表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/16

4 月蝕の夜に


 岩野に聞いたが、猪俣マキリは特別生徒として、ほぼほぼ自由に行動させてもらっているらしい。学校に在籍しているだけでハクがつくと、余りある問題行動は看過されているのだ。ズルい。

「あれほど忠告したのに絡まれるだなんて運がないやつだな」

 と岩野に茶化されたが、こっちから明確に拒否の意思表示すれば問題ないだろう。

 それから一週間俺は猪俣マキリを避けるように行動した。

 教室に突然来るという変態行動もそれからなく、わりと平穏無事に過ごせていたが、マキリと初めて会ってから一週間後、ついに異変が訪れた。

 まちぶせしていたらしい。

 帰宅の途につこうと教室を出た俺をマキリは呼び止めた。

「お出迎えを忘れていたのはまあ許してやる。部活に来なかったのも目をつぶってやろう。だが、これだけは見過ごせない」

「なにが?」

「皆既月食だ」

「月食?」

「ニュースを見ろ。0時に私を迎えに来るんだ」

「……0時って、……夜中の?」

「分かりやすいようにゼロで伝えたのに聞き返すなんて理解力が乏しいな。いや、失礼、今が15時だろ? 16、17、18、19……」

 そういって彼女は左手につけた男物のデカイ腕時計の文字盤を一個一個指差して説明し始めた。理解力は高いと自負しているので、さすがに遮った。

「冗談だろ? 夜中に出歩くなんてどうかしてるぜ」

「おばかちん。夜じゃないと月食は見れないだろ。二年ぶりの月食だぞ。見逃せるか」

 わりとあるような気がするが、気のせいなのだろうか。

「ともかく0時だ。ん」

 そう言うと彼女は小指を付き出してきた。

「……」

「……ん!」

「……」

 ちょっとした興味から俺の小指を彼女の小指と絡ませると、「ゆびきりげんまん、今日0時にマキリんチにくーる、ゆびきったー」

 と調子よく歌って、彼女はにっこりと笑い、駆けていった。言い逃げだ。

 部活はどうしたのだろうと思ったが、今日からテスト一週間前で部活動は禁止だった。そこは守るのか。


 シカトしても良かったし、むしろすべきだったのだろうが、こんな遅い夜中に女の子一人出歩いていると思うとどうにも心配してしまう。

 仕方なし家族にバレないよう夜中こっそり外に出た。

 ひんやりとした良い夜だが、天気は曇りだった。月が朧に陰っている。月食を楽しめ確率は低そうだった。

 梅雨真っ只中の六月の下旬だ。夏にはまだ早い。

 湿った夜風を肌で感じながら自転車をこいで、猪俣マキリのアパートに到着した。

 スマホの画面を確認するとちょうど0時だった。

 先日マキリが入っていったアパートの一室(101号室だったので覚えやすかった)を軽くノック、

「おそい」

 すると同時にドアが大きく開け放たれた。おでこをぶつけてしまった。

「23秒の遅刻だ。そう言っているあいだに5秒経過した。いくぞ」

 すっかり外出の準備は整っているようだった。薄手のワンピースを着ている。

「行くってどこへ」

「周囲に灯りがなく、周辺地域よりも小高い場所」

「だからどこだよ、それは」

「学校の屋上だ。津波を警戒して高台に建てられているし、校庭が余計な灯りをシャットアウトしてくれる」

「……正気か?」

 尋ねるより先に俺の自転車の前カゴに鞄を置いていた。


「それはそうとキミはちゃんと月食について理解しているか?」

 どこか上機嫌に俺の腰を掴んだ少女が歌を歌うように訊いてきた。

 二人乗りなんて一生しないと思っていたのに、なんだってこんなことしないといけないんだ。

「地球が月と太陽の間に入って、地球の影が月に投影される現象だろう?」

 来る前に電子辞書で調べておいてよかった。

「ほぉー」

 わざとらしく息をつかれた。

「ちゃんと辞書で調べて来たんだな。偉いぞ」

 見透かされた。

「ではクイズだ。ちゃらん! 日食では月食どちら多いでしょう」

 突然剽軽な声で問題を出された。これでもテレビニュースはちゃんと見ている学生なのだ。

「日食」

「ハズレ」

「ばかな!」

「正解は日食のほうが少ないでした。月食は月が見えているところであればどこでも見られるのに対し、日食は一部の地域でしか見られないことが多いからそういうイメージがつきやすいんだ」

