単眼娘の憂鬱
「ああ、つらいな」
朝日が昇る前の薄暗い時刻に、単眼娘がつぶやいた。瞳の色はエメラルドで、緑色の髪を切り揃えていた。
二十代くらいで着ているのは毛皮だけで胸と腰だけ巻いている。
近くには背の低い木が生えていた。人面の幹で口の部分から吐き出すように水を流している。近くには中身のない亀の甲羅が積まれている。杯代わりだ。
傍には鱗の皮で張られたテントがあった。周囲は荒野が広がっており、地平線が見える。他にも似たようなテントが張られており、
ここはムーランティスという大陸だ。身体が欠けた者や多い者が多く暮らしている。国という制度はなく、各地に集落がぽつぽつとあるだけだ。
ムーランティスには巨大な竜が存在している。陸はもちろんのこと、海や空を飛ぶ竜がいた。その竜たちを狩り、肉を取る。そして骨と皮を使ってテントを作り、住んでいるのだ。
単眼娘はメトッヒという名前だ。親はすでに死んでいる。メトッヒの両親は彼女と違い、単眼の上に一本足だった。一見、一本足だと不便そうに見えるが実際は違う。両親がぴょんと飛べば、上が見えない崖を軽く飛び越えるし、重い荷物を背負っても歩かずに移動できる。
一本足だと踵の部分に親指に近いものが生えている。足の指も手のように器用で芋虫が這うように移動することができるのだ。
「まったく、男たちは激しくて困るわ」
メトッヒは娼婦である。もちろん個人ではない。シザラァという両腕両脚がない芋虫の様な老婆が仕切っている。シザラァは手足がなくても不自由はしない。耳は足のように伸びるし、鼻もかぎ爪のように鋭く、なんでもできる。舌も自在に伸ばせるので食べることもできる。
メトッヒはシザラァの元に集まる娼婦の一人であった。同僚には単眼で首がやたらと長く、両腕はないが、両脚を手のように器用に扱うもの。盲目だが額に触手があり、両脚はないが、丸太のように太い両腕は足代わりにもなる者がいた。
この大陸ではメトッヒのように欠けている部分が少ないと馬鹿にされやすいのだ。両親は竜を狩るときに死んだが、娘を軽く扱っていた。家事をすべて押し付け、自分たちは狩りに集中し、娘にはわずかばかりの肉を寄越すだけであった。
「ゲテモノだから乱暴にしていいと思っているのね。まったく腰が痛くなるわ」
メトッヒは娼婦の中でも下であった。両足が欠けているものは、足がある者を馬鹿にするし、両腕が欠けているものは、腕がある者を馬鹿にする傾向がある。
メトッヒは単眼だけで個性がない。よってシザラァは客に対してメトッヒは無茶をしていいと告げるのだ。かといってなんでもしていいわけではない。以前客がメトッヒを殺そうとしたがシザラァの鋭い鼻に背中を切り裂かれて殺されたのだ。
「ん? 何かしら」
メトッヒは目を凝らした。彼女は単眼なので常人の何百倍も視力が良い。闇の中でもわずかな光で難なく歩くことができるのだ。
メトッヒは荒野の中で蠢く何かを見た。獣の類にしては小さい。彼女は気になったのでそいつに歩み寄った。
メトッヒがはぁはぁ息を切らしながらそいつの元にやってきた。それはボロを着た子供だった。手足は擦り切れており、身体も悪臭を放っている。
じっくりと観察するとメトッヒは驚いた。それは猿だったからだ。文字通りの動物ではない。欠けた部分がない人間の事を猿と蔑称していた。
ああ、厄介な者を見た。メトッヒはすぐに立ち去ろうとしたが、ぎゅっと足首を掴まれた。
離せと足を振っても振りほどけない。メトッヒはずるずると自分のテントへ戻るのであった。
「僕はトトゥオと申します」
猿の少年が頭を下げた。メトッヒは仕方ないのでトトゥオの体を洗う。さっぱりすると小ぎれいになった。ボロを着たままである。
メトッヒは自分のテントに入れた。シザラァは渋い顔をしたが自分で面倒を見ろと吐き捨てただけであった。他の同僚はじろじろと見ている。猿が珍しいからだ。
「僕の両親は流行り病で亡くなりました。僕は行く当てもないため旅立ったのです」
「……それを私に話して何の意味があるの?」
自分が慈悲で拾ったと思っているだろうか。だとしたら大間違いだ。メトッヒは単眼だけが取り柄だが猿を嫌っている。今すぐにでも追い出したいくらいだ。
「僕はお姉さんの大きな目が気に入りました。どうか舐めさせてください」
