第65話、後のお話
「おはようジン、昨晩はお楽しみだったようだな」
別にいうほどお楽しみでもなかったんだがね――部屋に朝帰りした俺に、ベルさんが楽しそうに言った。いつもの黒猫姿である。
「どうだ? 魔力は回復したか?」
「もうすっかり」
俺は桶に魔法で水を張り、布切れに浸すと身体を拭く。
ベルさんは、俺を見上げる。
「で、どこまでやったんだ?」
「……添い寝だけ」
そっけなく答える俺だが、ベルさんは目を剥いた。
「はぁ!? 添い寝って、やらなかったのか? んん?」
「……」
「いつものお前なら、誘われたらやっちまうもんだろ? どうしたんだ、ジン? あの嬢ちゃんは王族だから遠慮してるってか!?」
「ま、スキャンダルはお断りだよな」
正直、アーリィーに対してはヘタレてる自覚はある。王族だから、後が怖いってこともあるんだけどね。
彼女がよくても、周りが許さない。
「俺とアーリィーは友人だ。そういうことになってる」
「恋人じゃないのかい?」
「公式では、男同士だ」
そっちの趣味はないよ。
俺は制服に着替え終えると、部屋を出る。そろそろ朝食の時間だ。
・ ・ ・
学校へ行くと、まずテディオが昨日の礼を言ってきた。魔法剣を直してくれてありがとう、と。
よかったな、と返事した俺だが、この時、とあることを失念していた。
テディオに、魔法具修繕の話を他言しないようにと口止めするのを忘れていたのである。魔力喪失の反動で余裕のなかった俺は、あの時、彼をさっさと寮に返したのだ。少し回復した後、夕食時にアーリィーがそれを口にした時、俺は聞いていた執事長や近衛騎士に黙っているように告げたが、それで全員に言ったつもりになっていたのである。
平民生である彼は、貴族生たちとは折り合いが悪いが、同じく平民生の間ではそこそこ友人がいた。当然ながら、俺の魔法具修理の話はそこから漏れ、少しずつだが生徒たちの間に噂となって流れていった。
そしてもうひとつ、別の話題がクラスで持ちきりになっていたから、俺の注意がそっちに向いたというのもある。
クラスメイトにして貴族生であるマルカスが、俺のもとにやってきた。
赤毛短髪、きりっとした顔。中肉中背で筋肉質な身体つき。甲冑を着込めば、貴族というより騎士のほうがお似合いな少年である。俺が見たところ貴族生としてはまともで、生真面目かつ、実技も見込みのある実力の持ち主である。
「昨夜、ナーゲルと、その仲間二人が、意識喪失状態で発見されたんだ」
真面目そのものといった顔でマルカスは言った。
「何があったか知らないが、廃人も同然の状態で、もはやまともに生活が送れるレベルではないのだが……何か知らないか、ジン?」
ナーゲルと聞いて、嫌な予感しかしなかった俺だが、その内容にはさすがに驚いた。廃人って、何があったんだ?
「昨日、貴様がナーゲルたちといざこざがあったと聞いたんだが?」
「ああ、テディオを連中が苛めていた件か」
俺は肩をすくめた。
「確かに少し言い合ったが……あの後自分たちから去っていったし。わからないな」
「そうか。すまないな」
彼は頷くと、俺から離れて言った。
廃人、ね。……俺はちらりと、傍らの黒猫を見た。
『何かしたかい、ベルさん?』
『連中の精神を喰った』
平然とした口調を念話で返すベルさん。
『あいつら、ちっとも反省していなかったものでな』
『なるほど』
ベルさんがそう言うのなら、そうだったのだろう。むしろベルさんにそうまでさせたナーゲルたちの腐れ根性が悪い。
『ひとつ借りかな?』
『よせやい。オイラとお前の仲だろう』
数日後、ナーゲルとその二人は、病気を理由にアクティス魔法騎士学校を正式に中退となった。
なお、彼がいなくなったことを惜しんだ者は、同じ貴族生たちにもほとんどいなかったそうだ。どうやら嫌っていたのは平民出の生徒ばかりではなかったらしい。




