8 盗賊ギルドの依頼
《拳王》オースティン・ブラックウェルという男がいる。
人を殺せる仕事なら何でも請け負うクソ野郎だ。あいつを殺したい人間は多いだろう。
だが、奴は生きている。理由は単純、《拳王》を殺そうとする者より《拳王》は強いからだ。
《拳王》は、その名の通り拳で戦う。あらゆる敵を拳一つで粉砕するのだ。武器や魔法を使うという話は聞いたことが無い。
その拳は竜をも仕留め、その肉体はあらゆる魔獣の爪牙すら弾く。
極限まで鍛え上げた拳、そして肉体に敬意を表し、人々は彼を《拳王》と呼ぶ。人間性はともかくな。
初めて奴と関わったのは俺がまだ傭兵になって間もない頃だった。直接会ってはいないが。
とある戦争中、傭兵として約二百名の中隊とともに小さな町を訪れた時の事だ。
中隊は戦場の近くとなる町の住人の避難を促していた。後続の大隊が到着するまでの間、俺は何人かの仲間とともに敵軍の情報収集を担当していた。
夜、斥候として仲間とともに敵軍近くまで接近した。その際に敵軍に潜り込んでいた者から《拳王》が従軍しており、単身で討って出たという情報を得た。
急いで町に戻ったとき、既にそこには死体しかなかった。騎士団、傭兵、衛生兵、輜重兵、全員だ。
驚いたね。全員が撲殺されたようだったから。刃物の跡はどこにもなかった。
さらに町人までも殺されていた。まあ、戦時中ならよくあることだ。俺の故郷もそうだった。
《拳王》とこちらの実力差の問題であり、ただの戦争の話だ。
ただ、老若男女問わず全員撲殺していたところに奴の異常さを感じた。一人一人手で殺して回ったのだ。逃げるものも挑むものも等しく殴り殺したということだ。
楽しんで殺したのか、殺せという命令の元に殺したのか、あるいは意味もなくただ蟻を踏み潰すように殺したのか。
理由も心情もわからないが、間違いなくそこには傲慢さがあった。まるで全ての命が自分のものだと言わんばかりの傲慢さだ。生殺与奪の権を握る強者の傲慢。
胸糞悪い野郎だと思った。
同時に、同じだけの数の敵を殴り殺す実力が俺にあるかといえば疑問だった。破壊の魔法を覚えて以来、危機感を覚えたのは初めてだった。
鍛え直すきっかけをくれたという意味では感謝している。
今思えば、俺は奴の行為から感じられる傲慢さに腹を立てていたのかもしれない。自分の魔法の傲慢さと重ねて……同族嫌悪だ。
今、その男と娼館の外で対峙していた。娼館へは仕事で来ている。趣味じゃない、依頼だ。
多分向こうも仕事だろう。
「お会いできて光栄だよ。《破壊神》殿、《落日の女神》殿」
男はどう猛な本性を隠さず、静かに吠えた。
厄介なことになったものだ。こんな強者に出くわすとはな。
依頼元の盗賊ギルドには後で多めに請求をしよう。死ぬかもしれない場面は久しぶりだ。
思考は依頼を受けた今日の朝まで遡る。
目を覚ましたときはこんな事態は想像していなかったな――――
*
「おはよーございます! ダイス! 《おそうじ魔王》の実力をみてくださいっ!」
俺の安眠は底抜けに明るい魔王に打ち砕かれた。
「……扉を開けるときはノックをしろ。マナーを守れない奴は畜生にも劣る」
「ああっ! ごめんなさい!」
即座に土下座で謝る魔王。スカートがめくれパンツが見えている。
数日をともに過ごしたが、この少女はオーバーアクションのせいで頻繁に見せてはいけない何かを見せてくる。
少しは恥じらいを持つべきだ。
「パンツが見えているぞ。で、《おそうじ魔王》が何だって?」
「あ、お見苦しいものを失礼しましたっ! ええっと……そう、そうでした! 《おそうじ魔王》がおそうじをしたんですっ!」
二つ名から始まる行動もあるのだろうか。普通は行動した結果によって二つ名がつくもんだが。何にせよ掃除したんなら文句はない。
