5 二つのギルド
外套に包んだ女の子を担いだままスラム街を歩く。
一旦介抱してやろうかとも考えたが……まあ大丈夫だろう。面倒くさいし、どっちかのギルドが引き取るかもしれない。せっかくのトラブルだし、じっくり楽しもう。
幸いにも今日は雨で地面は土。追跡はしやすい。
いかに盗賊といえどその泥まみれの靴では痕跡はあちこちに――おっと足跡が途切れたぞ。やるな盗賊。
「ダイス」
真剣な顔でリアラが話しかけてくる。何かに気付いたか?
「どうした?」
「眠い」
ふと見ると手に持った酒瓶の中身はかなり減っていた。
「……すぐ終わらせるから我慢してくれ」
「わかった」
トラブルを楽しむ時間が最低限になった。残念。
さて……屋根に上ったな。空を飛ぶような魔法を使ったかもしれないが……ないな。雨どいに泥がついている。登った後で雨で足を洗ったのかな。屋根の上に登るとそこからは痕跡がなかった。
ちゃんと追跡を断とうとしているところが感心を持てる。まあ意味はないが。
「ふぁ……あっちだな」
「ああ」
雨に紛れた微かな香り。そう、雨の夜の街を汚すような毒の匂い。
リアラの方が俺より鼻が良さそうだな。余計な臭いのない夜にはこれだけで十分に追跡に足る。
なんて自慢気に考えながら数分歩いたところにそれはあった。
「毒だな」
「毒だ」
獲物は自分の匂いになりそうなものもしっかりと捨てていた。
靴、毒、長年愛用したであろう手袋や武器。念入りだな。
まあ、そうしないと殺される確信があったのだろう。彼は武器すら無意味だと思ったのだ。
臭いはここでおしまい。だが、大丈夫だ。他にも手が――
「波打つ湖畔、投げられた石、打ち返すもの、うねりの連鎖」
突然のことだった。担いだ女の子から声が出た。意識があったのか? 詠唱だ。効果は――
「あっち――」
「せい」
「ぐぇ」
効果はわからないが、とりあえず軽く叩いてみたところ、女の子は潰れたカエルみたいな声を出して気絶した。なんだったんだ。
「追跡に関連しそうな詠唱だったな」
「確かに……俺たちが追っていることに気付いて場所を教えてくれた?」
「さてな?」
「行ってみるか」
「付き合おう」
「今さらだが俺の暇つぶしだが良いのか?」
「相棒だろ?」
「助かるよ」
酔っているのか、かわいい笑顔になったリアラの男前な回答に頷きつつ追跡は続いた。
女の子が示した方向へしばらく歩くと、スラム街の一つの建物が気になった。
何となく、臭いや気配から此処だと思わせる空気がある。
「あばら屋だな」
「…………ん」
早くしないとリアラが寝るな。無理にでも先に帰せばよかった。さっさと片付けよう
中は汚い家具とゴミ。普通のスラムの住宅に見えた……しかし。
「ここかな」
テーブルの下の床だ。複数人の息遣い、そして殺気。そういったものを感じる。
床を調べると隠し扉があり、地下への階段が続いていた。
薄暗い石造りの階段だ。ところどころ明かりが灯されている。下っていくと廊下になり、さらに少し歩くと広場に出た。五十人ぐらいで飯が食えそうな広さだ。
そこに十人の男たちがいた。全員、一般人に比べれば相当に強い。
その男たちの中から一人が前に出てきた。こいつがリーダーか? 強さ的にはこの中では一番だが。
「破壊神か……うちの者がすまなかった。俺はヴィーと言う。ガロンの盗賊ギルドの……まあ、幹部だ」
「そうか、俺はダイスだ。破壊神とは呼ぶな。恥ずかしい。こっちで半分寝ているのがリアラだ。で、俺に抱えられているのが『女の子』だ」
