15 今よりずっと遠いところへ
兄貴とわかれて直ぐに俺は立ち上がり、庭の隅の蔵に急いだ。
埃っぽくカビ臭く薄暗い。電気をつけると裸電球が蔵の中を明るく照らした。
古い家だけあって、得たいの知れないものが数多くある。辺りを見渡し、兄貴の言っていたタンスを見つけて、片っ端から引いてみた。
湿気で歪んだ木製のタンスは、ギシギシとイヤな音をたてたが、一番上の段に探し求めた物があった。
おそらくこれで間違いないだろう。
ビニールのプチプチにくるまれた鉛色の石を持って俺は倉を出た。
庭は雨でいくつも水溜まりができ、ぬかるんでいた。親のいる本宅の方を眺め、俺は小さくため息をつく。
「後悔の無いように……」
つまるところ、そこなのだ。
兄貴が言うなれば、間違いない。
俺はそのまま駐輪場にいき、自分の自転車にまたがった。
雨上がりの並木道を走る。葉から滴る雨粒にシャツが濡れた。車輪が水溜まりを割いて、大きく広がる。
自転車が好きだった。
ペダルを漕ぐと世界が後ろに流れて、まだ見ぬ景色を眺めることが出来るから。だけど十何年も同じ町で暮らしているとすべてが見知った記憶に変わり、新しいワクワクに出会うことも無くなった。
だからマキリとの二人乗りは久々な味わう初体験だったのだ。
アイツといると普段の景色がなんだか特別に変わった。
一緒にいると楽しかった。
ただそれだけだ。
男女間の愛とか友情などではなく、単純に居心地の良さが俺たちの間にはあったのだ。
ただそれだけ。
鼻の頭に雨粒が当たった。
雨は完全に止んだわけではないらしい。
水分の多い空気は大きく吸い込むと気持ちよかった。
河川敷を走る。
背の高い夏草が川風に揺れている。
雨上がりの水面は茶色に濁って見えた。
川を横目に整備された道を真っ直ぐ走る。
犬の散歩やランニングをする大学生風の男の人などと多くすれ違う。
夏の気温を冷ますような曇り空の下、高架橋の近くにうずくまる鳥居千景を見つけた。
自転車を止めて、歩いて近づく。
土手の石段に座る少女は地面が濡れていることに気づいていないようだった。
声をかける前に気配で気付いたらしい、俺の方を見ると、涙をためた瞳で困ったように呟いた。
「行っちゃった……」
鴨が水飛沫を上げて、空へ飛んでいった。
「もう、居ないのか。マキリは」
息も絶え絶えに聞きたいことだけを訊ねる。
「……結局、隕石は見つからなかったから」
「いま、どこにいるんだ」
「帰ったわ。家に。直ぐに成田空港に行くって」
成田は国際線だ。
「見つけたんだ」
「え」
「隕石を見つけた」
鳥居千景は目を見開いて、怒鳴るように叫んだ。
「追いかけてッ!」
自転車を漕ぎながら考える。
猪俣マキリがこの街に来たのは隕石を見つけるためだ。結局、見つからなかったからあきらめて彼女は帰ることになった。でも、だけど、仮に見つけたとして、彼女はそのあとどうするつもりなのだろう。
見つかっても、見つからなくても、結局、少女は海外に行くつもりなのだろう。
今よりずっと遠い場所へ。