「いやらしいガキね!」
メトッヒは怒鳴った。目を舐められるのはそれほど苦痛ではない。単眼ゆえに常人より目が丈夫なのだ。それにしても初対面の人間に目を舐めさせろとは常識外れである。
「もちろんただでは舐めません。僕は自分の芸で対価を払います」
「対価ですって? あんたに何ができるっていうのよ」
するとトトゥオはボロから魚の骨を取り出した。骨に糸を結びつけるとボロを縫い合わせたのである。
ボロはあっという間に立派なものへ生まれ変わったのだ。これにはメトッヒもたまげた。
トトゥオはメトッヒの毛皮を脱がす。やめろと叫んだが脱がされた。そして縫い合わせると粗末な毛皮は、立派な服へ生まれ変わった。
「あっ、あんたは他になにができるの!?」
「他にも籠を編めます。あとは土器を作れます」
籠は弦を使って編み上げた。それは丈夫なものであった。
土器は粘土をこねて蛇のように伸ばし、とぐろを巻くようにする。そして火に囲んで焼き上げるのだ。
これにはシザラァを含め、他の娼婦たちも驚いた。猿が物を作ることが信じられなかった。
「こいつは金になるね。おいメトッヒ。このガキの面倒はお前が見な。おまえがひろったんだから最後までお前が世話をするんだよ。それとトトゥオといったね。あんたはあたしが指示するものを言われるままに作るんだよ。お前みたいな猿なんか誰も相手にしたくないんだ、住まわせてもらえるだけありがたいと思いな!! もちろんメトッヒの瞳を好きなだけお舐め。飯もこいつらより多く出してやるよ。あんまりケチれば、精霊様の怒りを買うからね」
この世界は龍の骨を使った骨貨という貨幣がある。空飛ぶ竜が一番高く、次に海竜、一番安いのが陸に住む竜だ。見た目と硬さですぐにわかる。一回、花を買うのに骨貨は陸骨貨だと200枚。海骨貨は20枚。空骨貨は2枚必要になる。高いほど栄養価が高くてうまい。海骨貨は塩味が効いており、粉にして焼いた野菜に振りかけたり、煮込むのに使っている。シザラァは空骨貨を手に入れると自分一人で食べていた。
こうしてトトゥオはメトッヒと暮らすことになった。トトゥオは歓喜の声を上げ、メトッヒはうんざりしていた。
☆
「野菜って、どこから手に入れるのですか?」
ある日の夜、トトゥオがメトッヒに尋ねた。トトゥオが作った土器で野菜を煮込むのだ。以前は亀の甲羅を使っていたが、土器を使ってからはより野菜と肉が柔らかくなったのである。
さらにトトゥオは野菜を貝で作った包丁で切り刻み、魚醬をかけて炒めたのだ。
それだけでなく麦蛾と呼ばれる巨大な蛾からは麦粉が採れる。そいつを集めて水で溶かしてパンを作るのだが、トトゥオは工夫をすることでパンを柔らかくしたのだ。さらに野菜を挟んで食べる調理法も教えてくれた。
その調理法はメトッヒだけでなく他の娼婦も驚いた。シザラァも同様でトトゥオに毎回当番を命じたくらいだ。
「野菜は身分け人が農獣から取ってくるのよ。このカメタマもその亀の甲羅から採れたものよ」
メトッヒは玉ねぎを手にして言った。農獣は竜以外の巨大な生物だ。カメタマは沼地に住む沼亀の甲羅にびっしりと生えているもので、身分け人が切り取るのである。
クモニンジンは森にすむ赤蜘蛛の棘で、びっしりと生えたものを切り取るのだ。
そしてガマイモは沼地に住む沼蝦蟇の背中に生えているイボだ。
農獣も黙って切り取られるわけではない。暴れることもある。身分け人も命がけだ。
だからといって農獣を退治することはない。彼等から恵みを分けてもらうのだ。竜と違って殺してはならない。精霊が怒るからだ。
身分け人は自分たちが排せつしたものを、亀の甲羅に集めて農獣に喰わせる。自分たちから出たものを農獣に喰わせることで、次に身分けしてもらうための言い訳を作っていた。
「そうなんですか。僕の住んでいた村では野菜は畑から採れますよ。野菜や果物のタネを土に埋めて増やすんです」
「はぁ、何それ。わけがわからないわ。猿は何を考えているのかしら」
メトッヒは呆れたが、その一方で猿ならやりそうだと思った。なぜならトトゥオの器用さは尋常ではないからだ。
娼婦たちのみに着けている毛皮は以前より美しく仕上がった。さらに別の植物の葉から下着なるものを編み上げた。今のメトッヒはふんどしというものを身に着けている。股間が引き締まって体の調子が良いのだ。他の娼婦たちはもちろんだがシザラァも同様である。
