第206話、嵐の到来
サキリスが俺に奴隷でもいいから傍に置いてくれと言ってきた。
これまでのこと。全てを失ってしまった自分を救ってくれたこと。俺が莫大な金額で彼女を買ってくれたことを含めて。
面倒を見るつもりではいたが、奴隷にして一生を縛るつもりなどなかった俺である。それでも、恩を返したいと元キャスリング家の令嬢は言うのである。
まあ、そうなんだけどな。サキリスの現状を考えると、俺も少し後ろめたいところがある。特に退学になってしまったあたりな……。ここまでは予想してなかった。
とはいえ、だ。過ぎてしまったことはしょうがない。問題は今この状況、サキリスの申し出をどうするか、である。
いま身を寄せる場所がない彼女を突き放すのは、面倒を見るつもりでいたという言葉に反してしまう。
だが受け入れるにしろ、すんなりというものでもない。だから、俺はわりと最低な物言いをして、彼女を試す。
「奴隷でもいいのか?」
「はい……」
サキリスは顔を下げたまま、しかし躊躇わなかった。
「君は俺のことが好きだと言ったが、俺は結構緩い。他の女にも手を出すし抱く。……そういう人間だが構わないのか?」
「……はい。構いません」
「身も心も、と言ったが、時々君を抱いても?」
最低な物言いなのは認める。
「貴方の気の済むままに。こんなわたくしを抱いてくださるなら、誠心誠意、尽くさせていただきます……!」
サキリスは顔をあげ、俺を真っ直ぐに見つめた。
……うん、そんな気がしていた。
これまで俺は敢えて相手が嫌がるだろうことを口にして、重苦しい責任を回避しようとしてきた。だがアーリィーも、サキリスも、ユナも、俺のそうした言葉をことごとく受け入れてきた。そうまでされたら、こちらも応えるしかない。……抱えていた若干の後ろめたさも、それを後押しする。
「じゃあ、サキリス。君は俺に仕えるということでいいんだな?」
元とはいえ貴族の娘が、平民の俺に――。それに対して、サキリスは頷いた。
「わかった。じゃあ、契約といこう」
ただし口頭で。書面には残さない。
「君は俺の下僕だ。期間は、俺への借りを返したと思われた時。君に他にやりたいことができた時。何らかの事情で君が働くことができなくなった時。やはり何らかの事情で、俺が君を捨てる時、だ」
「捨てる――!」
サキリスの顔が青ざめる。俺が認めた矢先にそう言われたら、焦りもするだろうが、つまるところ、俺に付き合って心中するなよって意味だ。一緒に死ぬとか、そこまで面倒は見れないからね。
「まあ、そうならないように頑張ろうって話だよ」
俺は家具から腰を上げる。サキリスは膝をついたまま、胸に手をあてた。
「この命、貴方様のために。わたくし、サキリス・キャスリングは、ジン・トキトモ、貴方様への生涯の忠誠を誓います!」
うん、お前、俺の話を聞いていたか?
まあいい。口頭にしたのは、いざという時に契約をなかったことにできるようにだ。紙に残さない契約、または魔法で縛らない契約なら、その気になればうやむやにできるからな。
そうなると、契約自体はサキリスがどこまで尽くしてくれるかに掛かってくるわけだが、俺は彼女に払った金を返して欲しいわけでもないので、本当のところを言えば害さえなければ問題ない。
「なあ、サキリス。ひとつ聞くが、お前、故郷を取り戻したいとか思ってる?」
「……」
もし、そうなら考えないでもないけど。俺の視線に、サキリスは硬い言葉で返した。
「いいえ。故郷は滅びました。家族も家も、そこに住んでいた民もすべて、消えました……」
「……そうか」
思うところはあるが、もう何も言うまい。
サキリスは気にしていないようだが、ちょっと体面もあるので、メイドとして仕えるということにした。……元お嬢様がメイド。それはそれで何ともいえない気分になる……。
なお、サキリス付きのメイドで、雇い主が雇用できる状態ではなかったクロハも俺は雇った。
彼女は今後どうするか考えつつ、他の職場がよければそれが決まるまでの契約である。当面は俺の周りの世話をしつつ、サキリスのメイド教育をやってもらう。元主人の先輩とかいう、ちょっと複雑なポジションは気の毒かもしれないが。
夢のメイドさん生活――! もちろん皮肉だ。そして少々ヤケクソでもある。
・ ・ ・
さて、サキリスがアクティス魔法騎士学校を去り――実際には俺のそばにいるが――、それでも隕石騒動で騒がしかった東部出の生徒たちも落ち着きを取り戻しつつあった。
クラスでは、サキリスがいなくなったことは、二、三日で沈静化し、いつもの学校生活に戻った。
いつものように授業を終えて、昼食タイム。騎士学校のVIP専用食堂でアーリィーと俺、ベルさん。そして最近こちらにお呼ばれするようになったマルカスで、豪華な昼食を堪能する。
「武術大会?」
鸚鵡返しした俺に、マルカスは眉をひそめた。
「知らないのか? 年に一度、王都開催される最高の戦士を決める大会だぞ」
そういえば、サキリスが以前、そんなワードを使っていたな。
「……それで?」
「あんたは出ないのかと思って」
「俺が? まさか出ないよ」
何故、そんな面倒なことを。別に最強を目指しているわけではないし、出たとしても目立つだけである。俺に何の得もない。
「あぁ、まったく相手にならないもんな」
ベルさんがサイコロステーキを頬ばる。何その出たら優勝当たり前みたいな言い方。俺は首を横に振る。
「出ないのか。あんたならいい線行くと思うんだが」
「ボクも見たいな。ジンが大会に出るところ」
よせやい。俺は矛先をかわすために、マルカスへと視線を向ける。
「君は出ないのか?」
「おれか? 正直、まだまだだと思うが、腕試しに出てもいいかと思っている」
ふうん、腕試しか……。最近、実戦を経験して、自分の実力がどれほどか試してみたいということだろう。
「まあ、いいんじゃないか」
俺は出ないけどな。
食事の後、自主練を兼ねて、青獅子寮へと向かう。
昔は、王子の帰宅にはメイドさん総出でお出迎えをしていたそうだが、今では最少人数にするように、とアーリィーが言っている。俺とベルさんが、総出のお出迎えを「王族らしい」とコメントしたのが原因だったりする。
この日も六名ほどが、俺たちの帰宅に合わせて入り口前に並んでいた。……なおうち二名は、アーリィーではなく俺のお出迎えだったりする。つまり、サキリスとクロハである。
ビトレー執事長が、まず頭を下げた。
「お帰りなさいませ、皆様。アーリィー殿下、本日は急ぎお伝えせねばならない事案がございます」
「何だい?」
アーリィーは応じたが、内心嫌な予感がしたのだろう。ピクリと眉が動いた。
「ケーニギン公爵閣下が王都に来られます。そして殿下をお訪ねに、このアクティス校にも参られるそうです」
「なんだ、って……!」
男装のお姫様の表情が強張った。
ケーニギン公爵? はて、どこかで聞いたような……誰だっけ。
『ジン、あれだろ。ジャグジーのことだろ』
ジャグジー? ああ、ベルさん、ジャルジーだよ、それ。
思い出した。アーリィーの血縁で、王位継承権第二位の人物だ。継承権上位であるアーリィーを目の仇にしており、以前より関係がよろしくないとされる男である。
そのジャルジーが来る。
アーリィーの表情はこれ以上ないほど青ざめる。さながら天敵の到来を告げられたかのように。
いや、まさに彼女にとって、ジャルジーは天敵以外の何者でもなかった。




