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6 遠雷遥か


 三十分ぐらいそうしていただろうか。辺りは曇りはじめたが、今度はにわか雨が心配な天気になってきた。

 そろそろ家に帰りたいな、とぼんやり考えはじめたところで、マキリは前触れもなくシャッキリとした様子で上半身を起き上がらせた。

「ありがとう。助かったよ」

 端的に俺に礼を告げると、少女は首から下げていたデジタルカメラをポチポチと操作しはじめた。履歴でも見ているのだろうか。

「……おい、なにして、うおっ!?」

 写真を撮られた。フラッシュに目が眩む。

「いきなり撮るなよ!」

「失礼。カメラは思い出を残すものだと教わったからね」

 そう言ってまたパシャリ。パー子さんでももうちょっと節操ある捕り方をする。

 戸惑う俺にフォローすることなく、無表情でカメラの小さな画面をポチポチと操作している。

「なにしてるんだ?」

「撮影した雲の画像をクラウドに送ってるんだ」

「……雲は英語でクラウドだから?」

「真面目に聞くが、キミは何を言っているんだ?」

 マキリが小さく首をかしげた瞬間、雷鳴が響き渡った。

「うおっ」

 空気を震わせるぐらいの轟音だ。思わず声が出てしまった。

「むっ」

 マキリは立ち上がると鼻をスンスンと動かし、俺の手首をぎゅっと握った。

「行くぞ!」

 そう言って手を引かれる。

「どこにだよ!」

 振りほどくことはできたが、少女の勢いに気圧され、できなかった。


 手を引かれて着いた先は公園の隅にある東屋(あずまや)だった。柱と屋根で構築された簡素な建家だ。中にはベンチと小さなテーブルがあって、幼い頃ここでカードゲームに興じたことを思い出した。

「おい、なんだよ、急に移動して」

 と文句を言うと激しい雨音が聞こえてきた。いつのまにか蝉時雨が止んでいる。

「雷が光ってから音がするまでの時間でどれぐらいの近さに雷が落ちたか計算できる。一秒=340メートルだ。先ほどの稲光から雷鳴までそれほど時間がなかった。雷が激しいときはすぐに屋根の下に移動しないと危険だ。いくら雷に打たれるのが宝くじに当たるより低確率であろうと」

 外を見るとバケツをひっくり返したような雨が降り注いでいた。水煙が公園を包み込む。それほどの豪雨だった。

 景気が一変し、

「それにゲリラ豪雨だしな」

 辺りが一気に涼しくなる。

 こんなところで雨宿りする羽目になるとは思わなかった。ささくれだったベンチに腰掛けてため息をつく。

「最悪だな……」

「なんで?」

「なんでって、天気悪いし」

「気象予報士は雨でも天気が悪いとはいわない。他方から見れば恵みの雨の場合があるからだ」

 俺は天気予報士ではない。

「なんにせよ雷に打たれたら最悪だろ」

「一概に悪いものではないぞ。例えば雷はキノコの生長を促し収穫量が増加するらしい」

 俺はキノコではない。

「そういやなんで雷っておこるんだ?」

 ふと思い付いた疑問を口にすると、マキリは淡々と機械のように教えてくれた。

「雷が発生するメカニズムは正確には解明されてないが、基本的には静電気と同じとされている」

 雨音にかき消されないように半ば怒鳴るような調子で彼女は続けた。

「雲の中の氷の粒は、擦れたりぶつかり合ってたりしている。内部はいわゆるフリーズドライ状態で乾燥しており、静電気が起こりやすくなっているんだ」

「静電気ってドアノブ握ろうとしたらバチってする程度のもんだろ。雷みたいに威力あるもんになるとは思えないんだけど」

「蓄積されているんだ。雷雲の内部は、ブラスの電荷は上、マイナスの電荷は下と、磁石のように分かれている。そして地表はマイナスの電荷に引かれてプラスの電荷が集まり、限度を越えると、中和するために電気が走る。それが落雷だ。電気が走った空気は瞬時に熱せられて、膨張する。その際の空気の震えが雷鳴」

