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2 夕焼けの赤


 ひとまず図書室に戻り、岩野に山椒魚を渡して、貸し出し手続きを取ってもらった。

 これで落ち着いて読書することができる。

 エントランスに移動し、靴を履き替えて、玄関扉を開けたところで、猪俣マキリが仁王立ちしていた。

「凡人は時間の有限性に気付いていないみたいだ。それじゃあ、さっそく赤方偏移の実証を始めよう」

 夕日を指を指す。空は燃えるように真っ赤に染まっている。

「夕焼けが赤いのは赤色の波長の光が拡散されにくいからなのは周知の事実だね」

「はい?」

「……空部として知っておいてほしいところだけど、はじめだからまだいいだろう。通常ならお金をとる講義だけど、部員のキミは特別だ。寛容な部長に感謝してくれ」

「何を偉そうに……」

「真上に太陽があるときは、大気を通る光はすべての色が拡散し、なかでも青色が目立つんだ。だけど、日が傾き、西日になると、大気の層を長く通る光はより遠くまで届く赤色が目立つようになる。これが夕日が赤く見えるメカニズムだ」

「……?」

「わかった。キミはバカだな」

「怒るぞ?」

「まあいい。頭空っぽのほうが夢詰め込めると偉い人が言っていた」

 ドラゴンボールじゃねぇか。

「光、可視光線は大きく分けると七色ある。光には波長と呼ばれる波が有り、波長が長ければ長いほど、光は遠くに届くんだ。我々が見れる光は赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の順番になっている。通常の空が青く見えるのはこの色のうち青色の光が散乱するからだ。空気の粒子で光が拡散することをレイリー拡散という。ではなぜ夕日は赤く見えるか」

 夕焼けを指差して彼女は続けた。

「ポイントは角度だ。昼間は真上にあった太陽も夕方になると西に傾く。太陽と地球の距離が遠くなるんだ。そうなると波長が長い赤色が目立つようになる。つまり大気圏がいまよりもっと高ければ昼間でも常に赤い空だったというわけだ」

「なるほどな」

 悔しいが、たしかに勉強になった。

「よし。本日の空部の活動はこれで以上だ。これから忙しくなるから、初日はゆっくり体を休めるように。人手が集まって計画をようやく進めることができそうだ」

「ああ、はい」

「それではまた明日」

 すんなり終わったので呆気にとられる。正直言ってしまうと彼女の話は少し面白かった。放課後の五分間くらいなら付き合ってあげてもいいとさえ思ったほどだ。

 まあ、なんにせよ、解放されたのだから、今日は素直に帰宅しよう。

 駐輪場へ向かう。歩き始めた俺の肩を猪俣マキリが掴んだ。

「どこに行く?」

「駐輪場。チャリ停めてあるから」

「そうか」

 なんかついてきた。

「猪俣さんも自転車なの?」

「マキリでいい。私は人間だ」

「俺だって人間だ。マキリも自転車通学なのか?」

「いや違うが」

「じゃあ、なんでついてくるんだよ」

「部長である私をキチンと家まで送り届けろ。今日がはじめてなのに、住所がわかるのか? ちゃんと確認してから出発しなさい」

「はあ?」

「住所は星野台6321のハイツ星野台」

「はあ?」

「ちゃんと荷台に座布団は敷いてあるか? 私を乗せるんだから配慮しろよ」

「はあ?」

「それにしても、自転車を移動手段として選ぶとは、なかなか賢い選択じゃないか。消費エネルギーに対して移動距離の効率性が高く有害な排出ガスが発生しない。素晴らしい。発展途上国で重宝されるわけだ」

 いまんとこ「はあ?」としか言ってないのに、彼女のなかで会話が成立しているのが恐怖だ。

「あのさ、さっきからなんの話してんの?」

「いや失敬。けしてキミの貧しい懐具合を茶化しているわけじゃないよ。送り迎えの運転手もおらず、人力で自転車での登下校を余儀なくされている苦学生を労っているだけさ」

「……」

「皮肉さ」

 駐輪場についたので、鞄からキーを取り出して、チェーンを外し、スタンドを下ろして、自転車を後ろに引き出す。

 猪俣マキリは物珍しそうにそれをじっと見ていた。

「じゃあ、さようなら」

 サドルに股がり、ペダルに足をかける。

 そのまま出発しようとしたら、荷台を少女に掴まれた。バランスを崩して自転車が横倒しになる。辛うじて転けることはなかったが、非常に危なかった。

「なにすんだ!」

 たまらずに怒鳴り付けると、きょとんとした表情で、少女はぷっくりとした唇を開いた。

「おバカちん。まだ私が乗っていないぞ」

 俺の制止を振り切って少女は荷台に腰を下ろした。


 妙なことになった。

 一高校生として女子との二人乗りは憧れていたけど、こんな予想外な展開は望んでいない。なにより誰かに見られたりしたら、変な噂が一瞬で広がってしまうだろう。

 不本意にもほどがある。

「キミ、ガタガタ揺れているぞ。タイヤに空気をいれた方がいい」

「文句言うなら降りろよ」

 息を切らしながら言う。

「? 降りたらどうやって帰るんだ」

「歩いて帰れっていってんだよ」

「カロリーは脳を動かすこと以外で使用しないと決めているんだ。タクシーを手配してくれるなら降りよう」

 こいつが男だったらぶん殴ってるところだ。

 少女の案内に従ってペダルを漕ぐ。重くて重くて仕方なかった。上り坂なんて地獄だ。帰宅部の体力がゴリゴリ削られていく。直帰したかったが、猪俣マキリの家は偶然にも帰り道の途中にあったのだ。ついでと言えばついでになるのが憎まれる。

「ご苦労様」

 少女のナビ通り進み、ついたのは小さなアパートだった。

 去年の年末にできたばかりで外壁は白一色の清潔感溢れるアパートだった。そこの一階のドアを開け、

「少し待っててくれ」

 と俺を呼び止めてから、数秒で再び出てきた彼女の手には赤い缶が握られていた。

「さあ、飲み物を上げよう。労いさ」

「なんだこれ」

「ガラナコーラ」

「……なにそれ」

「知らないのか? 世界で一番上手い炭酸飲料だぞ。北海道民の血液はガラナコーラでできてるんだ」

「……とりあえずいただきます」

「それではまた明日」

 といって彼女はドアを閉めた。俺の味の感想には興味がないらしい。いらっとした。

 ガラナコーラは少し変わった味だが、まあ、旨かった。


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