ヴィーは『女の子』を見て苦虫を噛み潰したような顔をした。
「重ねて詫びよう。破壊神と呼んですまない、ダイスさん。そして、ご足労いただき申し訳ない。『女の子』をこちらにくれないか。運搬にかかった対価は払う。迷惑をかけた賠償もする」
この『女の子』にどれほどの価値があるというのか。二つのギルドから追われ、幹部まで出張って『女の子』を追っている。
だが、俺からすれば、渡す理由も渡さない理由もない。
リアラをちらりと見る。面白そうな気配を感じたのか、眠気は冷めつつあるようだ。目は開いている。
しかし、『女の子』についてどういう結果になっても気にはしなさそうだ。
だがしかし、大事なことを思い出してしまった。
「活かす仕事をしたい、なんて話もあったな」
俺がリアラを見ながら言うと、彼女は思案しながら数度頷き、ヴィーに向かって話しかけた。
「……そうだったな。ヴィーといったな。この女の子を何に使う。どこから調達してきたかも教えろ」
リアラの問いにヴィーの周囲の男たちが色めき立つ。
盗賊ギルドの幹部に対してあまりに不遜な態度だと思ったのだろう。一部の男がなだめている。
「調達元は言えない。何に使うかと言えば、単純にギルドの構成員として働いてもらいたいだけだ。別に娼婦とか奴隷ではない。将来は幹部になることも期待している」
ふむ。こう言っては何だが別にいいんじゃないか。
リアラも『まあ、いいか』という表情だ。
「待てよ。それはそっちの都合だろう。俺らとの協議はすんでないはずだぜ?」
「オーキル……」
部屋の奥から新手が顔を出してきた。
痩せていて荒事よりは不意をついた人殺しに慣れていそうな身体だ。
雰囲気的にこいつは暗殺ギルドか。盗賊ギルドの男たちにも緊張が見える。
盗賊ギルドと暗殺ギルドは敵対するほどでもないが、仲良しでもなかったはずだ。
ましてや今は女の子を奪い合う間柄だ。お友達ではいられまい。
そこに一人で現れるのだからなかなか腕に自信があるのだろう。
「そこのあんた、その小娘は俺らとこいつらで所有権の相談中なんだ。悪いが引いてくれねーか?」
こいつ俺たちの挨拶は聞いてなかったのか。
それとも俺に勝てるつもりなのか。いや、俺とリアラにだ。
一応、リアラに聞いておくか。
「リアラ、知っているか?」
「知らない顔だ。新顔だろうな」
オーキルの顔がピクリと反応する。
「そっちの女。暗殺ギルドの者か?」
「違う」
端的だな。そして男に対する優しさがひとかけらも感じられない。そんなものあろうはずもないが。
少しでも気を使ってやるなら『今は違う』だ。
「そうか……」と、男はリアラを観察する。
さてと、自己紹介なんてどうでもいい。とっとと話を進めよう。
「で、どうするんだ? 俺はだれに渡してもいいし、渡さなくても良い。金でも面白い小話でも良いから『女の子』の行き先を決める情報を出してみろ」
「てめぇ、何を偉そうに――」
「まて、オーキル! すまなかった、ダイスさん。オーキルに説明しても?」
「ダメだ」
「なんだと?」
オーキルは額をひくつかせて低い声でつぶやく。今にも爆発しそうだ。笑わせてくれる。
「そうだな、オーキル《《さん》》』の態度は俺を楽しませてくれている。こうしよう。俺から奪えた方に渡す。これでどうだ」
「なんだそりゃ、てめぇはその小娘を担いでやるってのか? 俺にそいつを奪えと? 馬鹿にしてんのか?」
馬鹿にしてるのは果たしてどちらか。お前が一人で俺から奪えるとでも?
