第4話、捕まった王子様
アーリィー・ヴェリラルドは、ヴェリラルド王国の王子である。
歳は今年で十八歳。王位継承権第一位で、何もなければ次期国王となる。……そう、何もなければ。
王都に迫る反乱軍千。王国はただちに討伐軍を編成、これを迎え撃った。
若きアーリィー王子を総大将に据えた討伐軍であったが、千と思われていた反乱軍は遊撃部隊として五百を用意していた。遊撃部隊は王国軍の不意を突き、結果、戦線は崩壊。王国軍は総崩れとなって敗走した。
アーリィー王子も戦線を離脱したが、最後のほうまで踏みとどまったことが原因で、反乱軍に捕捉され、捕まってしまった。
かくて、王子の身柄は、反乱軍陣地のとある天幕の中にあった。
綺麗な金色の髪の持ち主である。長い髪を後ろで束ねている若い王子は、しかし一見すると女の子に見えなくもない、中性的な顔立ちをしていた。ヒスイ色の瞳は美しい。
身体つきも、男とは思えないほど華奢。もちろん男なので、胸はないのだが、もしそこに胸があったら、王子のことを女と勘違いしてもおかしくないような外見をしていた。……腰まわりが、どこかセクシャルなものを感じさせる。
アーリィー王子は、手枷をつけられた状態で両手を頭の上に吊り上げられていた。
本来、王族や貴族などの者となれば、捕虜でも丁重に扱うものと相場が決まっている。枷をつけるなどもってのほか、それも王族であるならなおさらだ。人質交渉のためにも、お金になる高貴な貴族はもてなすものだが、反乱軍にはそういう考えはなかった。
そもそも、王国と交渉する気などはじめからなかったのだから。
だがそれを知らないアーリィー王子は、拘束され、そんな姿をニヤニヤと見つめる反乱軍の兵士――いや傭兵たちをにらみつけた。
今のところ、この傭兵たちからは、名前しか聞かれていない。
『お前は、アーリィー王子で間違いないか?』
黙秘することも考えたが、どうせ格好などでわかるのだから、「そうだ」と答えておいた。捕虜の扱いについて知識はあるアーリィーだったが、いまの状況はまったく想定外で、本音を言えば面食らっていた。
傭兵たちは、上司を呼びに行った者以外、天幕にいてアーリィーを見張った。その間、どこか厭らしい笑みを浮かべたり、仲間内でヒソヒソ話をするくらいで何も起きなかった。
反乱軍の親玉が来るのか。
捕虜になってしまったことの不安感を必死に押し殺しつつ、アーリィーは連中と顔をあわせないようにしながら、時の流れを待った。
やがて、そいつがやってきた。
「やあやあ、これはこれはアーリィー王子。久しぶりだな」
何とも嫌味たっぷりな調子だが、男性的なその声は聞き覚えがあった。
顔を上げたアーリィーは、その男の顔を見てびっくりしてしまった。
身なりは整っていて、腰に帯剣しているその人物は、二十代半ば。栗色の髪、獰猛な肉食獣を思わす好戦的な顔つき。
「ジャルジー公爵っ!?」
驚くのも無理はない。彼、ジャルジー・ケーニギン・ヴェリラルドはアーリィーの従兄弟に当たる人物だ。ケーニギン領を統治する公爵である彼が、何故に反乱軍の陣地にいるのか?