エマに連れられ階段を降り、リビング兼事務所に行くと、そこは何とも言えないエキゾチックなテイストの部屋になっていた。
「……なんだこりゃ」
確かに片付いているが、見たことのない小物があちこちに置かれている。
魔除けなのか魔物なのかわからないお面とかだ。
「記憶喪失ですが、記憶を掘り起こしてリゾート風に仕立ててみました!」
ああ、そう言えば快適なリゾートにしろって言った気がする。
リゾートっぽいが、数あるリゾートテイストの中からこれを選ぶのか。
まあ、間違ってはいないが……予想外だ。
「俺の予想の斜め上をいったな」
「恐れ入りましたかっ!?」
「そこまでじゃない。だが報酬は上乗せしてやる。銀貨1枚だ」
銀貨をピンと親指で弾きエマに渡す。
「おおっ! これがあたしの初めての仕事……っ!」
エマは両膝をついて手を天に向け感動している。魔王も銀貨1枚で感動できるんだな。
「ダイス、おはよう」
「おはよう、リアラ」
綺麗なリビングでリアラはくつろぎ、優雅にコーヒーを飲んでいた。
胸元と脚をさらしたきわどい恰好で空の酒瓶に埋もれていた女と同一人物とは思えないな。
「俺も一杯頂こうかな」
「ああ、飲め。やはり朝はコーヒーだな。酒臭くない部屋は快適だ」
お前がそれを言うのか。開いた口が塞がらない。
「……あの、ダイスさん。おはようございます」
「ああ、おはよう。ソフィ」
かなり存在が希薄で見逃しそうだったがソフィがいた。
なぜここまで頑なに気配を消すのか。気付いてしまえば目を離せないほどには美人なのだが気付くまでが大変だ。これならキッチンに現れる虫の方がまだ存在感がある。
才能を持つ者が相当の訓練を積まないとこの領域には至らないだろう。
例えばたった今、玄関の向こうで立ち止まった二人はそこそこのプロだ。
だが、建物の中からでもそこにいることがわかる。ソフィとの差は果てしない。
ソフィはすでに来客に気付いているようだ。リアラも空気が変わっている。
「……『何でも屋』の客だといいんだがな」
そう呟き、玄関の方向に目を向ける。
『お客様』が暴れてせっかく掃除してもらった部屋が荒れるのはごめんだ。
もちろん、部屋を片付けなくていいように、先に『お客様』を片付けるつもりではいるが。
ノックの音が響く。殺意は感じない。
「……俺が出る」
玄関まで行き扉を開けると、そこにいたのは盗賊ギルドの幹部、ヴィーだった。
それともう一人、あの時はいなかった男。おそらく護衛だろう。ヴィーと同程度の強さだな。こいつは無視していいだろう。
「……先日はどうも。今日は依頼があって来た」
先日のあの騒ぎの後でよくこれたものだ。だが依頼なら客だな。通さない理由はない。
「入れ」
無防備に二人に背を向けて歩くが……流石にちゃんとわきまえているな。少しの殺気も戸惑いも感じられない。
リビングに二人の盗賊を通すと、ヴィーを見たリアラは尊大に土産を求めた。
「酒は持ってきたか?」
「悪いが、依頼の前金しか持って来ていない」
「そうか。次は持ってこい。樽でな」
「……ふっ、わかった」
本当に持ってきそうだな。そしてリアラも喜びそうだ。
「そっちの椅子に座ってくれ」
ヴィーと連れの男が座るのを確認してから俺たちも座る。
依頼を受けてやる気にはあまりなれないが、聞くだけ聞いてみるか。
「さて……ようこそ、何でも屋へ。依頼を聞こうか」
緊張しているのか、ヴィーの額を汗が一筋流れ落ちた。
「先日は迷惑をかけてすまなかった。あの事は双方忘れて今後はいい関係を築きたい。その第一歩として、依頼がある」
面白いことを言う。別に俺は何も迷惑は被っちゃいない。むしろ沢山殺して申し訳ないと思っていたぐらいだ。
ここまで下手に出るとはな。
だが自分で言うのも何だが、俺達との関係を良好にしておくのは今後のガロンでは重要なことだ。ちょっと前までとは街の力関係は大きく変わっている。