さらにトトゥオの作る料理は絶品であった。野菜炒めから蒸し料理など様々なものを出してきた。これは他の誰にも真似できない者であった。
単眼で両腕のない女は両足を使って、両手のように器用に扱う。
目が見えず両足のない女は、両腕を使い足のように駆け出す。
シザラァは両手両足がなくても、二本足のメトッヒより早く地を這い、耳たぶを腕のように伸ばして器用に体を支えた。
「なんであんたみたいな猿だけ除け者にされるかわからないわね」
メトッヒは首を傾げた。だが難しいことはわからない。自分にできることは毎日男たちに花を売るくらいだ。その日の飯さえ食べられればそれでいい。
「ごめんなさい。つまらないことを聞いて。お姉さんが早く眼球を舐めてほしくてうずうずしているのを邪魔しちゃいました」
「いや、別にうずうずしてないから!」
トトゥオはメトッヒに覆いかぶさる。自分より頭が一つ低いのに払いのけることができない。男と女の力はこれほど離れているのか。
トトゥオはメトッヒの水晶玉の様な眼球を舐める。ちょっぴり塩味が効いていた。表面はぬるっとしており、舌触りが良い。
「ちょっ、そんな念入りに、ナメルッ、なぁ!!」
「お姉さん、ここがいいんですね。喜んでくれて嬉しいです」
腕で押し倒そうとしてもトトゥオの力は強い。まるで地面に木の根が張ったように動かないのだ。
「とてもきれいです。こんな大きくてきれいな目は初めてです。男の人がお姉さんの目を舐めていると思うと、胸が切ないです」
「バカッ! 他の男は私の眼球なんか舐めないわよ! 私の事は一つ目の猿の仲間としか思ってないわ、怖いもの見たさのゲテモノ趣味よ!!」
「許せません。お姉さんの眼球は素敵なのに、他の人たちは見る目がないですね」
そうしてトトゥオは眼球を舐め続ける。単眼だが常人より頑丈ではある。しかし舌の感触は想像以上にメトッヒの身体に雷鳴を轟かせるのに十分であった。甲高く甘い声がテントから演奏される。それをシザラァは呆れながら聴いていた。
「末恐ろしい猿だね。メトッヒにあんな声を出させるとは」
メトッヒとトトゥオの生活は平穏が続いた。時折客から籠や土器を見られ、いくらなら分けてくれると尋ねられることが多くなった。
シザラァは客から注文を受け、トトゥオに土器や籠を作らせる。必要な材料は遠くの森や沼地にあるのでお守りにメトッヒを同行させた。
トトゥオは当初猿の子供として嫌悪の目で見られていた。自分みたいに身体が欠けていないのに、自分たちより非力な猿は軽蔑の対象だった。
ところがトトゥオの作る物は素晴らしいものばかりだ。農獣から身分けしたカメタマやクモニンジンを軽い籠に入れて背負ったり、土器で保存したり煮たりできるのだ。
それに毛皮をきれいに加工し、縫い合わせることができる。いつしか花を買うよりも物を買うことが多くなった。
そんなある日事件が起きた。カメタマを有する沼亀が死んだらしい。寿命か病死かは知る術はなかった。農獣も不老不死ではない、死ぬときは死ぬのだ。死んだものは精霊となり、次に新しい命へ生まれ変わる。ムーランティスではありきたりな信仰であった。
ところが農獣が死んだのを、トトゥオのせいだと騒ぎ立てる者がいた。それはシザラァたちと縁のない身分け人が半狂乱になっているのである。満月の夜の事だ。
花を買った者たちがそれは関係ないだろうと落ち着かせようとしたが、まったく収まらなかった。あいつらのように農獣から身を分けてもらう神聖な仕事をせず、花を売る輩は穢れを溜めてきたんだ。だから精霊様が怒って沼亀を殺したんだと唾を飛ばしながら主張した。集落の年配も一緒になって騒ぎ立てる。
そんなやり取りを遠くでトトゥオが聴いていた。彼はぶるぶると震えている。メトッヒの足に抱き着いていた。彼女もここ最近は甘えてくるトトゥオを邪険にしなくなった。むしろ自分の子供のように世話をすることが多くなっている。トトゥオの頭を優しくなでた。
「ふん。お前のせいじゃないね。遅かれ早かれ、身分け人たちはあたしらを追い出そうとしていたさ。あいつらは自分たちの仕事が神聖であり、他の人間を見下す傾向があるんだ。トトゥオがいようがいまいが、あいつらは難癖をつけて追い払おうとしていたに違いないね」
