第439話、向き合うこと
「止められなかった?」
ワスプが抱える兵員輸送コンテナ内。俺の呟きに、ヴォード氏は自嘲した。
「正確には、止める間もなくあいつは冒険者登録を済ませて、あまつさえダンジョンに潜っていた」
父親に相談もなく、娘さんは冒険者になっていた、ということか。よほど関係が悪かったか、普段から口をきく機会がなかったのか。
「あいつが幼い頃、『お父さんのような冒険者になる』って言っていたことがある。だがそれは子供が親の仕事に憧れる、よくある話だと本気にしていなかった。成長すれば、きっと他の道を選ぶんだろうな、と。だから気づかないうちに冒険者になっていたのを知ったときは愕然としたものだ」
「いかに、家族関係を疎かにしていたかの現れだな」
ベルさんが容赦なく突っ込んだ。ヴォード氏は肩をすくめた。
「返す言葉もない」
「あー、ちょっといいか?」
床に座り込んでいたリーレが手を上げた。
「あんた、冒険者ギルドのトップだろ? 気に入らなけりゃ、トップの権限で辞めさせることもできたんじゃねーの?」
「それはおれも考えたが、それは職権の私物化に当たる」
娘だから冒険者を辞めさせた、とか何とか。世のため人のために活躍するヒーローが、身内に甘いという評判は誰も望んでいない。
多少、親馬鹿に走るくらいの愛嬌があるなら、また話も違ったのだろう。だがヴォード氏は真面目な性分だった。
「贔屓と言われようが、おれはルティには冒険者などせず、平和な場所で暮らしてほしい」
父親の本音が漏れる。何かを噛み締めるように、表情がこわばる。
「お金はあった。Sランク冒険者としてのおれの稼ぎがある。何もあいつが冒険者にならなくてもよかったはずなんだ」
しかし現実は、ヴォード氏の思い通りにはいかなかった、と。
「冒険者は危険な仕事だ。命を張る必要などないと言ってもあいつは聞く耳をもたない。どれだけおれが心配していると思っているんだ」
深々とつくため息。
「……気づけば、顔を合わせるたびにけんか腰になる」
「なるほど」
話はわかった。俺が視線をベルさんに向ければ、黒猫もまた俺を見て、首を横に振った。
娘の身が心配だ。その思いは正しい。だが、俺はヴォード氏を全面的に支持する気は起きなかった。
「でもまあ、娘さんを放っておいたツケじゃないですか」
「……なに?」
「ねえ、ヴォードさん、俺は短いながらも冒険者ギルドでのあなたを見てきました。Sランク冒険者として、実に頼もしく、その存在感に皆が安心していた」
それ自体は問題はない。
「あなたは冒険者としての生活を楽しんでいた。まだ現役として前線への意欲を見せ、魔法車にも興味を示した。……俺はね、そういうところを、ルティさんに見せてあげるべきだったと思うんですよ」
「……!」
「俺が上位冒険者となった頃から、あなたとはちょくちょく会って談笑したりした。その半分でも娘さんとの時間に使っていれば、少なくとも今よりマシな関係だったと思います」
ベルさんがにんまりと笑みの形を作る。……面倒を俺に押しつけてからに。
「ちゃんと向き合ってみればどうです? ギルマスとしてではなく父親として。家に帰った時でも、あるいは休憩の時でも」
さて、言うこと言ったし、俺はもう黙るぞ。腕を組んで会話を打ち切る。ヴォード氏は難しい顔で黙り込んでいる。
重々しい沈黙がコンテナ内に立ちこめる。もう、どうするんだよこの空気!
『マスター・ジン。魔力信号をキャッチしました』
コクピットのヒンメル君からの魔力通信が響いた。落ち着き払ったその声に、俺は思考を切り替える。
ルングに渡したお守りの探知圏内に入ったようだ。
『現在、急行中。あと10分ほどで到着します』
「了解、ワスプ1」
さあ願わくば、生きていてくれよ。すでに終わっていて石になってしまった彼らとご対面なんて嫌だからな。
・ ・ ・
くそっ、身体が重い!
ルングは自由にならない自らの身体に悪態をついた。いま自分は石造りの床を引きずられていた。
引きずっているのは青い僧服姿のクレリックの少女、ラティーユだった。
ルングが想いを寄せる相手。幼なじみで、同じパーティーで冒険者をしている。その彼女が必死の形相で、身体が固まっているルングを引いていた。
「ごめんなさい、ルング。私には石化を解く魔法がないから!」
違う、違うよラティーユ! ――必死に呼びかけようとするが、ルングは口を動かすことができなかった。
身体が麻痺している。石化ではない、麻痺だ。ラティーユの覚えている神聖系魔法で治療できるのだが、石化だと勘違いしている彼女は気づいていない。
討伐対象のゴーゴンを発見した。
日にちをかけ、ようやく見つけたその相手。黒い蛇が無数に頭から生え、遠目からでは確かに髪の毛にも見える。その顔立ちは老婆のようにしわくちゃで、お世辞にも美人とはいえなかった。
緑色の蛇の下半身を持ったゴーゴン――その石化の魔眼に見られないように機会をうかがい襲撃したのだが、ルングはゴーゴンにひと睨みされた。
その瞬間、金縛りにあった。石化の魔眼かと思ったが、そうではなかった。身体は動かないが、これは麻痺の魔法を喰らった時のそれだと瞬時に悟ったからである。
石化じゃない、麻痺だ。だがしゃべることもままならず、それをラティーユに伝えられずにいる。
ゴーゴンの眼=石化と思い込んでしまっているのだ。彼女は、リーダーのルティに命じられ、ルングを引きずって後退中だ。
そのルティはゴーゴンと、その取り巻きであるラミアたちを引きつける囮となっている。パーティーの仲間を守るために、一人で奮闘しているのだ。
そう一人だ。
このクエストの前にいた前衛の戦士がパーティーを抜け、三人体制となっている。抜けた戦士の言い分は「親子喧嘩に付き合いきれるか」と愛想を尽かされた形だ。
それはともかく、ルングがラティーユに引かれている以上、戦えるのはルティ一人である。
ボスケ大森林の一角にあったのは古い遺跡。この森にこんなところがあったのかと驚くまもなく、そこがラミアたちの住処となっていた。
目当てのゴーゴンを目撃し、千載一遇とばかりに用心しながら迫ったのに、このザマである。
しかも奴らの巣穴に誘い込まれている。いまルティが敵の目を引きつけているとはいえ、いつその曲がり角から他のラミアが出てこないとも限らないのだ。
状況は最悪だ。心臓はこれ以上ないほど動いているような気がするのに、何故身体が動かないのか。――畜生、オレがラティーユを守らなくちゃいけないのに!
「ルング! 外! 外に出たよっ!」
ラティーユの声が弾む。ルングの身体を難儀しながら引きずっていた彼女が遺跡の出入り口に出ると――
「ああ……!?」
小さな水場がある。かつては橋だった石のそれは半分朽ちているが、いまも架かったまま。岩が壁のようにまわりにそびえていて、ひとつの窪地を形成している。だが取り囲むように無数のラミアがうごめいていた。
この警戒網を、人ひとりを引きずって発見されずに通り抜けるのはまず不可能。
絶体絶命。
そのときだった。上空を何か大きなものが通過した。それは今まで見たことがないものだった。
魔獣?
しかし翼がない。何か回転させながら飛ぶそれは、さながら鋼鉄の巨大蜂のようだった。




