第1800話、さまよう心
「ジン・アミウール様」
「やあ、ラドーニ氏」
俺が入室すると、ニーヴ・ランカ人のラドーニ氏は一度席を立ち、頭を下げた。
「この度はお時間をとっていただき、ありがとうございます」
「いやいや、知らない仲ではないからね」
面談希望は多々あれど、俺はラドーニ氏には注目しているんだよ。難民の中でも故郷への思いが特に強い人だからね。
新天地を受け入れ、未来思考と言えば聞こえはいいが、実際、故郷を追い出された人々だ。その内心の思いは人それぞれとはいえ、その辺りに関心があるわけだ。
「まさか閣下ともあろう方が、私のような者の面談希望に応じてくださるとは……。嬉しい反面、緊張しています」
「面談自体は今回が初めてではないだろう」
俺はシェイプシフターメイドさんがいれてくれたコーヒーを口に運ぶ。
「こういう身分になるとね、直接会って話をするのは大事なんだ。部下からの報告ばかりだと見えないこともある」
事実だけを簡潔にまとめると、それに付随する感情がどうしても薄くなる。それを鵜呑みにすると実は思っていたのと違うことに気づけない。
「話を聞こうじゃないか」
「はい……」
しっとりと汗をかいているラドーニ氏。
「こんなことを言うと二度と会ってもらえないような気もするのですが、実はこうもすんなり面談できると思わず……その――」
「実は、話がなかった」
ラドーニ氏は気まずそうに頷いた。ふむ、どうせ面談希望が通るわけがないと思っていたら、あっさり通って、しかもすぐに面会ときたから考えてなかったとか。すまないねぇ、フットワークが軽くてさ。
「あれこれ考えてはいたのです。どうしたら故郷をヴァラン人から取り戻すことができるのか」
「故郷への思いは、そうそう捨てられるものではないからね」
そうだろう。絵本の話ではないが、邪悪な魔王に国を滅ぼされたとか、支配された主人公が魔王とその軍勢に立ち向かい打ち倒すというのは、物語の王道ではある。
クーカペンテもプロヴィアも、その他他国に侵略された国々ではそれを取り戻すために戦った。ラドーニ氏も生まれ育った国や故郷を取り戻したいと考えるのは当然だった。きっと難民の中にもそう思っている人は少なくないだろう。
「決して、あなただけが抱えているものではない」
「はい……」
ラドーニ氏は真顔になる。
「閣下の施しは、同胞たちに新たな住む場所を与えた……。敵の手の届かない場所で安全に暮らしている。とても素晴らしいことだと思います」
自分たちはとても恵まれている――そうラドーニ氏は言った。定住できる場所を探すだけでも大きな苦労だ。ましてニーヴ・ランカの民のための集落や国となれば、周囲との反発や攻撃もあろう。それだけで多くの血が流れたはずだ。
だが、難民たちはそれらの危険がない新規の島をもらい、環境が整えられた上で自分たちのために生活向上のための作業を進めている。奴隷などではなく、自由なる民として。
「私には娘がおります」
ラドーニ氏は言った。
「まだ十もいかない娘です。その子のこれからのことを考えれば、ここで家庭を築くことを考えなくはありません」
新たな生活。家族との幸せな生活……。
「ですが、ニーヴァランカは妻や兄弟たちが今も眠っているんです」
「……」
「思い出の中の幸せ、それがちらつくのです。思い出の場所が、ヴァラン人たちに踏みにじられていると思うと……私は――!」
怒りと悲しみ。今ある家族のこと。今はない家族と記憶。それを秤にかけ、なお苦悩するラドーニ氏。
「ヴァラン人たちが憎い! でも、娘の幸せを守りたい! ここでなら安全に娘を育てることもできる。……でも、あいつらは!」
ヴァラン人はニーヴ・ランカ人が埋葬されている墓を暴くと、その棺から遺体を引きずり出し、そこらの野に投棄している云々。
先祖や家族の遺体が蔑ろにされる。それが事実であれば外道の所業だ。死者には敬意を以つべきであり、軽はずみな扱いをすべきではない。
……というか、この世界でそんなことをすれば、アンデッドになって死体が生者に襲いかかる事例も少なくない。
そう考えると、ちょっと考えにくい話だ。
「ラドーニ氏、それは本当なのか? ヴァラン人が墓を暴いて遺体を粗雑に扱ったのを実際に見たのか?」
「……聞いた話です。私は、その場を見ていませんが」
「本当に見たという話なのか? そういう偏見や流言をさも本当のように受け取っただけではないのか?」
「それは……」
ラドーニ氏は言葉に詰まる。彼はその噂としか知らないから、本当にそんなことが起きているのかわからない。
「いや、あいつらのことだから、やりかねない! そもそも噂だって、実際にあったから――」
俺は手の平を向けて彼の発言を遮る。
「そのやりかねない、という思い込みが、ありもしない捏造を生むこともある。偏見が目を曇らせることもある」
ただあり得ない、ありもしない、という思い込みもまた危険ではある。アンデッド問題もあるから、わざわざ墓を掘り起こして云々という手間をかけるのは考えにくいのだが、偏見、憎悪、復讐にかられた人間は、『そこまでするか?』という凶行に走ることもある。ラドーニ氏の言うとおり、噂は真実の可能性も否定はできない。
世の中には色々な人間がいて、皆が皆、常識通りに動く、または判断するわけではない。だからまともな人間もいれば、犯罪を犯したり、偏見で人を攻撃し敵意を煽る人間もいる。
あの大帝が指示しなくとも、憎悪に染まったヴァラン人がそういう外道な行動をとる馬鹿がいてもおかしくはない。
……事実かどうかシーパング情報局に調べさせるか?
それが事実だとして、ニーヴ・ランカ人の対ヴァラン人感情を悪くするだけ……いや、もう充分悪いか。
だが事実かどうか、はっきりさせておくのは大事なことだ。単なる噂、ねつ造を一人歩きさせるのは、誰も幸せならないからな。
それはそれとして――
「ラドーニ氏、今は、生きている家族を大切にすべきだ」
俺はなだめる。
「あなたが家族を思う気持ちはわかるが、あなたに何かあれば娘さんが一人になってしまう。彼女を不幸にしてはいけないよ」
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