第1493話、目覚めた実験体
真・大帝国が新たに抱えた問題をよそに、アリエス浮遊島軍港にいた俺たち。そこへ医務室から、ダンジョンコアを体に埋め込まれた実験体女性が目を覚ましたと連絡が入った。
「どんな様子だ?」
『本人の様子から、記憶喪失のような状態です。名前も、自分のこともわからないようです』
医務室のドクターからの通話ではそうなる。記憶がない、ね。
「会話はできるんだな?」
『はい。それは問題ありません。一応、身の回りの物に関する知識はあるようです。ないのは、自分自身は家族、友人などの交流関係など、交流に関する部分かと』
それで記憶喪失が疑わしいわけね。俺は、ドクターにそちらに向かう旨を告げて、通話を切った。
場に居合わせたベルさん、アーリィー、グレーニャ・ハルもついてくる。
「記憶喪失ねぇ……」
黒猫姿のベルさんが言う。
「そんなことがあるか?」
「フォリー・マントゥルが、彼女に処置を施した時に記憶を操作したかもしれないな」
あの狂気の魔術師は、実際にダンジョンコアを体内に入れた男性型を、新しい体にして使っていた。何の気まぐれで、新しい体を女性体にするかもしれないから、そちらも用意したのかもしれない。
「なるほど。前の記憶があると邪魔だから、消したってことか」
「魂の融合を避ける処置、というところかしら」
グレーニャ・ハルが表情を変えることなく言った。
「スティグメ帝国でも、体と魂の研究で、魂同士を結合させた実験がされたけれど、大抵、記憶の混濁、ぶつかり合いからの消滅なんて、ろくな結果にならなかったのだわ」
「怖いことやってんな」
「どうしてそんなことを……」
アーリィーが引いている。そりゃ魂同士を合わせるとか、どう考えてもヤバ過ぎる話だ。
「さあ。研究者というのは度し難いものよ」
グレーニャ・ハルは淡々と答えた。まあ、今は亡きマントゥルも、馬東サイエンも、その研究内容は正気を疑うものばかりだったよな。
「でも、彼女の記憶を消したのは、マントゥルとやらではなく、彼女を作った闇の軍勢側の方かもしれないのだわ」
「そういや、吸血鬼ベースのボディだっていうから、人の姿こそしているが、試験管で作られた存在かもしれないんだっけか」
どっちがやったかは知らないが、現状、記憶はないとされている。
・ ・ ・
改めて見ると、美しい女性だった。白に近い銀髪の長い髪。儚げ系美女というべきか。医務室に付けば、医療用ベッドの上で半身を起こしている実験体女性がドクターとお喋りをしていた。
「……よろしいかな、ドクター」
「閣下」
ドクターが頷いた。先生は、彼女に俺たちを紹介した。シーパング王族のジン・アミウール、ヴェリラルド王国の姫アーリィー。ベルさんと、グレーニャ・ハルについては肩書なしで名前だけの紹介だった。
「記憶がないと聞いているが、名前は何と呼べばいいだろうか?」
愚問ではあるが、実験体女性と呼ぶのはさすがに失礼過ぎる。
「そうですね……」
女性は視線を下げて、物憂げな表情を浮かべる。
「私には名前について覚えていないので、何か、適当なものをつけてくださると助かります」
そんな気はしていた。そもそも、自分で自分の名前は普通はつけない。呼び名とかペンネームはともかく、基本他人から付けられるものだ。
「クローマ」
グレーニャ・ハルが呟いた。
「『色』という意味よ。何者かもわからない。自分が何色かわからないから、ただ『色』。これから何色にでもなれる、という意味を込めて」
へぇ、面白いな、それ。俺はもちろんアーリィーも、グレーニャ・ハルに感心する。
「色、ですか。なるほど……興味深い名付けです。気に入りました」
女性は、小さく首を傾けてにこりとした。
「では私は、クローマと名乗ることにします」
とりあえず呼び名が決まった。今後、彼女が本当の名前を思い出すまでは、クローマという名前になる。……果たして思い出すことはあるのかはわからないが。
「それで、私はいったい何者で、ここはどこなのでしょうか?」
早速、クローマが訊ねてきた。気がついたら、見知らぬ場所となれば、そりゃ気になるよな。
どこまで話すべきか、少々迷ったのだが、クローマが、遥かな昔、魔法文明時代に、体にダンジョンコアを埋め込まれて作られた実験体であるということを告げる。
隠しても、シーパング同盟に保護されている理由に違和感が出るだろうし、そもそも自分の体に、物騒なものがあるということを知っておく必要がある。何故なら――
「あなたのダンジョンコアの能力は、様々なことが可能になる。それを手に入れて利用したい者が、あなたを狙ってくるかもしれない」
まあ、彼女がその力を正しく使えるなら、保護しなくても自力で撃退も可能であるのだが。
それだけダンジョンコアは便利な代物である。ディーシーはもちろん、機械文明時代の人工コア、ウィリディス軍・シーパング同盟で使用しているコア群を見れば、個人や組織で手に入れて使ってやろうと考える輩が出てくるだろうことは想像に難くない。
そこらの盗賊も、真・大帝国だって。あるいはシーパング同盟の加盟国の中にも。
「だとするなら……」
クローマは自身の顎に指を当てて、視線は宙を彷徨う。
「私は人里離れた、どこか安全な場所に静かに暮らしていたほうがよさそうですね……」
「そうですね」
周囲との接触が少なければ、リスクを減らせるだろう。クローマに田舎暮らしができるなら、ということになるが。……まあ、自身のダンジョンコアの能力を生活に全フリするなら、割と田舎で豪遊生活もできそうではあるが。
「辺境や田舎っつっても、夜盗や危険なモンスターとかいるから、丸っきり安全ってわけじゃねえけどな」
ベルさんが皮肉げに言うと、グレーニャ・ハルも頷いた。
「同感。それに彼女のことを聞きつけた不埒者が近づいた時、田舎では対処できないのではなくて?」
ダンジョンコアがあれば、そんな簡単にやられるようなことはないと思うが……。それは俺の感想だけど、彼女が体内にダンジョンコアがあるからといって、それを自在に扱い熟せるかというのはまた別の話である。
……そうか、自分自身で制御できない場合が出てくるのか。
ノイ・アーベントや南方領など、俺のテリトリー内の町や村など候補はあれど、一度、目立ってしまうと、いくら俺のもとに即通報されるとはいえ、安全とは言い切れないんだよな。
「……普通に考えたら、私たちと同じリバティ村辺りだろうけど」
グレーニャ・ハルが淡々と告げた。
「さすがにダンジョンコアの件が外部に漏れた時、あの獣人亜人の村が巻き込まれるのは本意ではないから……シーパング島なんてどうかしら?」
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