第539話、マグア街道の戦い
マグア街道を通るのは久しぶりだと、サキリスは思った。
クレニエール領は、キャスリング領のお隣さんのひとつであり、昔から仲がよかった。遠縁であることも関係しているかもしれない。
幼い頃から、お互いの家に遊びにいくのが恒例行事だった。侯爵と伯爵と階級差はあったが、同い年ということもあり親しかった。
だがそれも過去の話だ。つい最近、キャスリング領に隕石が落ちてから、サキリスはすべてを失った。
貴族としての身分、家族、領地。ご主人様と敬愛するジンが助けてくれなければ、今も生きていられたかわからない。奴隷として得体の知れない相手に売られていた。
別に今の環境を憂いているわけではない。むしろ望みうる中で、最高とも言える衣食住を与えられた。
だが、それでも、かつての親友に会うことだけは気が進まなかった。もう貴族の娘ではない、この一点が、関係上どれだけ大きいかをサキリスは知っていたからだ。
「サキリス」
歩兵戦闘車の兵員輸送室で、愛用のマークスマンライフルを点検していたリアナが声を掛けてきた。
「考え事?」
「いえ……」
「余計なことを考えていると死ぬ」
淡々と冷淡にもとれる調子でリアナは言うのだ。サキリスは小さく息をついた。
「ええ」
この感情に乏しい少女兵士は、こと戦闘に限れば間違いない。歳は変わらないはずなのに、戦闘経験とそのスキルにはとても大きな差があるのがわかる。そんなリアナからの忠告は聞かないわけにはいかない。
『ポイニクスより救出部隊へ――』
上空支援任務についている偵察機より魔力通信機による交信が聞こえた。
『まもなく、避難民の先頭集団がそちらと接触する』
「こちらセイバー、了解」
リアナが答えると、彼女は顔をあげた。
「サキリス、外に出て、民間人にこちらが味方だとわからせて」
敵と思われて逃げられても困る。
「え、と、どうやってですの?」
「……車体の上に乗って手を振る」
それなら、とサキリスはステップを踏み、兵員輸送室の天蓋を開いた。吹き込む冷気を伴った風が肌をさす。豪奢な金色の髪がなびき、思わず右手で押さえる。
エクウスはかなりのスピードで街道を駆けていた。そしてすぐに、騎馬と避難民と思われる集団が視界に入るのだった。
・ ・ ・
目を開けた時、青空が広がっていた。
背中が冷たくて、自分が雪の上に横たわっていることにエクリーンは気づいた。気づいたのだが、身体が動かない。というより、動かす気になれない。
周囲では、人の気配。雪を踏みしめる音。獣のような声などなど。
どういうことだろう? なぜわたくしは雪で寝ているのか。起き上がろうとして、右ふとももに違和感を感じた。
動かない。鈍い痛みのようなものを感じて、エクリーンは思い出した。
そうだ『敵』と戦っていたのだ。
わずかな騎士たちと、押し寄せる敵集団と近接戦になり、何人かを倒したのを引き換えに、足に魔法弾を浴びて、それから――
首を巡らす。
二メートルと離れていない場所に騎士のライカーが倒れていた。瞳孔は開かれ、すでに息がないのが見てとれた。
ぬっと、ドクロ頭の人型巨漢が視界をよぎる。思わず声をあげそうになるのを必死にこらえ、エクリーンはそれに注目する。
ドクロ頭は、ライカーの死体を掴むとそれを肩に軽々と担いだ。どこかに運ぼうとしている……?
だが、倒れているエクリーンの視界から消えてしまう。起き上がらないとその先が見えない。首を動かして、まわりを恐る恐る確認。
周りには敵の兵隊がうようよしていた。ドクロ頭のひとりが、一列に並んでいるツギハギ顔の兵士たちの首もとに針のようなものを差している。……あれはいったい何をしているのか?
と、別の兵たちがクレニエールの騎士たちの死体が、見慣れない雪車のようなものに乗せている。ライカーの亡骸が、それらの死体の上に無造作に置かれた時、眠るように横たわるテディオの姿があるのに気づいた。
死んでいる、いや、もしかしたら意識を失っているだけかもしれない。目を閉じていて、折り重なった死体のせいで怪我をしているかも定かではない。
だが、そこまでだった。
何故なら、エクリーンは自身に影がかかっていることに気づき、ゆっくりと振り向く。ツギハギ顔の兵士が、死んだような目でこちらを見下ろしていた。
「ひっ……!?」
小さな悲鳴がエクリーンの口から漏れた。
『ああぁ……』
ツギハギ顔の兵士が、声のようなものを出した。だが当然ながら、バケモノの言葉などエクリーンにはわからない。
だが次の瞬間、そのツギハギ顔が破裂して、赤い血しぶきと何かの体液をぶちまけた。降りかかった血が少しエクリーンにかかるが、それどころではなかった。
周りで敵たちが街道に沿ってドタドタと走る。あの魔法弾を放つ音が聞こえた。同時に似たような、しかし明らかに異なる音も。
光がよぎり、駆け出したツギハギ顔の兵士の胴に命中。足が止まったところで、さらに二発、三発と当たりようやく倒れる。
爆発音が鼓膜を刺激した。エクリーンには目の前で起きていることが理解できなかった。何やら戦っているとわかった時、ドクロ頭の兵士たちがまとめて吹き飛び、無闇やたらに飛び出したツギハギ兵士が次々に撃ち抜かれ、雪上を赤く染め上げた。
形勢が変わった。ドクロ頭の兵士が、力強い咆哮をひとつ上げると、敵兵たちは身をひるがえし始めた。街道を逆戻り、つまり撤退に移ったのだ。
そこへフルフェイスの兜を被った漆黒の兵士がこちらへ駆けてくるのが見えた。ずいぶんと細身の兵たちだった。兜で素顔はわからない。鎧というには軽装、肩当てはあるが服に近い。手に持っているのは弓のないクロスボウのような武器。それが光の弾を撃ち、敵を倒しているのだ。
いったい何者か?
だがエクリーンは恐怖を感じなかった。何故ならばこの漆黒の兵士たちは、エクリーンを見ていなかったからだ。
光弾を撃ちながら、敵を追い散らす。漆黒の兵士たちがエクリーンのそばを抜けていくと、助かったという安堵感がこみ上げてきた。
緊張でためていた息をゆっくりと吐き出す。と、傍らに、ひとりの漆黒の兵士が立っていた。音もほとんど立てず、すぐ近くにいてエクリーンはビクリとする。
兜に四つの目の穴が開いていて、ほのかに青く光っているように見える。冷たい目――しかし人間なのか、と首をかしげる。
『大丈夫ですか?』
その兵士は声を出した。兜ごしのせいか、声が少し変わっている。
『我々はウィリディス軍です。救援要請を受け、あなた方を助けにきました』
「ありがとうございます、ウィリディスの方」
聞いたことがない名前である。救援要請を受けた、とは王都に出した使いが関係しているのだろうか。どこかの貴族領主の軍勢か。
エクリーンは立ち上がろうとして、足の痛みに気づいた。ウィリディスの兵もそれに気づいた。
『足を怪我していますね。じっとして――衛生兵!』
肩掛けのバッグをもった、別の兵士が駆けてきた。傷の手当をはじめる兵士をよそに、エクリーンは最初に声をかけてきた兵士の状況説明を受ける。
先に逃がした避難民は保護され、クレニエール城へと向かっていると聞き、ようやく肩の荷が下りるのを感じた。




