12 ソフィの想い
ソフィ視点
エマと二人で娼館をうろうろしていた。
オーナーの部屋で既にめぼしい情報は得たのであとはエマに満足してもらうだけだ。
「ソフィ、ソフィ! 次はあの部屋がいいです!」
「……あの部屋はだめです」
「なぜです!?」
「最中だからです」
「さいちゅう……?」
「あっちの部屋にしましょう。無人です」
「すごい! 音も聞こえないのになんでわかるんですか!?」
人が嫌いだから。
質問には心の中だけで答えてあたしは静かに扉を開いた。
なんてことの無い普通の部屋だ。エマは興味津々といった様子であちこちを見ている。
記憶の無い子供……魔王。どのような思いで生きているのだろう。
その呪われた生い立ちを微塵も感じさせない振舞い。
あたしとは、違う。
突然、森の方から戦闘の気配を感じた。
圧倒的強者のぶつかり合い。冷汗が止まらない。
「ソフィ、どうしたんです?」
「エマ、帰りましょう。とんでもなく危険なことになっています」
ああ、やっぱりあの二人についてくるのは断固拒否すべきだった。
あの悪名高い《破壊神》と《くびおとし》と同居するだけでもいっぱいいっぱいなのに、闘いの場に出くわすなんて。
「うーん……わかりました! 帰りましょう!」
「はい。急ぎましょう」
幸いにもエマは納得してくれた。
階段を降りるとロビーが目に入った。それは地獄絵図、死体の山。
なにこれ……気持ち悪い。だから人のいる場所は嫌なんだ。人のいる場所は、いやだ。
ひどい気分で事務所へ帰った。エマが素直に従ってくれたことだけが救いだった。
家に帰るとエマを部屋に押しやり、あたしは自室でお布団をかぶってすぐに眠った。
こういう日は決まって嫌な夢を見る――――……
*
一人、迷宮でうずくまるあたし。
人の気配は微塵もない。人類が到達したことのない場所。ひどく落ち着く場所だ。
だが、それはあたしによって穢されている。あたしが、その場所を人の場所へと変えているのだ。
「このまま石ころになれたらいいのに……」
誰にともなくつぶやく。
人の悩みはいつだって人と関わることで生まれてくる。
あたしは石ころになりたい。何とも関わらずにただ存在していたい。
暗いところは好きだ。一人でいてもいいから。自分が見えないから。
だけど死ぬのは嫌だ。こわい。
深く、深く潜った。人が到達したことのない階層まで。
潜り、少しだけ街に戻り、また潜った。
どれくらい経っただろう。ある時、ついに恐れていたことがおきた。
最下層に到達してしまったのだ。
そこに鎮座するは人類を脅かす強大な悪魔。
そっと近づき、剣を振るう。
一閃。
それだけだった。
終わった。終わってしまった。
ここはもはや『人の領域』だ。『誰のものともわからない曖昧な場所』ではない。
人のいる場所にいるのがつらい。しかし、そこから離れるのが怖い。
あたしは勇者なんかじゃない。勇者じゃないんだ。怖い。消えたい。何もしたくない。
あたしは――――……
*
高く昇った朝陽が窓から差し込んでいた。寝坊してしまったようだ。
よく眠れなかった。きっと目の下にはひどいクマができているだろう。
昨日はダイスさんとリアラさんを娼館に置いてきてしまったな。怒られるだろうか。
ちょっとした恐怖を感じながら身だしなみを整え、リビングへと行く。
あたし以外の三人は既にくつろいでいた。
「寝坊ですね!」
「はい、寝坊しました」
エマとのやり取りでダイスさんがニヤリと笑った。
この人が笑うたびに、あたしは殺されるんじゃないかと気が気じゃない。
「ソフィ、昨日はどこまで情報をつかめた?」
「あ、そうでしたね……まずあそこの娼館にいたのは《拳王》です。オースティン・ブラックウェル。戦場では有名な男ですからダイスさんはご存じでしょう。昨日の森での戦闘もおそらく《拳王》が相手ではないですか? あたしとエマは危険を感じたのでその時点で早々に離脱しました。《拳王》の雇い主は《毒蛇》シロフです。もともとは暗殺ギルド連盟の指導者でしたが、数か月前からガロンの暗殺ギルドマスターをしています。『ごみ掃除』と称してガロンの下部組織を浄化しているようで、先日のように不要な拠点をつぶして回っているようです。それに『殺したがり』の《拳王》を使っているというわけですね。あたしの方で調べられたのはそれぐらいです」