「違うな。『お前』じゃない。『お前たち』だ。俺がこの『女の子』を担いで……そう、左手だけで相手をしてやろう。蹴りもなしだ。俺から奪えたら、奪った方に所有権が生じる。どうだ」
「馬鹿にしてんじゃねぇか! ふざけやがって、やってやる!」
短絡的な男だ。ヴィーがここまで気を使ってるんだから察しろよ。
「お前はどうする?」
「オーキルが参加するなら俺も参加せざるをえまい」
心なしか青い顔をしている。こいつも破壊神の神話にビビっているのか。実際は普通の男なんだがな。美女に弱い普通の男だ。
「じゃ、いつでもいいぜ――」
言った瞬間にオーキルは俺の視界の外に駆けた。そして、そのまま消える。
ほう、消える魔法か、景色に紛れる魔法か、あるいは俺の認識を阻害する魔法か。
最後のはないか。あいつの魔法が俺に効果を発揮することは無いだろう。あいつから感じられる強さで判断できる。
いずれにせよ、俺の視界から消えたのだから誇っていい。
感心している俺に対してヴィーは切りかかってきた。
ショーテルを持っている。珍しい武器を使うな。性格的に普通のナイフか短剣でも使うかと思ったが。
左手の籠手で軽く弾いていく。そこまで力は込めない。軌道をそらす程度、稽古をつけてやる感じだ。
俺の余裕の笑みに気付いてから、ヴィーは苦々しさを隠せずにいる。
そして――来たか。
足元からとは意外だな。消える魔法ではなく『土中に潜る魔法』だったか。
どんな生活でそれが魔法として発現するのやら。人間ってのはつくづく多様だ。
土中から飛び出るその瞬間、不敵な笑みを浮かべるオーキル君と目があった。
その顔が驚愕に変わりゆく前に俺は姿勢を低くし、顎を殴り飛ばした。
地面から頭と武器の一部を出した状態で気絶するオーキル。何という間抜け。
一応、暗殺ギルドの人間は、こいつしか此処にいないので命までは取らなかった。念のためだ。
俺がオーキルを仕留める隙を狙ったのか、ヴィーがその力の全てを弾けさせるように斬りつけてきた。
これは取ったか? そんな空気が周囲から伝わる。
だが、こちらはそんな攻撃はお見通しだ。振り返らずに左手の籠手で受けた。
振り向きざまに頭を掴み引きずり倒し、そのままヴィーからショーテルだけを奪い、首を落とそうと――
「待ってくれ!」
止められた。
「どうした? まだ決着はついてないぞ」
「まてっ! もういい……もう、我々は諦める!」
周囲にいた男からストップがかかった。
「お前は?」
そう強くはないだろう。だが、発言力はありそうだ。
「……ギルドマスターだ。もういい、ヴィーを失うのはギルドの大きな損失だ。降って湧いたような美味い話より着実に足場を固めておきたい。ガロンの盗賊ギルドマスターとしての決定事項だ。覆ることはない」
「そうか」
ヴィーを見ると、青い顔で今にも死にそうだった。
こいつがオーキルより強かったならまだしも……多少の攻防で見た感じ、同格といったところかな。引き分けだ。どちらに渡すのも変だな。
「じゃあ、俺が持って帰ろう。文句がある奴はいるか? 俺に勝てれば文句を聞いてやる」
喋る者はいなかった。
「帰るか」
そうリアラに声をかけると、彼女はゆっくりと瞼を開けて答えた。
「終わったか」
「寝ていたのか……」
この状況で。
「ダイスは逆の立場で寝ずにいられるのか?」
そんなわけないよな、という顔をしている。
「…………」
「ほらな」
返事ができない俺の沈黙を肯定と受け取ったリアラは得意げな顔でそう言った。
えー、ともかく『女の子』だ。これをどうするかは問題だ。
盗賊ギルドと暗殺ギルドが狙う少女。それはいい。大した厄介ごととも言えない。これまでの人生ではもっと厄介な事がたくさんあった。こんなの朝飯のパンを落とした程度の厄介ごとだ。
問題はそのパンをどこにやるかだ。ここまで持ち歩いてしまったので捨てるのも気が進まない。譲渡先も今無くなった。俺の遊び心のために。
盗賊と暗殺者という目先のおもちゃに釣られていくうちに、女の子をどうするのか、ちゃんと考えないといけないという難事にぶち当たったのだった。