくなった。慌てて頭を戻すと、再び呼吸ができるようになった。やはり、この教室の中にいると、呼吸が一切できなくなるようだ。


「んー、どうするかな。他の場所も特に何も見つからなかったし、ここにも何もない気もするが」


 しかし、他の場所にはこのような仕掛けはなかった。わざわざこのような罠が仕掛けられているのだ、何かある可能性も高い。

 教室の中を見る角度を調整し、全体を見ようと試してみる。すると、気になるものが目に入った。


「本と、花?」


 廊下の反対側、窓際かつ前から四列目の机の上に、一冊の本と、白い花束が差してある花瓶が置かれている。花はおそらく、菊だろうか。ニパングでは葬式で、死者へ手向ける花として使われていた記憶がある。


「あの本が気になるな。あそこまでなら、息を止めていけば往復しても問題なさそうだが……」


 本来なら行けるだろう。しかし、この場所では理解を超える現象が数多く発生している。そう簡単に、あの机までたどり着かせるはずがない。どうにかできないか、考えつつカバンの中を手探った。


「ん? そういえば、これはもしかして……」


 手に当たったとある物品。学校内で拾った、縦に長い缶だ。缶は円筒状だが、片側が円錐状に狭まっており、その先には小さいボタンのようなものがついている。そして、缶は中に何も詰まっていないと思うほど、とても軽かった。

 何か気になる。先程少女に見つかったこともあり、ろくに調べていなかった。試しにボタンを押してみると、シュー、という小さい音が聞こえる。更に確認してみると、ボタンに小さい穴がついている。どうやらボタンを押すと、ここから何かの気体が出てくるようだ。

 役に立たないと思った複合探知計を取り出し、計器に向けて気体を噴出してみた。計器はピクリとも動かない。少なくとも、既存の毒ではないようだ。

 危険と思いつつも、他にどうすることもできない。私はボタンの小さい穴に鼻を近づけ、噴出する気体の臭いを嗅いでみた。臭いはしない。身体にも今の所、異常は出ていないようだ。ここでようやく、これの使い道をひらいめいた。


「もしやこれ、酸素が詰まっているのか?」


 いつの時代だか、高濃度の酸素を吸入することで脳を活性化させる、というのが流行った記憶がある。今でも一部の地域では、健康補助の一環として文化が残っているらしい。もしや、それを持ち運びできるようにしたものなのだろうか。

 だとしたら、使えるかもしれない。この缶は、この学校内で拾ったものだ。言ってしまえば、幽霊の作り出したものだ。幽霊の作り出した罠に対して有効かもしれない。直感でしかないが、こういう時の直感は意外と有用なのだ。


「どうせこのまま立ち止まっても、あれにいつか殺されるだけだろうな。それなら、足掻いた上で死んでやろう」


 カバンから適当な紐を取り出し、うまい具合にボタンが押したままになるよう縦に縛り付けた。シュー、という音を確認した後、噴出口を右手で多い、そのまま口に被せた。


(さあ、うまくいってくれよ)


 件の教室へ、まずは頭を入れてみる。呼吸は、できる。どうやら自分の考えは間違いなかったようだ。次は体全体を教室へと踏み入れる。やはり呼吸は問題ない。

 自分の直感に感謝しつつ、急ぎ足で花が生けてある机まで行き、本を手に取るとすぐ教室の外へと向かった。無事外に出られた事を確認すると、強い安堵感と疲弊感が襲ってきた。


「ふう……ここまで考えながら探索するのも、何百年ぶりだろうな」


 大きく深呼吸をし、手に持っている本に目をやる。厚さはあまりないが、縦横の幅は手のひらよりも大きい。表紙部分には、確かニパングの言葉で『観察日記』を意味する文字が書いてある。パラパラと適当にめくってみると、文字は書いてあるものの全て手書きで、後半は全て白紙だった。記帳するタイプの本らしい。


「まあ教室だし、生徒が使ってた学習帳だろうな。さて、読める範囲で読んでみるか」


 学習帳を拾った教室の隣の教室へ身を潜め、念の為に各種秘匿魔法を展開した。安全が確保できたことを確認し、学習帳を開き読み進める。書かれている文字は、やはりニパングの文字に似ており、そのまま読めそうであった。

 数ページ読み進める。が、気分が悪くなってきた。更に読み進める。怒りとも悲しみとも言えるような、奇妙な感覚が渦巻いてきている。記帳されている箇所を最後まで読み終える。後味の悪い、胸にモヤがかったような感覚だけが残っていた。


「……これ、内容的に子供が書いたものだよな。そうだよな、子供でもこうなんだよな……」


 なんともやりきれない気持ちになった。ふと気になり、再びあの少女に見つかる危険も考えつつ、学習帳にパストヴィズを流し込んだ。頭に浮かぶ鮮明な映像と音は、その学習帳に書かれていた内容をほぼそのまま再現していた。ただし、最後に書かれていた一文だけは、その記録から場面を見ることができなかったが。


『ピピピピピピ! ピピピピピピ!』


 突如、けたたましい無機質な音が聞こえた。慌てて辺りを見回すが、音の発生源は周りにはなく、私のカバンの中から発せられている。カバンを覗き音の主を探すと、学校内で拾った、金属とガラスが組み合わさった妙な板であった。そのガラスには、黒い背景に真っ赤な色で、ニパングのものに似た文字が浮かび上がっていた。


『返して』


 返して、そう意味する言葉が浮かんでいる。学習帳へのパストヴィズによって、この板の正体と、この板がどのように扱われていたのかを、私は確認できていた。そして、この『返して』の意味も、理解できた。この板、いや機械は、トイレで拾ったのだ。


 学習帳には、『ツルタニ チヨ』という名の少女に対し、複数の少女が暴行や暴言などを働く様が事細かに記録されていた。そして、その最後の一文には、対象の少女が自ら命を絶ったことが記載されていた。


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