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16 太陽が涙を流したあとで


 信号をもどかしく待ちながら、どのくらい前にマキリと鳥居千景が別れたのか、聞き忘れたことを、気がついた。

 数分前ならまだしも、もう、無駄なんじゃないかとイヤな考えが脳裏を掠めた。

 どんなに急いでも無意味なんじゃないかと。

 信号が青に変わった。考えるよりも早く俺はペダルを漕いでいた。

 無駄でも無意味でも構わない。ただ、自転車を前に進ませるだけだ。

 会えなければそれでいい。

 会えたら、マキリに雨上がりの空の気持ちよさを語ってもらおう。


 長い坂道を必死こいて登る。ギアを軽くしても、空回りするだけで上手く上ることができない。いまは二人乗りじゃないのになかなか前に進まないのでイライラした。

 坂をちょうど上りきったところに、キャリーバックを引きずる猪俣マキリを見つけた。会えたことにホッと一息つきながら、自転車を急停止し、駆け寄る。

 マキリは自動販売機に小銭をいれているところだった。

「お、おい」

 荒れる呼吸の二酸化炭素と一緒に言葉を投げ掛けると、不審者を見るような目で俺を流し見た。

「今さらなんの用だ。話しかけないでくれ」

 マキリは白く細い指で不機嫌そうに自販機のボタンを押した。不味そうなメロンソーダだった。

「おまっ、はぁ」

 急な運動で心臓がバクバクと言葉が紡げない。

「むっ」

 当たりつき自販機だったらしい。ピピピピという小気味いい電子音とともに数字が揃う。

「むむむむ!!!」

 当たったらしい。自販機のすべてのボタンが点灯し、もう一本無料サービスの権限をマキリは手にいれた。

「むっ!」

 カウントダウンに急かされるようにマキリは慌ててボタンを押し、取り出し口におしるこが落ちてくる。

「……」

 メロンソーダとおしるこを手に持って、マキリはちらりと俺を見た。

「飲む?」

「いや……」

 運動あがりにおしるこはキツい。


 ベンチに腰掛け、無理矢理渡されたおしるこのプルタブを引き上げる。マキリはペットボトルのキャップを開けた。炭酸の弾ける音がする。

「見つけたんだ。隕石を」

「なに?」

「俺の兄貴がさ。持ってた。昔、見つけたんだって」

「……」

 じっとりとした湿り気のある目付きで睨まれる。

「おバカちん。そんな世迷い言を聞かせるために呼び止めたのか? 私を引き留めた罪は重いぞ」

「……ともかく、見てくれ」

 前籠にいれておいた隕石を取り出し、包装を解いてから、マキリに手渡す。

「これは……」

 小さな両手で掬うように受け取ったマキリが小さく呟く。見た目に反してかなり重たい石だ。マキリから見せてもらった隕石と形が似ていたし、可能性はかなり高……、

「磁鉄鉱だな」

「……隕石?」

「いや、地球元来の鉱物だ」

「え、磁石がついたって言ってたし」

「鉄を帯びた鉱石だからな」

「ほ、ほら、ここのとこ黒くなってるじゃん。摩擦熱で焦げたあとだろ?」

「隕石は全面が黒く焦げるんだ。一面だけ黒いというのはほぼほぼあり得ない」

「……」

「時間泥棒め」

「悪りぃ」

 マキリには悪いと思ったが、兄貴も完璧超人じゃないと知れて、俺はなぜだが噴き出してしまった。

 急に笑った俺を訝しむようにマキリは見た。

「人の大切な時間を奪っておいてなにをへらへらしてるんだ、キミ」

「いや、兄貴も失敗するんだなって思って」

「この磁鉄鋼はキミの兄上が見つけたものか。まあ、悪いものではないし、大切になすってください」

 鑑定団みたいに石を返される。

「人にも売ったって言ってたし、良いものとは言い切れないと思うけどな」

 プチプチにくるみ直してから自転車の籠にしまう。

「……売った?」

「ああ、なんか二つあって一個売ったんだって」

「……三千円で?」

「値段は……いくらか忘れたけど、なんで?」

「たぶん、買ったのは私の父だ」

「……」