もちろん花を買った客には身分け人もいた。彼等は直にトトゥオの実力を見ている。だからこそ彼の力量を認めているのだ。身体能力は最弱でも手先が器用なのが猿なのだと、認識を改めたのだ。
普段ならもめ事を起こす前に、テントを畳んで別の集落へ移動する。長居したのは客から籠や土器の製作を依頼されたからだ。普通ならシザラァたちに対して手のひらを返して一緒になって追い払うつもりだったが、トトゥオの作る品物の素晴らしさに彼らの猿に対する認識が甘くなったのである。しかし知らない人間にとっては猿は疫病神以外の何物でもない。
「さてメトッヒ。お前はトトゥオを連れて逃げな。あんたなら真夜中でも普通に見えるだろう。あたしらはここから東にある集落を目指すよ。あんたたちもそちらに合流するんだ。まあ、途中で竜に喰われたらそれまでってことさね」
シザラァは女たちに命じてテントを畳ませた。テントを縛り、背負う革のベルトはトトゥオの手製である。彼女らは散らばって逃げた。逃げるのは十八番である。
メトッヒとトトゥオは一緒になって真夜中の荒野へ逃げた。
追手はいない。客が暴徒を押さえつけてくれたおかげで、逃げる時間を稼げたようだ。
メトッヒは荒野を歩く。彼女にとって星の明かりさえあれば夜でも明るく見られるのだ。ましてや今日は満月、明るすぎて眩しいくらいである。
「……ごめんなさい」
「あなたが謝ることじゃないわ。あいつらは迷信を愛しているのよ。自分たちにとって不都合なことは自分の知らないもののせいだと思い込んでいる。まったく視野が狭くて嫌になるわ」
しょんぼりとしているトトゥオに対して、メトッヒは慰める。
しかし自分で発して、はっとした。彼女自身、猿を忌み嫌っていたのだ。
別に何かされたわけでもないのに、手足が二本ずつそろい、目や耳、鼻や口もそろう猿に得体のしれない何かを感じていた。
大抵は噂でしかないが、その噂を信じていたのである。
最初は邪魔で小型の獣を飼っていた方がましだと思っていた。だが毎日世話をしているうちにトトゥオは自分と変わらない人間だと考えるようになった。
自分の身体能力の低さを、手先の器用さで補佐する。それが猿ではないかと推測した。
籠や土器を受け取った客は花を買う以上に喜んでいたのを覚えている。
「……トトゥオはどこに行きたい? あなたと同じ人間のいる村を探してやってもいいわよ」
メトッヒは優しい声色で尋ねた。同じ体系の人間が集まってもおかしくない。トトゥオは今まで両親と共に暮らしていたようだが、探せばいるかもしれないのだ。
「僕はお姉さんと一緒がいい。僕はお姉さんの眼球を舐められればそれでいいんだ」
「……あなたは色々歪んでいるわね。他にも単眼の女はいたはずでしょう?」
「首が長くて両腕がないお姉さんの事? あの人の目は小さすぎるよ。お姉さんのように大きな瞳が好きなんだ」
トトゥオはぎゅっとメトッヒの手を握る。彼女もぎゅっと握り返した。
「でも僕は他の人にお姉さんの目を舐めてほしくないな。僕だけで独占したいよ」
「だめよ。あなたじゃ私を養えない……」
メトッヒが口をつぐんだ。トトゥオの作る籠や土器は高く売れた。籠は陸骨貨10枚分で、土器は50枚分だ。籠は一日で10個作れるし、土器はその日次第では5個くらい焼ける。
トトゥオが大きくなればもっと数を作れるだろうし、それ以外に色々作れるようになるだろう。
「まあ、頑張りなさい。私とあなたが一緒になればなんとかなるでしょう。さて一番の目的はシザラァばあさんたちと合流ね」
そう言ってメトッヒとトトゥオは闇の中に消えた。二人はどこに行ったのか誰も知らない。
だがトトゥオはメトッヒの瞳を舐め続けていただろう。それだけはわかる。
とびらの様の人外短編企画の2作目です。1作目はテンプレのゴブリンを使い、2作目はオリジナルの世界観で書きました。
所謂、外見で差別される世界ですが、この世界では我々の様な人間こそ差別の対象となるのです。
特別な力はないけれど、手先が器用というのが人間の武器だと思いました。
単眼娘を出すなら、ショタは単眼に固執した方がいいと考えています。
世界観は縄文時代を意識しています。