過去の夢 6/6
「時間が無いのについ感傷的になっちまったようだ」
クリフォードの顔は笑っていた。だが、どこか諦めた雰囲気もあり、そんな表情を見たフェイの顔が歪む。
嗚咽が漏れ、大粒の涙が地面へと吸われていく。腕で拭っても止め処なく溢れる涙で顔が濡れていった。
両親に売られたときでさえ、フェイは泣かなかった。なのに泣いていた。
クリフォードがフェイの頭をなでた。
髪がぐしゃぐしゃになるのも構わずに。
「あー、上手く言えないんだが。俺なんかのために譲ちゃんは泣いてくれるのか?」
「よく、わかりません……」
「そうか、なんだが救われた気がするな。フッ、最後に一つ格好つけさせてもらおうか」
クリフォードは腰の剣帯から剣を鞘ごと外す。それを縦向きに持つと前にかかげ、刃を少しだけ出した。
「こいつは剣を持つものの誓いだ。絶対に戻ってくる、例えそれが叶わなくても力の限り抗い生きてみせると、そんな死にたがりの誓いだ」
――キンッという音が響いた。
フェイはその一連の動作を見ていた。その恥ずかしい流れに、いつの間にか涙は止まっていた。
「ふふっ、わかった。じゃあわたしも一つ、約束するね」
フェイも同じように短剣をかかげ刃を少し出す。
「わたしも、何とかしてみるよ」
……カチンという鈍い音がした。
フェイの顔が羞恥で赤くなる。
笑うクリフォードを恨めしくにらむが効果はない。
「悪いな、笑うつもりは無かったんだ」
まったく悪びれずにフェイの頭をぽんぽん叩く。
「何とか生き残れよ」
馬で走りさる姿をフェイはしばらく見つめていた。そして不意に抱きつかれ後ろを振りかえる。アラキナだ。
「私がそばに居てあげるから大丈夫。それともう一度フェイを泣かせたら許さないから……」
「戻ってこなかったら許しませんことよ。もし約束を破るような殿方でしたら……蹴りを入れて差しあげますわ」
「あはは……」
曖昧に笑うがフェイはクリフォードに帰って来てほしかった。
すでに辺りは夕暮れ色に染まっていた。
もう一つの馬車にいる人たちは大丈夫だろうか。確認に行くと、男が荷物を物色している最中だった。ほかにも女性がおり、子供は泣いていた。
「あの、そこに居たら危険だと、思います……」
「なんだお前は。俺の邪魔をするな。せっかく枷が外れたんだ。
あの屑野郎の物を奪って逃げるんだよ。お前らもさっさと金目の物でも持って逃げるんだな」
「逃げるのはいいのですけど、朝まで隠れていたほうが……」
「お前まで化け物が出るとか言うんじゃないだろうな……あんな与太話にあわてて馬鹿みたいだ」
男が鼻で笑う。その横から女性が話しかけてきた。
「あの、先ほどの話は本当なのでしょうか? 化け物が出るから朝まで隠れていろというのは……」
「本当、だと思ってます。じゃないとクリフォードさんがあんなに慌てていないです」
「そうですか……」
「ほら、君も泣いてばかりいないで逃げよう?」
フェイが子供をあやすが泣きやむ気配はなく、突然後ろへと引きよせられた。
「フェイ、もう時間が無いよ。私たちはもう行きます、あなたはどうしますか?」
「そうですね、私も逃げようと思います……」
泣いてる子供を見捨てることに躊躇したのか、フェイは迷い立ち止まっていた。
「フェイ、私は嘘つきが嫌いですわ。あなたの葛藤もわかりますが、あなたが交わした約束を違えるというのですか?」
フェイは首を振り、グリッティに手を引かれると道から外れていった。少し森に入ったところにある大木の下に三人で身を潜めた。
――そして、夜が来た。
子供の声がいまだに聞こえるなか、馬車のほうを見れば残りの二人が降りていた。
男はさっさと歩きだす。女性は足を止め、辺りを見わたしているのがわかった。
暗くなった森でどうすればいいのか迷っているようだ。
そこに、そいつはいた。
いつから居たのかわからない。影を凝縮したような黒。腕は盛りあがり、背は馬車と比べてもなお大きい。影が馬車を見下おろしていた。
気づいていないのか男は構わず歩きつづけている。女性も立ち止まるばかりだった。
アラキナが震えるフェイを抱きしめる。落ち着いたのか幾分やわらぎ、フェイはゆっくりと振り向いた。
アラキナは元気づけるように、大丈夫だと言わんばかりに微笑んでいた。
グリッティがフェイの手を握る。そちらを振り向けば、よほど怖いのか顔は蒼白だった。だがその目に諦めの意思は無い。
フェイが握り返すと少し驚きはにかんだ。
突如響いた音に振り向くと、馬車が粉々になっていた。化け物が腕を振り下ろしたのだ。
子供の泣き声も聞こえなくなっている。
気づいた二人が振り返り、男が叫びながら走り出した。
しかし、化け物が回りこむと、男がこちらに向かい走ってきた。
少し離れたところで男が転ぶ。その足を腕の一閃で切り飛ばしたのだ。
「助けてッ! 誰かぁ! 助けてくれえええ!」
赤い線を引きずりながら逃げる男を、化け物はフェイたちの前で掴みあげた。
次の瞬間には男は握りつぶされ、血溜りの中に肉片が落ちていった。
絶句する。
一部始終を見たフェイたちは一切の反応がでぎずに硬まっていた。
気づかれてはいけないという本能なのか、息をすることも忘れ気配を押し隠す。
女性が後ずさり枝を踏んだ。小さい音だったが化け物が振り向いた。
「ヒッ……!」
化け物が腕を振りぬく。瞬時に血煙となり、フェイたちへ血の雨が降りそそぐ。
化け物は笑っていた。
フェイはあまりの恐怖と吐き気によって意識を手ばなす。