「そうか。それぐらい、か……」
なんだろう。足りなかっただろうか。
ダイスさんは《拳王》と直接対峙するような荒業をやってのけているのだからもっと根本的に重要な情報を掴んでいるのかもしれない。
あたしも諜報ではなかなかの腕だと自負しているが、慢心してはいけない。
「あの、他にはどんな情報があったのでしょうか?」
「他か、他……ないな。まあソフィの情報と俺が得た情報は一致している。双方別々に動いていたのだから誤った情報をつかまされた可能性も低くなった。ひとまずこれで盗賊ギルドに報告しても良いだろう。ありがとう、ソフィ」
お礼を言われるとなんだかむず痒い。
多方面から情報の確かさを検証するのは重要なことだが、娼館という閉じた空間ではそれも難しい。
あえて本人にぶつかっていくことで情報の幅を広げたダイスさんには感服だ。
だが、もう少し頑張らないとやはり殺されるかもしれない。
『頑張りますから殺さないで』、そう言いたいところだが、下手に口を開けば『うるさい殺す』となるかもしれない。
だから私はいつものように気配を殺して壁際で置物になるのだ。
*
昼に来客があった。盗賊ギルドのヴィーだ。
もともと諜報部では次代の盗賊ギルドマスターとして注目していたこともあり、彼に関する情報はいくつか持っている。
しかし、いつの間に《破壊神》と関係を構築していたのか。訪ねてきたときは驚いた。
「──というわけで、お前らが知りたがっていた男の正体は《拳王》オースティン・ブラックウェルだ。《拳王》の雇い主は《毒蛇》シロフ。数か月前からガロンの暗殺ギルドマスターをしている。これはお前らの方が詳しいか」
ダイスさんの報告にヴィーは目を見張った。前情報の通り感情を隠さない男だ。
「……まさか一日でここまで調べ上げるとは思っていなかった。初日の感触を確認する程度のつもりだったんだがな」
「まあな。さて、そっちはこれから大変だろう?」
それは確かにそうだ。ギルド間の抗争があるのなら盗賊ギルドはダイスさんやリアラさんに比肩する《拳王》を相手にせねばならないのだ。
「そうだな……。困ったことになった。まさか《拳王》が暗殺ギルドに飼われていたとはな」
リアラさんは昼から優雅にワインを飲みながら、ヴィーのセリフに口を挟んだ。
「奴らは魔王がほしいだけだろう。お前らはもう無理する必要はないんじゃないか?」
「それはそうだがな……。うちは暴力で飯を食っているから、やられっ放しじゃ引けないんだよ」
「それはそうだろうな。がんばれ」
リアラさんが完全に他人ごととして話をまとめたところでヴィーは立ち上がった。
「報酬だ」
ヴィーは仏頂面だ。心のどこかで二人の協力を期待していたのだろう。しかし、今その気はなくなったようだ。
先日は『プライドなどクソくらえ』と言っていたが本人はなかなかプライドが高そうだ。
「ちょっと多めだな。ありがたくいただこう」
ダイスさんはにやりと笑う。ヴィーたちは報酬を置いて帰っていった。
さて、と。
「いったん業務報告に城に行きます」
「そうか……わかった。気をつけてな」
ダイスさんの妙に含みを持たせた言い方が怖い。
余計なことを報告すると殺すぞということだろうか。気を付けないと。
事務所を出て大通りまで進み、城へとまっすぐ歩いていく。昼時で人が非常に多い。夜は夜で賑わうが昼のこの健全な賑わいもすごい。あたしには毒だ。
本当なら裏道をこっそりと抜けていきたいところだが、ダイスさんやリアラさんに裏路地で殺される妄想をし過ぎて怖くなったのだ。
人通りがない道など、もう一人では歩けない。
いつものように気配を消して、城の門番の横を素通りし城内へと入っていく。手続きなど面倒くさいし、何より知らない人とは極力会話をしたくない。
ガロン諜報部は尖塔の一つを占有している。ガロンのあらゆる情報が集められる場所だ。