 びかっと、一瞬光る。

 カメラのフラッシュのようだ。

 次いでドォォン、すごい音が響いた。

 彼女はなにも恐れるものなどないような不敵な笑みを浮かべて、腕を屋根の外に出した。白い肌に大粒の雨が当たっていく。

「雷が発生するのに必要な水蒸気量は膨大だ。それゆえ降れば必ず大雨となる。また氷の粒が地上に到達するまでに溶けなければ、それは雹となる」

 手を戻す。マキリの手のひらに小さな氷の粒があった。親指と人差し指で、ビー玉をつまむように俺に見せてくれた。

「今ぐらいの気温だとギリギリ(ひょう)を観察することができる。真夏になると地上に到達するまえに溶けてしまうからな」

 地面に落ちた氷の粒は非常に小さく注意して見なければ雹と気づくこともないだろう。屋根を叩きつける雨音はたしかに激しい。

「ああ、すまない。一つ訂正しておく。これは(あられ)だ」

「なにがちがうんだ?」

「大きさ。五ミリ未満は(あられ)。ちなみに(みぞれ)とは別物だぞ。(みぞれ)は雪が降ってる途中で溶けて雨混じりになっただけだから」

「は?」

「雪は大気中の水蒸気から生成される氷の結晶のことで、(みぞれ)も広義には雪に含まれる。(ひょう)(あられ)は雲から降る氷の粒のことだ」

「んん?」

「水(液体)が凍った(凝固)ものが氷(個体)。これが(ひょう)(あられ)。降ってる途中で溶けたら雨。

 水蒸気(気体)が昇華したものが雪(個体)、で降ってる途中で溶けたら雨。ちょっと雪が残ってたら(みぞれ)

「……?」

 バカ丁寧に括弧づけで教えてくれたが、うまくイメージすることができなかった。

「きみやっばり頭悪いだろ」

「うるせぇな」


 二人並んでゴウゴウと音をたてて落ちていく雨を眺める。

 傘なんて持ってない。

 こんなところで雨宿りするとは思わなかった。

「アメリカ暮らしが長かったんで、日本語の奥深さが堪らなく好きなんだ」

 マキリは呟くみたいに言うと、ポケットから手帳を取り出した。

「雨一つを表すのに、日本語は沢山の表現がある。例えば今の状況を集中豪雨、ゲリラ豪雨、(にわ)か雨、通り雨、驟雨(しゅうう)、暴雨、雷雨、滝落とし、ああ、霰が混じっているから氷雨(ひさめ)も含まれるかな。ともかく情緒豊かで素晴らしい」

「そうか? めんどくさいだけじゃないか。強い雨、弱い雨、だけでいいと思うけど」

「やれやれ表現力が悲しくなるくらい貧相だな。雨が降るとワクワクしないか? 新しい傘をさそう、レインコートを着よう、雨音に耳を傾けよう、そういう思いが雨を表す言葉に含まれているんだ」

「まあ、わからなくはないか」

 雨は弱まることなく地面を叩き続けている。公園の砂利が黒く染まっていく。水溜まりが幾つもできている。

「そういえば、マキリってどういう意味なんだ?」

「私の名前か? アイヌ民族の使う短刀のことだ。ナイフのように尖った思想を持って欲しいと北海道出身の父がつけた名前だ」

「ふぅん。いい名前だな」

「そうか?」

 少女は照れ臭そうにはにかんだ。


 雨がやみ、濡れた草木が香り立つ。夏の音がゆっくり戻ってきた。

 少し湿った空気の中、空を見上げると、雲の切れ間に光がさしていた、

「おお、天使(エンジェル)梯子(ラダー)だ」

「綺麗だな」

 素直にそう思った。スポットライトのように太陽光が降り注いでいる。

「呼び方はたくさんあるが、全てひっくるめと薄明光線だ。大気がエアルゾル状態のときに起こる、チンダル現象の一つで、光がミー散乱を起こし……うんたらかんたら」

 雑学を聞く気分ではないので脳内でマキリの説明をシャットアウトした。

「薄明光線には沢山の呼び方がある。旧約聖書からヤコブの梯子、画家のレンブラントが好んで描いたことからレンブラント光線。宮沢賢治は光のパイプオルガンなんて表現したらしい」

 少女は嬉しそうに続けた。

「最後に見るならこういう光景がいいな」


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