「生前言っていた。川原で磁鉄鋼と隕石を持った小学生がいたから「小さい方を!」って無理矢理売ってもらったって」

「……」

「安上がりで隕石ゲットできたって」

「お前のとーちゃん……」

「わりとくずなんだ」

 苦笑いを浮かべてマキリは少し項垂れた。

「でも、これでこの地区に隕石が落下したのは本当だと証明された」

 いつもの調子の声音だったが、表情が作れていないのか、プレゼントを前にした子供のような可愛らしい笑顔で、

「ありがとう」

 とお礼を述べた。


 雨がまた降り始めた。空は晴れているのに細かな雨粒がポツポツと地面に落ちていく。

 上を見上げると、明るい太陽が俺たち照らしていた。

「虹が出るかもしれないな」

 マキリは立ち上がると、高台を見下ろすように柵に寄りかかった。

「なんで?」

「お天気雨だ。前言ったように空気中の水滴がプリズムの役割を果たして虹が出来るから、お天気雨の時は虹が出やすいんだ」

「晴れているのに雨が降るなんて不思議だよな」

「なにも不思議なことはない。地面に雨が落下するまでの間に雨雲が風で流されたか消し飛んだかしただけだ。あ、ほら!」

 明るい声を上げて、少女は東の空を指差した。七色の虹が浮かんでいた。

「綺麗だな」

 素直にそう思った。

 澄んだ町並みにかかる虹は絵になるような美しさだった。

「お天気雨は「狐の嫁入り」とも言われている。コンコンと降るからな。似たような伝承は海外にもあり、海外だとジャッカルや狼だったりするそうだぞ」

「おかしな伝承だな」

 雨はだんだんと弱くなり肌に当たる雨粒も霧状のものに変わってきた。

「天気雨は涙にも例えられる。天が泣いているんだ。だから涙雨とも呼ばれる」

 ふと、彼女の頬に水滴が落ち、頬をつたって顎から落ちた。

「……」

 もうすぐこの雨は止む。


「それじゃあ、私はそろそろ行くよ。協定書にサインをしてきたか?」

 俺は懐から「友人協定書」を取り出し、キャリーバックを握った彼女に差し出した。

「サインがされてないじゃないか」

 不機嫌そうに睨まれる。

「確認を要することじゃないだろ。友人ってのは」

「ふん。ならばキミは私の知人だ。書面がなければ信用なんて出来ないからな」

「俺はお前を友達だと思ってる。それでいいだろ」

「書面がなければいつ裏切られるかもわからん。世の中恐ろしいやつらばかりだ。寝首をかかれるかわからない相手と夢を語らうなんてとてもできない」

「友人ってのはさ、裏切られても構わない、と思った相手のことを言うんだ」

「……」

 目を丸くしてマキリは動きを静止した。それから数秒して、後頭部をかき、照れたように微笑んだ。

「違いないな」

「だからさ。お前が遠くに行くのは寂しい。できれば行ってほしくないよ」

「……」

 マキリは困ったように俯いた。

「友人の頼みは聞き届けたいところだが……」

「そうか。なら仕方無いな。達者でな」

「もう少し粘ってほしい……」

「無理はいわないタチなんだ」

 マキリは噴き出して、空を見上げた。

「今日はこんなに晴れてるから散歩にでも行こうか」

「そうだな。飛行機の時間は大丈夫か?」

「ああ、まだまだ余裕がある。それよりキミ、パスポートは持ってるのかい?」

「突然なんの話だ?」

「カナダにオーロラを見に行くぞ」

「それは散歩じゃなくて旅行だよ」

 相も変わらずぶっ飛んだ奴だ。

 こんな軽口が聞けなくなるのは少し寂しいな。

「本当は、行ってほしくないよ」

 聞こえないように呟いたつもりだったのに、ばっちり少女の耳に届いてしまったらしい。

「すぐ戻ってくるさ。なすべきことができたから」

 にたり、と白い歯を見せて少女は笑った。

「なすべきこと?」

「友達に空をもっと愛してもらう。刮目せよ」

 くるりとこちらを向いて晴れやかに少女は続けた。

「こんな素晴らしい世界に生きているんだ」



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