2日前、ドワーフ領の下町にて
ドワーフ自治領の下町には、血の匂いが染みついている。荒くれたドワーフのごろつき共が抗争を繰り広げ。未だ工房に所属できない若いドワーフ達が、誰も文句を言ってくる相手が居ないからと。所かまわず皮をなめしているのだから。
活気と混沌を制御せずに押し込んだ、絶望を知らぬ奴らの天国がこの場所だ。
「ふん、下町に落ちた俺に細工を依頼するとはな。持つべきものは人の縁か」
「魔女が出した図面通りに、革を切れるのがアンタしかいないから仕方なくだ」
ドワーフ自治領の下町には雑な家が立ち並んでいる。基本的にドワーフは職人肌で人間と比べればずっと良い家を建てる。
けれどここにいる連中にそんな余裕はない。己の技を磨く為に寝食を忘れて作業に没頭するか。先の事を考えず思うままに暴れるか。結果として骨組みだけは頑丈な、何度も壊されて応急修理でどうにか形を保つあばら家が立ち並んでいる。
目の前にいる初老のドワーフであるドドウは、どちらかと言えば前者であり。一時は革細工で大親方にまで上り詰めたのだが。元来のめんどくさがりな性格から、革細工以外の仕事をせずに。結局下町に戻った変わり者だ。
「成程、成程…… ワイバーンの皮膜か」
「質は充分、後は職人の技次第って処だな」
俺から手渡された素材を、ずんぐりとした指で触りつつ。ドドウはテーブルの上に広げた魔女が書いた図面に目を通す。ドワーフの中では比較的物静かな男ではあるが、その分本心が分かりにくく交渉はやりにくい。
だからこそ今日は魔女の代理として俺が交渉に当たっているのだ。最も魔女は綺麗好きで、そもそも風呂に入る事も稀な下町のドワーフとは会話することすら難しいのだが。
「幾ら出す?」
「金貨30枚」
ドンと俺は麻袋に入った金貨を机の上に放り投げる。人間相手では不作法だが、ドワーフ相手ならこれ位しないと舐められる。奴らはパワーが無さそうな相手を下に見るのだ。そういう意味でも黒衣の魔女では交渉が難しい。
「安いな」
そしてドワーフ相手の交渉で一番面倒なのは値段設定だ。取りあえず金貨で殴る雑な真似をすれば怒り出す。安く見ればヘソを曲げる。適正な作業に対して適性な値段を、こいつらは自分の腕をちゃんと見る相手でなければ物を作らない。
「だろうよ、足りない分はこいつで支払う」
俺は背負い袋から取り出した物を見てニヤリとドドウが笑う。王都でも有名な酒造蔵の刻印が刻まれた木箱。開けろと無言の圧力を多少焦らしてから、もったいぶって蓋を開け、緩衝材代わりの乾草の中から陶器の酒瓶を取り出した。
「20年物の蒸留酒だ」
「なぁ、毎度思うんだがなんで人間は酒をそれだけ飲まずに我慢できるんだ?」
「ドワーフよりちょっと先の事まで考えてるからさ」
ドワーフは酒好きな印象が強いが、意外とこの手の熟成させた酒を作らない。目の前に酒があれば飲んで空にするのが礼儀だと思っている節がある。
「分かった、やろう。期限は?」
「2週間で行けるか?」
「分かった、やってみせよう」
そしてだからこそこういった熟成した酒は喜ぶ。ついでに酒が飲めるとなると細かな計算をしなくなるのもありがたい。誇りの価格が読みにくいドワーフを相手にする時には用意しておいて損は無いのだ。
「それじゃ、また2週間後に」
「ああ、ちょっと待て」
酒盛りを邪魔しないよう帰ろうとした俺を、意外な事にドドウは呼び止めた。
「どうした? 酒盛りの相手が欲しいのか?」
「なんでこんないい酒を半分に減らさにゃならんのだ。一つ話がある」
いつも通りの偏屈さの中にユーモアを交えながらも、その言葉には一片の真剣さが混じっている。
「最近、荒くれものの連中が騒がしい。この自治領で大きな騒ぎが起こるかもしれん」
「へぇ、そいつは……」
ドワーフ自治領はいつも騒がしく、いつも誰かが戦って死んでいる。そんな街だからこそ、本当に騒ぎになる事件の始まりは。そこに住む人間にしか分からない。
「って事は2~3日中に大きな騒ぎが?」
「ああ、お前は有名で目立つからな巻き込まれない様に注意しろよ」
それは彼なりの忠告だったのだろう。それに俺は踵を返し、手を上げてひらひらと振って――
「悪いが、そいつが楽しそうな冒険だったらこっちから突っ込むさ」
「まったく、お前という奴は」
ドドウが栓抜きを探す音を背中に、俺はあばら家の外に出る。まぁ今回は黒衣の魔女から依頼されてこの街に来たのだが―― 一通りやるべき事はやった。どうせ2週間は余裕がある。ならばちょっとした冒険があるというのなら。
それに飛び込むのも、悪くない。