あたしはそこの所属で、先日まではセレナ様付きの領主情報戦略室の室長を担っていたが、現在は破壊神等対策課というあたし一人の課で課長をしている。
部下がいなくなって非常に気楽だが、何となく腑に落ちないものがある。
あらゆる情報を得ている諜報部の力は城内でも強い。だからこそあたし達諜報部は貴族たちと適切な距離感を保つよう強く意識している。
近すぎても遠すぎてもトラブルの元になるのだ。
「早かったな」
「はい、ひと段落したもので」
諜報部の部屋に入ると諜報部長が出迎えてくれた。
特に諜報部長室などは無いので普通にそこらにいるのだ。この辺り、新人は驚く。
「さっそく報告をしてもらいたいが可能か?」
「はい、かいつまんで報告しますが──」
業務報告は気を付けないといけない。あたしがダイスさん達のスパイになってはいけないのだ。言えることと言えないことをしっかり見極めねばならない。
私の仕事は監視だが、そのためには信頼されないといけない。それが適切な監視に繋がるのだ。あたしが何でもかんでもべらべら喋れば、ダイスさん達はこのガロンに不信感を抱くかもしれない。
例えば、今回の娼館の件は、依頼元や経緯は話してはいけない。いかに報告相手が上司でありこのガロンの諜報部長であったとしてもだ。何でも屋の信用にかかわること、例えば顧客について話すのはよろしくないだろう。
あたしが話さなくても結局、盗賊ギルド方面から必要な情報を得るかもだろうが、あたしから話すのは正しくない。
「そうか、《拳王》がガロンにいるか……」
「はい」
「暗殺ギルドに潜ませている者からも情報がなかった。上手く隠していたようだな」
「そうでしたか」
「なぜ隠すのだろうな。大々的に公表した方が暗殺ギルドには有利だろう」
「言えない理由……どうでしょうね」
「まったく、ガロンで何が起きようとしているのか……」
「……私見ですが。《拳王》と《破壊神》。多少の因縁があるようで交戦の可能性があります」
諜報部長は泡を吹いて倒れた。弱い。
だが都市が吹き飛ぶ可能性のある戦闘だ。泡ぐらい吹いても良いかもしれない。
小一時間ほど、頭を悩ませた諜報部長は結局、戦う場所を誘導するとだけ決めた。
「都市はもちろん、重要な街道も避けないとだな。まったく厄介な話だ」
「はい……」
「あと、そうだな。そっちに関係しそうな情報だが、魔王教団が動き出している」
「教団ですか」
魔王教団。魔王崇拝者の集まりだ。
世の中には戦争が好きな人間が幾らかいて、その中でも人が死ぬのが特別好きな人は《魔王》を崇拝していたりする。凄惨な戦争を引き起こす《魔王》を。
多くは単純な目的で所属しているが、教団の中枢にはもっと別の目的がある。とても信じられないような眉唾物だ。
「穏健派がガロンで増えている。何か動きがあるかもしれん」
「わかりました。過激派の方は?」
「過激派……なるほど。そうだな」
「はい?」
「ああ、いや、すまん。過激派についての情報はない。だが……《拳王》をどう思う?」
「なるほど。『殺したがり』の戦争好き……過激派でしょうか。暗殺ギルドを隠れ蓑に?」
「確証はない。だが《拳王》の狙いは《魔王》かもしれん」
「可能性が高いです」
「ああ、可能性だ。連想させておいて悪いが、予断はするなよ。目を曇らせる」
「わかっています」
《破壊神》、《くびおとし》、《魔王》、《拳王》、暗殺ギルド、盗賊ギルド、魔王教団……儀礼的に丁寧に人殺しをする穏健派に、快楽的に無差別に人殺しをする過激派。
心底、馬鹿馬鹿しい。町の外の魔物という脅威なんてささやかなことだ。
いつだって人を脅かすのは人なのだ。
「まったく、やはりどこまで行ってもああいう人種は善良な市民に迷惑をかけるのだ……」
あたしが部屋を出る間際、諜報部長はそう言った。
だが、あたし達だって人を殺す。自分たちに有利に事が進むように、調整するのだ。よくあることだが、その時点で彼らもあたし達も変わりはしないだろう。
人のことなど言えない。国の都合で殺すか、個人の都合で殺すかだけの違いだ。
諜報部は別に正義の味方じゃないのだ。もう少し自分を省みた方が良いのでは?
あたし達も、人を脅かす存在なのだ。
そう、思った。