 こいつ、理科の先生かよ。


 信号が赤だったので、停車し、変わるのを待っていたら今更ながら夜の校舎に侵入することに対しての恐怖感がふつふつと沸いてきた。

「おい、やっぱやめないか?」

 怖じ気づいた提案が夜風に流されていく。

「なにをやめるんだ? 人間か?」

「ちげーよ。学校に行くことだよ」

「学校をやめるということか? とめないぞ。若さは衝動だからな」

「なんで文面通りでしか言葉を受け止められないんだ。これから夜の学校に不法侵入をすることをだよ」

「校則に夜の学校に入ってはいけません、とは記載されていないぞ。下校のチャイムがなったら速やかに帰宅するように、とは書いてあるが」

「いや、法律的にアウトだろ」

「……たしかに」

 信号が青に変わった。原付バイクがエンジンを轟かせて走っていく。

「まあでも関係ない」

「あのさぁ、バレたら停学だろ」

「バレなきゃいい。早く進め」

 荷台で騒がれる。

 最悪の未来を想定したとき、俺の人生はここが分岐点かもしれないと、足がすくんだ。

「悪いけど、一人でいってくれ。俺は平穏無事に人生を過ごしたいんだ」

「……」

 自転車が急に軽くなった。

 なにか反論が来ると思っていたから、予想外の反応に驚いてしまった。

「キミが遅いからだ」

 数歩前に進んで、少女は振り向いた。彼女の長い髪か揺れている。

「始まってしまった」


 空を見上げる。

 満月だったはずだ。雲の影に隠れて見にくいが赤色に染まった月は少しだけ欠けているように見えた。

「皆既月食か」

 皆既月食は全体が、部分月食は一部が地球の影で隠れる現象のことをいう。

 月を見ることで地球が丸いとわかるのだ。

 嬉しそうに彼女は空を見上げている。

「ちなみに2018年1月31日に起こった月食はスーパーブルーブラッドムーンだった」

 サイヤ人の呼称みたいだな。

「まあ言い方の問題だが、一ヶ月に二回満月があることをブルームーンと呼ぶんだ。月が青いという訳ではないぞ。それくらい珍しい現象ということだ。

 ブラッドムーンは月食によって光が遮られる関係で、この間説明した通り赤色が目立ち、結果として赤い色の月になることをいう。

 スーパームーンは楕円軌道において、月と地球が接近し、月が最大に見えることをいう。天文学ではなく占星術の呼び名だがな。

 ちなみにこの三つが重なることは35年ぶりだったそうだ。キミはその時なにをしていた?」

 そんなの覚えているわけがない。だって平坦な人生を歩んできた俺の一日にドラマなんてないのだから。

「私は覚えている」

 少女の目は月に囚われている。おとぎ話をするかのように続けた。

「父が死んだ日だ」

「……」

「父は私に時計をくれた。母は私に鞄をくれた。彼らは妄信的に神の存在を信じていて、私はそれが嫌いだった」

 マキリは空を見上げたままだ。表情に変化はない。

「大丈夫か?」

「なにが?」

「いや、急に……」

 突然された感傷的な話に、俺はついていけなかった。

「間抜け面してどうしたんだ。ちゃんと見ないともったいないぞ。時間は有限なのだから」

「いや、父親が死んだって……」

「ん?」

 きょとんとした表情をされる。どうやら彼女にとって思い出に浸るというよりも一つの事実を語ったに過ぎないらしい。自分のことなのに随分とドライなやつだ。

「ああ」

 言い淀む俺を見て少女は察したように、頷いた。

「すまない。私にとってどうでもいいんだ、そんなことは。重要なのは、空だ」

「……前々から聞きたかったけど、なんで空部なんて部活を立ち上げたんだ?」

「面白いからだ」

 にこりと彼女は微笑んだ。

「空は天気によって色を形を雲を星を変えていく。見ていて飽きることはない」

 すこし、わかる気がした。


 皆既月食は10分ほどで終わった。赤に染まった月はとてもきれいだった。解散しようと彼女を自転車の荷台に乗せて家まで送り届ける。

