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14 ありがとう、彼によろしく


 玄関先で靴を履き、傘立てからコウモリ傘の柄を掴む。この雨はもうすぐ止む。そういう予報が出ているから、わざわざ空を見て天気に思いを馳せる必要はない。

 それでもマキリが空を見上げるのは、なんでだろうか。

 ドアノブを捻り、もたれ掛かるように扉を開けたときだった。


「どこにいこうとしてるの?」

 リビングからピシャリと冷たい一言が聞こえてきた。びくりと体が震えてしまう。

「遊びに行くつもり?」

 廊下に顔を出した母親が、俺をねめつける。

「ちょっと散歩に」

「嘘おっしゃい。あんた今がどんな時期かわかってんの?」

「……」

「期待してるって言ったよね?」

 出ていった兄貴の代わりに、俺は頑張らなければならない。

 放蕩息子は二人も要らないのだ。

 半笑いで聞いてきたので、

「まさか。そんなつもりないよ」

 とドアを閉める。

 前はこんな教育ママみたいな人ではなかった。世間体を気にする人ではあったが、決定的なのが兄貴の家出だった。

 兄貴は隣町で独り暮らししている。正月挨拶に来てから一応勘当は解除されているが、一度割れた器が戻ることは無いように、家族関係は完全にひび割れてしまっていた。

 マキリから貰った協定書を手にし、部屋に戻る。

 これからも俺は兄貴のようにはなれない。

 きっと母親の指示に従って、伝統ある沢村家の血筋を誇る生き方を強要されるのだろう。

 自室に戻って扇風機の首振り機能をオンにする。人工的な風が俺の前髪を巻き上げた。

 構わない。波風は望んでいない。


 雨が上がった。

 網戸から雨上がりの爽やかな風が室内に吹き込んでいる。

 勉強机から顔をあげ、窓の外を見ると薄命光線が町に降り注いでいた。

 美しい景色だった。

 猪俣マキリも見ているだろうか。

「ススグ」

 名前を呼ばれた。振り向いても俺以外誰もいない。気のせいかと思って、再び机に広げた数学の参考書に目線を落とすと、

「無視すんなって」

 と追撃をうけた。そんなまさかと思って窓を開けると精悍な顔立ちをした青年が立っていた。兄貴だった。


 一階の庇に立って、兄貴は外側から俺の部屋の窓を開けた。

 神出鬼没にもほどがある。どうやって上がったのだろうか、となにも言えずに混乱する俺の心情を逆撫でするかの如く平坦な語調で口を開いた。

「いまあの人いる?」

「か、母さんなら一階の居間に……って、なんで窓の外から来てんだよ!」

「静かにしろって。バレたらめんどいだろ」

 兄貴と母さんとの間には確執がある。玄関から行くと追い返される可能性を考えてクッションに俺を挟んだのだろう。

 新緑の香りが吹き込んで、澄んだ空気が輝いて見えた。

「悪いんだけど俺の部屋からパスポート取ってきてくんない?」

「全然話が見えないんだけど……」

「今度海外行こうと思ってんだけど、パスポートを実家に忘れたこと思い出してさ。俺の部屋の机の一番上の引き出しに入ってるから、取ってきてよ」

「構わないけど……てか、そんくらいならメールとかしてよ」

「携帯止められちゃって……」

 苦笑いを浮かべる。あの沢村マクラが貧乏暮らししていることが想像できなかった。


 兄貴の部屋は現在は物置として利用されているが、元のレイアウトは崩されていないので、言われた通りの場所にパスポートはあった。

 五分もしないうちに戻って来ると、サッシに腰かけて、机の上に放置されていたマキリとの協定書をニヤニヤしながら眺めていた。

「なにこれ」

「……友達のイタズラだよ」

 恥ずかしく思いながらパスポートを差し出すと「サンキュー」とお礼を言って受け取った。

「面白い友達だな」

「頭おかしいだけだろ」

「ところで隕石を見つけるまでってどういう意味だ?」

「ああ、なんかこの辺りに落ちた隕石を探してるんだと。そんなもんあるはずないのに」

「あるぞ」

「……はい?」

「河川敷に落ちたやつだろ?」

 あっけらかんと兄貴は言って、受け取ったばかりのパスポートをペラリとめくった。

「うわっ、やっぱ5年間だったか……期限切れか……、作り直しだな……」

「知ってんの!?」

 落胆した様子の兄貴に声をかける。

「知ってるもなにも小学校の時の俺の自由研究だわ」

「え、まじで? どこに落下したかとかわかった?」

「上流の方だったかな。場所はあんま覚えてないけど、あんとき、すげぇ探し回ったからもうないと思うぞ」

「まあ、そりゃそうだよな。そう簡単に見つかるわけないし……」

「見つけたぞ」

「は?」

「隕石だろ? 河川敷で見つけて持って帰ったわ」

「嘘だろ!? いまどこにあんだよ!」

 きょとんとした様子で兄貴は言った。

「二つ見つけてさ。一個は知らんおっさんに売ったけど、もう一個は蔵にしまったよ」

「ど、どういう……」

「だから隕石見つけて川原で喜んでたら、たまたま通りがかったおっさんが売ってくれ、って言うから売ったんだよ、三千円で」

「え、ほんとに隕石なの?」

「たぶんな。磁石くっついたし」

 兄貴は俺の方を見ようともせず、思い出に浸るようにパスポートをパラパラめくりながら続けた。

「んで、もう一個の大きい方は持っててもしょうがないから蔵のタンスにしまったんだ。プチプチにくるんで」

 道理で見つからないわけだ。

 隕石が落下地点にそのままあるとは限らない、別の人物に発見されている可能性だって当然あるだろう。

 マキリはそれを見落としていたのだ。

「……そ、そうだったのか」

 得心がいって一人頷く。

「あのさ、その隕石、ちょっと人に見せてもいい?」

「俺はもう要らないし、蔵のやつで良ければお前にやるけどさ、見つかったことは猪俣さんには言わない方がいいんじゃないか?」

 兄貴の口からマキリの名前が出たのでギョっとしたが、そうか、協定書の氏名欄で知り得たのだろう。

 なんで、と訊ねると兄貴は呆れたように眉間にシワを寄せた。

「だって、友達の有効期限迎えちゃうだろ」

 第三条。友達協定の有効期限はマキリが隕石を見つけるまでた。

「まあ、なんにせよ、後悔しないように生きろよ」

「後悔って……兄貴は自分の生き方に後悔してんのかよ」

「そりゃするだろ。過去を振り返るのは人間のサガってやつだぞ」

 ポケットにパスポートをしまって真っ直ぐに俺を見た。

「でもさ、そんなんイチイチ悔やんだって仕方無いし、辛かったぶんだけ楽しかった思い出もあるって考えて、今を楽しく生きるのが一番だと個人的には思うぜ」

 そう言って俺の頭にポンと手のひらを置く。子供扱い甚だしい動作だが、振りほどく気にはなれなかった。

「じゃあ、帰るから、ザクロにもヨロシク言っといてくれ」

「あ、待ってよ、まだ聞きたいことが……」

 兄貴はピョンと窓から外に飛び出た。二階にも関わらず平気な顔で地面に着地する。俺の呼び掛けは聞こえなかったらしい。

 慌てて窓から顔を出すが、兄貴は颯爽と玄関門を走り抜けるところだった。



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