彼も捕まった? いや、王国軍にジャルジーは参陣していない。では交渉役? 助けにきてくれたとか……。
そんな淡いアーリィーの願いを砕くが如く、ジャルジーは唇の端をゆがめた。
「いいザマだな、アーリィー。次期国王となる王子、反乱軍に挑むも無様に敗北し、戦死……素晴らしい、完璧だ! 筋書き通り! ……コラム、よくコイツを捕らえた」
「恐縮です、閣下」
コラムと呼ばれた傭兵隊長らしき人物が恭しく一礼した。
痩せた男である。眼帯、ちぢれ髪にバンダナ。軽鎧をまとい、腰に二本のナイフと、お守りだか飾りだかを幾つも下げている。
そんな傭兵と話すジャルジー公爵を見て、アーリィーは顔をしかめた。
前々から、何かと嫌味や敵意のようなものを感じていたが、この従兄弟の言動は、明らかに『敵』そのものだった。そうなると、ジャルジーは反乱軍と通じていた、と見るのが正しい。
――そこまで、ボクのことが嫌いなのか……。
そのジャルジーは、アーリィーに近づく。
「しかし……相変わらず女々しいな、アーリィー。お前、ちゃんと鍛えていたのか? ……おい」
若き公爵は、傭兵の一人を手招きした。
「どれ、コイツの貧相な身体を見てやろう。服を脱がせ」
「へい!」
「なっ!? やめろ――」
アーリィーは血相を変えた。そのヒスイ色の目がこれ以上ないほど開き、動揺に身体を震わせる。
「ボ、ボクに触れるなっ! やめろ……っ」
「なんて女々しいんだ、アーリィー」
ジャルジーは心底愉快そうに笑う。周りの傭兵たちもつられるように、卑しい笑みを浮かべた。
「男として、自分のその貧弱な身体を見られるのが嫌か?」
傭兵のひとりの手が、アーリィーの貴族服の襟元に伸びる。
「触るな……やめてくれ――」
顔が下がる。弱々しいその言葉。だが傭兵は容赦なく、アーリィーの服を掴むと、ナイフで一気に前を引き裂いた。
「……くっ」
顔を背けるアーリィー。傭兵たちはそんな王子の顔に加虐心が疼いたが、次の瞬間、その表情は驚きに変わった。
なんと、王子の裂かれた服の下から、女のそれにしか見えないふっくらした胸が露わになったのだ。
「お……女っ!?」
これにはジャルジー公爵も表情が固まった。だが次の瞬間、さっと赤みが差した。
「くそっ! 身代わりか!」
俗に言う影武者である。王子そっくりの偽者。
「元より女々しい顔だったが、まさか替え玉に女を使うとは!」
ジャルジーは背後に控えていた副官に振り返った。
「すぐに部隊を動かせ! 本物のアーリィーは逃げているぞ! まだそれほど距離は開いていないはずだ。捕らえるか、殺せ! 急げ!」
はっ、と副官が急いで天幕の外へ。ジャルジーもその後を追おうと傭兵たちに背を向ける。
「か、閣下!」
傭兵隊長のコラムが声をかけた。
「この王子……の替え玉はどういたしましょうか?」
「ふん、偽者に用はない」
好きにしろ、と言い捨て、ジャルジー公爵はその場を後にした。残されたのはコラムとその部下の傭兵たち、そしてアーリィー王子と思われていた若い娘。
「ボス……」
部下が心配げな声を上げれば、コラムは自身の髪を乱暴にかきながら言った。
「まあ、いまから行っても、たぶん本物の王子に追いつくのは無理だろ……」
ちら、と視線を、拘束された王子、もとい娘に向ける。
「公爵閣下は、コイツを好きにしていいと仰せだ。……それなら、オレたちで愉しんでもいいだろ」
「おおっ!」
部下たちは途端に厭らしく顔をゆがめた。
「女は女だ。それに、割といい女じゃねぇか?」
「マワせマワせ……!」
やめて――王子の替え玉である娘は震える声で、そう口にしたが、傭兵たちの耳には届かない。目の前の若い娘を前に、彼らの性欲はたちまち頂点へと達したのだ。
男たちの手が伸びる。逃げようにも逃げられない娘の恐怖に震える様は、彼らにとっては情欲を高める効果しかない。男たちに慈悲はない。
「げへへ……」
誰か――王子だった娘は俯いた。助けて……!
「――はい、ちょっとそこ失礼しますよ」
何とも場違いな声が、天幕内を通り抜けた。
若い男の声。聞き覚えのないその声に、傭兵たちは何事かと振り返り、刹那の間に、その首が飛んだ。
紅蓮の刀身が、宙を待った。肉の焦げる臭いが鼻腔をくすぐり、わずかに上がった悲鳴はすぐにかき消えていく。
足元に転がる傭兵だったものの首に、王子だった娘が表情を引きつらせて顔を上げる。複数いた傭兵たちが、次々と倒されていく。
赤い剣を手に、傭兵たちを倒していく者が、視界に飛び込んだ。
黒い髪、二十歳手前とおぼしき少年――灰色の魔術師ローブマントを身に付けたその人物。
気づけば天幕内には、突然現れた少年と、コラムと呼ばれた傭兵隊長と、アーリィーしかいなかった。