ヴィー、あるいはギルドマスターは長い目で物事を見れる男のようだ。盗賊ギルドの上層部もなかなかやるな。
面白い。内容次第では受けてやるか。
「続けてくれ」
ヴィーは小さく息を吐き、顔を引き締めて会話を続けた。
「とある娼館へ潜入してほしい。一人の男がいるはずだ。恐ろしく強く、鋭い。すでに三人の構成員が殺された。そいつを殺してほしい」
なんだ、興醒めだな。
「殺しはつまらない。断る」
「……わかった。では、そいつが何者かを調べるだけでも良い。それならどうだ? 報酬は白金貨一枚」
盗賊ギルドが揃いも揃って素性すら洗えないのか。しかも素性を調べるだけでガロンの平均年収の半分が報酬だ。
殺しではないし受けても良い。確認すべきことを確認してからだが。
「娼館の裏はどこだ?」
「……暗殺ギルドだ」
エマの件が尾を引いているのだろうか。
いや、そこは気にする必要はないだろう。俺の仕事はその男について調べることだけだ。
「一応確認だが、暗殺ギルド関連の他方面からも調べているんだろうな?」
「当然だ。だが男の依頼主が暗殺ギルドの誰なのかも掴めない。そこも含めて調べてくれたら白金貨二枚出す」
「俺は構わんが。リアラはどうする?」
「構わない」
「よし、依頼を受けよう」
「ありがたい。これは前金だ」
前金の金貨数枚を受け取りつつ、少しいたずらを思いつく。
「ところで……そこに魔王がいるんだがいらないのか?」
俺が指さした先にはニコニコ笑うエマがいた。ヴィーは頭が痛そうな顔をして答える。
「勘弁してくれ。すでに組織としても諦めている」
本当にわかりやすい奴だ。盗賊ギルドに置いておくにはもったいないぐらいに正直者だな。
「そうか」
「さすがに《破壊神》と《くびおとし》、そして《ペルソナの勇者》の三人を相手取ってまで魔王を狙おうとは思わないさ」
ちゃんと全員の情報を得ているな。ガロンでもっとも危険な場所は我が家だろう。
「まあ、そういうものか…………ところで盗賊ギルドともあろう組織が他者に潜入を依頼して内外で問題にならないのか?」
煽りではない。組織内で盗賊としてのプライドを持っている者は反発するだろうし、組織外では馬鹿にするものもいるのではないか。
「使えるものを使うのに恥じる盗賊はいない。プライドなどクソくらえだ。何かあった時に外に委託するのはよくある話だしな」
ヴィーは娼館の場所や簡単な間取り、従業員の特徴を話して帰っていった。
*
「さて、お仕事だ。何でも屋らしい依頼だったな」
「え……何でも屋らしいですか、これ?」
ソフィが少し呆れ顔で俺を見る。
「掃除とか人探しとか調べものとかやってるイメージだがな。今回は調べものか」
「調べもの……」
「ちょっと違うか? まあ、なんでもいい。もう少しくだらない依頼でもいいんだがな」
「痴情のもつれとかですね!」
「おっと。魔王もくだらない依頼をご所望か」
「はい!」
ふざけていると黙っていたリアラが口を開いた。
「その娼館なら知っている」
「ほう……暗殺ギルドの資金源か?」
「そういった目的もあるが、主な目的は下部組織の女たちの表の仕事としての隠れ蓑だ。ほとんどが下の者たちだから私を見たことがある者はいないだろう」
「なるほど。なら潜入に支障はないな?」
「ない」
「ふむ……じゃあ、俺とリアラで行くか。ソフィとエマは留守番だ」
ソフィの顔が珍しく輝く。家から出たくないのだろう。それぐらいはわかる。
逆にエマの顔は曇った。
「こんな時にソフィの気配を消す能力を活かさないでどうするんですか! 留守番は断固拒否します!」
厄介な魔王だな。こいつは絶対、面白い場所に行きたいだけなのだ。説得するのも面倒だし、無理に置いて行ってあちこちで魔法をぶっ放されても困る。
「…………面倒だな。全員で行くか」
ソフィは絶望し、エマは笑った。