11 拳王
そろそろかな。むいたジャガイモも山のように積み上がった。
リアラのいるロビーでも娼館の男が苛立ち始めるころだろう。
もしかしたらソフィとエマも何かを掴みつつあるかもしれない。
包丁とジャガイモを置き、ボスに声をかける。
「ボス、すみません。トイレ」
「早く戻って来いよ! 働き者!」
働き者認定されていたようだ。申し訳ないがもう戻る予定はない。期待を裏切るのは心苦しい。人心掌握術に長けた厨房のおばちゃんだ。
娼館の中の気配を探る。あちこちで女の嬌声が聞こえてくる。
嫌になるな、まったく。
やはりエマの教育に悪かったか。遮断の魔法があれば声は聞こえないだろうが……変なものを見なければいいが。
おや、ロビーの方で戦闘が始まったな。戦いの気配がする。
しまったな。皮むきしかしてなかった。こりゃあ怒られちまうな
慌ててロビーに走ろうとして、悪寒を感じた。
廊下の窓から外を見る。一人の人間が森の方へと向かうのが見えた。五十メートルほどの距離だ。灯りは乏しく輪郭しか見えないが、その足取り、立ち振る舞いをしっかりと観察する。
強いな。あれは強者だ。おそらく、あれがターゲットだろう。
これは確かに盗賊ギルドの構成員には荷が重かろう。
しばらく見つめ、その強さを測る。ここまでの強者にはなかなかお目にかかれないだろう。
強者を見ている間にロビーの戦闘は終わったようだ。
ひとまずリアラと合流しようと、ロビーへと走った。
ロビーには既に誰もいなかった。多くの男の死体と、個室の方から聞こえる慌てた声や女の泣き声。
ここまでの惨劇があったのならこの娼館の主かそれに準ずる者はターゲットに助けを求めるだろう。
リアラがここで死んでいるはずもない。
おそらくターゲットの元へ、つまり森へ向かったのだろう。
外に出ると遠くから血の匂いが微かにした。屋内の死体の山とは別口だ。
匂いを辿り駆けていく。
そこには一つの死体と、老紳士。そしてリアラがいた。
「リアラ」
「ダイスか……私も今着いた」
「そうか」
岩の上には一つの死体があった。
見事だな。血も臓腑も散っていない。その男の死は、岩の上のみで完結していた。普通に腹を貫けばもっと惨憺たる光景が広がるものだ。
しかし……恐らくターゲットであるこの老紳士から感じられる強さは問題だ。戦闘になれば中途半端な対応はできないだろう。
「お会いできて光栄だよ。《破壊神》殿、《落日の女神》殿」
老紳士は笑顔で挨拶をした。笑顔は俺たちに対する友好の現れでは決してない。面白い獲物を見つけたことに対する笑みだ。
俺たちを知っていて、この態度を取れるか。
「何者だ?」
「私はオースティン・ブラックウェルだ」
「《拳王》か……ダイスだ。俺を《破壊神》と呼ぶな。今は『何でも屋』だからな」
思わぬ大物だったな。ぶっ殺したいとは思っていたが。こいつがターゲットで間違いないだろう。
依頼の一つ目『男の正体』は達成だな。
「リアラだ。《落日の女神》と私が自ら名乗ったことはない。やめろ。もちろん《くびおとし》もな」
男はにこりと笑顔を浮かべる。
優雅に振る舞う紳士には些かの隙もない。
「これは失礼、リアラ嬢、ダイス殿。さて…………1対2は分が悪い。今日は退散すべきかな。ところで君らは盗賊ギルドの依頼でここへ?」
「さてな。俺は厨房のおばちゃんに雇われただけだからな。お前こそ誰に雇われているんだ? 娼館で何をしている」
「難儀なことだ。互いに話したくないことが多い。だが雇い主から、リアラ嬢にお会いすることがあればと言付けを頼まれていてね。君の敬愛する元上司からだ」
リアラが軽く息をのんだ。
「言え」
「ふむ……『縁あってガロンに来た。残り僅かな人生だが、死ぬときは君の首を抱えていたい。機会があれば首を届けてくれ。待っている』だそうだ」
「シロフの言いそうなことだ」
彼女の元上司はなかなか歪んだ人間のようだな。
それにしてもこれで依頼の二つ目も達成だ。後でリアラに素性を教えてもらうか。元上司ということは暗殺ギルドの人間なのだろうが。
「では、私はこれで失礼しよう。本当なら君らを殺したいところだが……リアラ嬢のおかげで大義を持って獲物を仕留めることが出来たのでね」
どういうことだ。この岩の上の男を殺したかったのか?
「……待て。貴様は知らんだろうが、実は俺はお前に戦場で借りがある。殴らせろ」
「ふ、はは。殴るだけで済むのかね? 殴りたければ殴れば良かろう。私は歓迎するぞ」
一瞬で空気が変わった。
張りつめた糸のように空間が止まる。
時間の流れが遅く感じる。死を強く身近に感じた時によくある。
そう、《拳王》の殺気は俺に死を意識させるには十分すぎるほどに強かった。
ゆっくりと動く足。踏み込みが強い。流れるように突き出される拳が目に映る。
頭は認識するが、体は動かない。やっとの思いでそれを避けようと動き出す。体が重い。
《拳王》の拳はそのまま俺の腹に命中する。
足を踏ん張り、腹に力を入れ、強く息を吐いて押し返す。
そのまま右の拳を《拳王》の顎に向け突き上げた。
俺の拳は《拳王》の右腕を弾き飛ばし、その頬を掠める。頬からわずかに血がにじんだ。
そして――――
「やはり1対2は分が悪い。退散させてもらおう」
《拳王》の左腕はリアラのナイフを掴んでいた。僅かに血が滴っている。
俺にも微かにしかリアラの動きは見えなかった。よく掴めたな。そして血が滴る程度でよく済んだ。その肉体の強さが伺える。
「2対1は分が良いが……呼び止めて悪かったな。殴り損ねたのは残念だ」
俺のセリフに紳士は少し笑い、森の闇に溶けていった。
「無茶をしたな」
《拳王》の姿が完全に見えなくなった後、リアラが俺にそう言った。
「『殴り合いだけ』だと無茶だったようだ。次は気を付けよう」
「殺さなくて良かったのか?」
「腹が痛いしな……無理をする場面でもなかっただろう」
「それもそうか」
リアラはそう答えたが、心なしか笑っているように見えた。
殺したい、殺したくない、死にたい、死にたくない……生きていてほしい。
すべて俺の中で同時に存在する感情だ。
俺の心はどの感情に傾き、《拳王》と戦わない決断をしたのだろう。
家に帰り、風呂に入ると、腹には青黒くなった拳の跡が残っていた。
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