11 青の時間の終わり
彼女を坂の上まで運んだ俺はへとへとだ。熱くなった体を近くのベンチに休ませ、そのまま背もたれに後頭部を預けた。
「この時間帯が好きなんだ。空の色が刻々と変わるから見ていて飽きない」
数分少女は空を見上げ続けた。マジックアワーはもともとは撮影用語でカメラマンの間では有名な言葉らしい。たしかに黄昏時は日常を劇的に演出してくれる。別名ゴールデンアワーともいうらしい。なんとも豪華な名前だ。
金色は徐々に薄れ、空には夕闇が広がった。暗くなってきたので「帰ろうぜ」と声をかけたら、
「深く青いこの時間をブルーモーメントという」
と教えてくれた。空講座はまだ続くらしい。
空を見上げる。たしかにまだ夜ではない。深い青に照らされた空は、静かな美しさを誇っていた。
「黄昏よりも短い夕闇に染まる前の僅かな時間だ」
いつもより濃い青の時間。
俺の青い時間はいつまで続くのだろうか。
結局彼女は一番星が空に浮かんでからようやく動き始めた。
「アリーヴェデルチ」
イタリア語で告げて少女は坂を下っていった。一人きりの帰り道、いつも通りのはずなのに、なぜだか少し寂しかった。
停学が明けても、マキリは学校に来なかった。辞めると決心したら出席点など関係ないと言わんばかりに不登校になった。学校側はどうにかしてマキリに来てもらおうと呼び掛けたが、いい返事はもらえていないらしい。
俺にも説得の依頼が来たが、呼び掛ける言葉が特に思い浮かばなかったので、断った。
そんな風にして日々を過ごしていたら、あっという間に期末試験の時期になっていた。
試験最終日を終えて、帰り支度を整えて、騒がしい廊下に出ると声をかけられた。
「ねぇ、ちょっと」
鳥居千景だった。
スカイダイビングを終えてから、彼女と言葉を交わすのははじめてだ。
試験最終日の解放感に溢れる廊下で俺たちは向かい合った。
「マキリが学校に来てないって……」
「ああ、あいつ辞めるってよ」
「え」
鳥居千景は小さい口をあんぐりと開けて俺を見た。戸惑った表情を浮かべている。
「辞めるって学校を……? それ、ほんとなの。もしかして私のせい……?」
「いや、まったく関係ない。もとからそういうやつなんだよ。あいつにとって学校はただの暇潰しみたいなもんだから」
「……暇潰し。そっか、そういう考え方もあるよね」
鳥居さんは小さく呟くと、まっすぐに俺を見つめた。
「ねぇ、今日一緒に帰れる?」
校庭でカラスが鳴き声をあげた。
岩野が「まじかお前まじかお前」と呪詛のように呟きをぶつぶつと背中にぶつけてきたが、無視して歩き出す。
女子と帰宅なんて何年ぶりだろうか。ああ、マキリとも帰ったことあったか、あればノーカウントにしよう、と思いながら歩みを進める。
穏やかな昼下がり。暦の上では夏だか、曇りで気温が低く、過ごしやすい一日だった。
一見すると鳥居千景は健康的だ。屋上から飛び降りようとしていたとは思えないほどに。
彼女が死のうと思ったのはそれなりの理由があったらしい。詳しくは知らないし、聞こうとも思わないのでわからないが。
「私、感謝してるの」
なんとなしに言うように彼女は呟いた。
「マキリは私の世界を広げてくれた。だから、このまま彼女と会えなくなるなんてイヤ」
子供みたいに唇を尖らせた。
「どうすればいいと思う?」
「どうしたら、って、そんなん……」
どうもする必要はない。本人が言うように、本来なら彼女はアメリカにいるべき人間なのだ。部外者がとやかくいうのは違う気がした。
「知らねぇよ……」
「付き合ってるんじゃないの?」
「どこからそんな話がでたのか知らないけど、それはないから」
「そうなんだ。お似合いだと思ったから。……ねぇ、彼女、いまどこにいるか知ってる?」
「家じゃないの?」
「……場所はわかる?」
じっと見つめられる。まさかだろ。
「え?」
「……」
「いまから行こうっての?」
小さく頷く。正気とは思えなかった。しかしながら、テストも終わって暇なのは確かだ。まっすぐ帰宅しても、親の小言がうるさいし、やることないので、マキリの家に寄るのも一つの選択肢としてはありかもしれない。