 静かな夜だった。俺の漕ぐ自転車のチェーンがきしむ音だけが空しく響く。そんなんだから、少しだけ感傷的な気分になった。

「いまは母親と二人暮らししてるのか? こんな遅くに出て心配するんじゃないか?」

「いや、私は一人で暮らしている。母はアメリカで姉と一緒だ」

 未成年の彼女が独り暮らしするには相応の理由があるはずだ。あまり踏み込むべき問題でないと俺は判断し、無理やり話題を変えることにした。

「姉貴がいるのか。どうだ、姉妹は仲いいのか?」

「そこそこ良好だ。そっちは」

「俺は……」

 言いかけて、戸惑った。俺には妹と兄がいる。こいつには言っていないはずだ。

「なんで俺に兄弟がいるって知ってんの?」

「勘だ」

「……そ、そうか」

「どうした? 反応が鈍いな」

「いや、なんでも無いよ。兄弟仲は……普通かな」

 彼女は元々この街の住人じゃない。知っているはずないのに、少しだけドキリとした。


 俺にはデキのいい兄貴が一人いた。昔からなんでも器用にこなす人で頭も良く、神童と周りの大人は囃し立てた。

 両親も兄貴の将来に期待をし、一つ下の妹も妄信的に兄貴を溺愛した。

 幼い頃は俺も兄貴を慕い尊敬したが、物心ついたときにはコンプレックスになっていた。

 なにをやっても兄貴には敵わない。

 俺がどんなに努力をしても、兄貴の成果の半分にも届きはしない。

 次男だからまだよかった。もし俺が長男だったら耐えられなかっただろう。親が俺になにかを求めることはほぼほぼ無かった。

 だけど、三年前に状況は一変した。

 両親の、それから先生や周囲の大人の期待を一身に背負っていた兄貴が失踪したのだ。

 町中パニックになった。それほどの存在感を持っていたし、周りの人から慕われていたのだ。捜索願いが出された。進学校に通っていたので、ストレスで家出したと兄貴を知れない警察は決めつけて操作したが、そんな軟弱な精神を持っている人ではないので、周囲の人々は事件や事故に巻き込まれたのではないかと心配した。

 兄貴が居なくなって、家族はそれはもう疲弊した。

 兄を神のように崇めていた妹は毎日のように泣きはらし、両親の仲も悪くなった。

 そんな悲惨な状況が一年ほど続いたある日、兄貴はひょっこり戻ってきた。

 なんでも日本中を旅していたらしい。責任感の強い兄貴がなにもかも放り投げてブラブラと旅をしたのだ。

 学校の特別措置で、兄貴は依然と同じ学校に復学したが、授業中突然奇声をあげたりと奇行が目立ち、すぐに停学になって、気付いたら退学していた。

 兄貴に理由を聞くと、旅に出ていた一年間で多くのことを学び画一的な教育に嫌気がさしたらしい。

 ヒッピーみたいになった兄貴に両親は失望し、勘当した。

 再び兄が居なくなり、彼が背負っていた期待は全て俺に注がれた。

 いままで居ないものとして扱われていたはずの次男の教育に母は力を込め始めた。

 俺も必死にそれに応えようと努力しているが、たまに兄貴が逃げ出したワケを理解する。

 俺は兄貴が羨ましかった。なんでもできるのに自由に生きるあの人が。

 猪俣マキリを見ていると沢村マクラを思い出す。

 なんでも天才的にこなすあの人を。


 夜風を裂いて、アパートにつく。

「じゃあな」とその場をあとにしようとしたら「ちょっと待っとけ」と呼び止められた。

 自宅のドアを開け、数秒、手に缶を持って少女は再び現れた。

「なんだこれ」

「知らないのか? マックスコーヒーだ。茨城県民と千葉県民はこの飲み物がどちらのソウルドリンクかで未だに争っているらしい」

 黄色い缶を受け取りプルタブを引き上げる。砂糖とミルクの匂いが香った。

 口をつける前に彼女は「おやすみ」と言って帰っていった。俺の味の感想に興味はないらしい。いらっとした。

 マックスコーヒーは脳天が痺れるほど甘かった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