過去の夢 3/6
それは道を横断する不自然な溝で、フェイは不安に思う。
これでは馬車が穴を迂回したとしても、再び車輪がとらわれるだけになるだろう。
気が進まないが、チェスターに報告しに行かなければならない。
フェイは嫌々ながらも報告をする。
「旦那様」
「……なんだ」
不機嫌さを隠そうともしない声だった。そんな威圧にもめげず、何とか先ほどの溝について説明する。
「先ほどの車輪が取られた穴なんですけど」
「それがどうした」
「……穴ではなくて溝のようなのです」
チェスターはさらに不機嫌になっていく。
「おい!」
クリフォードを呼びつけ穴を調べるよう指示を出した。落ち葉に覆われた箇所を調べると顔をしかめる。
近くに落ちていた枝を使い横一線に払う。すると落ち葉に隠れていた溝がはっきりと見えるようになった。
「チェスターの旦那。こりゃ穴じゃない、溝ですぜ。綺麗に道の端まで続いてやがる」
「くそっ、なんなのだこれは! おい、渡し板になるものを取って来い!」
*
「チェスターの旦那、あまり言いたくないが引き返したほうが良くないか。自然にできる溝だとは思えない」
森の中は風が吹かないからか、じっとりと空気が重い。
「ふん、要は日が沈むまでに森を出てしまえばいいのだろう。まだ時間はある。
いくらか手間取らされたが十分間に合うはずだ。こんなところで時間を浪費する暇はない」
クリフォードの提案を跳ね除け、チェスターはこのまま森を突き進むつもりだった。
「お前たちはもう戻っていいぞ」
「はい……」
フェイはすぐに引き返したほうがいいと思った。だがそんなことを言えるはずもなく、元いた馬車へと戻っていく。
二人がフェイのことを心配そうに見ていたところだった。
「フェイ、大丈夫だった?」
「大丈夫だったよ、ちょっと大変なことになりそうですけど」
「一体何がありましたの?」
フェイは先ほどのやり取りを二人に説明する。
「それはちょっと怖いね」
「大丈夫なんですの?」
「わからないです。けれど、わたしたちにはどうしようもないことですから……」
クリフォードがこちらへ向かってきた。
「これから急ぐことになった。夜までに抜けられればいいが……まずは渡し板の上を走らせるから降りてくれ」
フェイが馬車を降りようとするが、それをクリフォードが再び持ちあげて降ろしていた。
馬車は溝を無事に越え、すぐに走りはじめた。
「だいぶ早いが大丈夫か? 舌とか噛んでねぇだろうな」
「大丈夫であゃ!?」
タイミング悪く馬車が跳ね、フェイが舌を噛んだ。かなり痛かったのか、口元を押さえ震えている。
「あー、ほかの二人も気をつけろよ」
アラキナとグリッティがうなずく。フェイは涙目に二人をにらんでいた。
悔しいのか二人をくすぐろうと身を乗り出すが、逆に羽交い絞めにされてしまった。そのうえ口まで塞がれてしまう。
「何やってんだおまえら……」
「ムー、ムーッ!」
フェイが抗議の声をあげる。だが、すぐにそれもなくなってしまう。口を塞がれ身動きができないフェイを、二人が執拗にくすぐり始めたからだ。
羽交い絞めにされ逃げることもできず、身を悶えさせ耐えるが、ろくな抵抗もできず蹂躙されていた。
目尻には涙を滲ませ、表情でやめてほしいと懇願するが手は緩まなかった。
フェイが開放されたのはくすぐられ尽くした後だった。ぐったりと横たわり肩で息をする。
「ぜぇ、ぜぇ……そ、それで……これだけ急げば間に合いますよね……?」
「ああ、そうだな。森自体はそれほど大きくもないから抜けられるだろう」
「クリフォードが言うなら間違いないわね」
「旦那様が間にあうと言ってもまったく信用できませんわ」
四人は少し笑いあう。クリフォードは苦笑していたが。
揺れる馬車の中でフェイがため息をつく。
時折おおきく跳ねることがあるので、喋ると舌を噛む可能性があるためか、言葉を発する者はいなかった。
振動で痛いのか、フェイが身をよじりお尻を押さえていた。
木々の流れる景色が続き、馬の蹄と揺れる音だけが聞こえていた。
いつまで続くのだろうかと思ったとき、馬車が急に止まった。
クリフォードのほうを見ると苦渋の表情で小さく呟いた。
「最悪だ……」
フェイたちは慌ててクリフォードの視線の先へと顔を向ける。
目の前には太い木があった。一本や二本ではない。無数の木々が転がっていた。
それらは道を遮るように折り重なり、とてもではないが馬車が通れる状況ではなかった。
道を外れようにも周囲には多くの木があり、通り抜けられるような隙間はない。
転がる木々を退かしていたらどれほどの時間がかかるだろうか。作業が終わる前に夜が来ることは確実だろう。そもそも、一本一本が決して細くはなく、かなり太いのだから退けられるかすら怪しかった。
引きかえす時間もなく三人は呆然としていた。フェイは特に衝撃が大きかったのか、ほかの二人よりも自失の度合いがひどい。
嘘だ。こんなこと、あるはずがない。
フェイが思うのは否定の言葉だった。
クリフォードの言っていた話は嘘で、これはたまたま木が倒れているだけ。そうであってほしい。
何かの冗談だ。そうクリフォードに聞こうとするが、すごい勢いで駆けていってしまった。